真空の聲、静謐の旋律

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   13.

 大聖堂の上部にある聖女の居室の窓ガラスが割れ、破片が夜空に舞い散った。割れた窓から夜目にもはっきりと分かる白煙が吹き出し、そこから重なる人影が飛び降りる。
 大聖堂周辺の警護に当たっていた兵士が異常に気づいて声を上げる。
「敵襲だ! 出合え!」
 窓から飛び出した人影は放物線を描いて落下するかと思いきや、力学を無視して空中で停止し、高度を維持したまま地面と平行に飛んでいく。
 兵士の異常を伝える声を聞いた騎士が馬を駆って大聖堂へと向かう。
「何だと……!」
 騎士が見たものは、藤色の髪をした男に抱えられて連れ去られる聖女の姿だった。
「ルカ様をお救いせよ!!」

 ルカを両腕で抱いたまま、がくぽは飛行魔術で大聖堂を後にした。大聖堂周辺に配置された兵士や騎士団を確認して舌打ちをする。
「え? 何? どうなってるの!?」
 がくぽにしがみついたまま頭を整理しようにも、ルカにはまるでついていけない。
「あの似非神官に完全にしてやられた」
「え? どういうこと?」
「あいつは俺を見張りを殺して聖女を拉致した邪悪な魔術師に仕立て上げたいのさ。そうすりゃ俺を堂々と殺せるからな」
 がくぽが憎々しげに吐き捨てる。
「でも、がくぽのことなんか知らな……あっ……」
「どうやって調べたかは知りたくもないがな。いつ知ったか知らんが、神官の地位を手に入れるまで耐えきった根性は見上げたものだ」
 魔術師が自嘲する。
「こっちの手の内は完全に読まれてる。なりふりかまわん狂信者ほど厄介なものはないな。魔術師への偏見を裏付けるように起きた北での暴動、その直後の聖女拉致事件とは……周到すぎていっそ感動するね」
「どういうこと?」
「例の件の根回しは恐らく奴だ。国交もない国のことがやたら詳しく、しかも時間もかけずに噂になったと思わないか?」
 北の国に魔術師の話を持ちかける。藁にもすがりたい気持ちだった反政府側はがくぽに依頼する。そして惨劇が起きる。その惨劇の元凶は魔術師であると噂を流す。元々魔術師に対して偏見があるのだ。尾ひれもはひれもつけて噂はあっと言う間に広がっていく。
 こうして魔術師は悪であるという図式を作り上げておいて、聖女の居室に忍び込んだ卑劣な男だとして捕らえる。そうすれば確実に聖女と魔術師を引き離すことが可能になる。
「そんな……そこまで!?」
「狂信者と言っただろう。お前を手に入れるためならなんでもするさ」
 まるで他人事のように冷静に言い放つ。
「逃走されることも計算済みだ。その場で捕らえられればよし、逃げれば犯罪者として手配する。聖女を奪われることまでは計算したかどうか……」
 下方を見れば王国騎士団が白馬を駆って追ってくる。飛行魔術で人ひとり抱えて飛ぶのは馬と同程度の速度だろうか。引き離すこともできないが、距離も縮まってはいない。
 聖ボカロ王国の城壁を越えた。その先には荒野が広がっている。
「これからどうするの?」
「とりあえずあいつらを撒く。国交のない国に逃げるしかないな。あの似非神官は必ずお前を追ってくるはずだ。それまでに何とか手を打つ」
 遠ざかる大聖堂を見てルカは小さくため息をついた。急変する事態についていけずに混乱していたが、終始冷静ながくぽにルカも落ち着きを取り戻す。
 そして、唐突に先刻のやりとりを思い出した。
「ちょっと! さっきあなた何て言ったのよ!」
「何のことだ」
「あれよ! あいつに言ったやつ! 何でも知ってるのかって……」
 どんな風に俺をねだるのかも知っているのか?
「ああ、あれか」
「身に覚えがないわ」
「ああいう奴には一番堪えるだろうと思ったんだよ」
 顔を真っ赤にして頬をふくらますルカが可愛らしい。
「……後でゆっくり聞かせてもらうさ」
「え?」
「安全なところまで逃げきったら、お前を抱く。問題あるか?」
 ルカの全身が心臓になったかのようにどくんと跳ね上がった。
 問題なら大ありだ。前にも言ったはずだった。
 どうせならもっとロマンチックに……。
 言いたいことは山ほどあるのに、ルカの意に反して勝手に口が動いていた。
「ないわ!」
 がくぽを強く抱きしめた。
 自分を抱いている腕をこんなにも頼もしく思ったことはない。いつだって愛しかったはずのがくぽが、この先も見えない状況の中で今までの何倍にも愛しく思えるのは何故だろう。
 甘えるようにがくぽの胸に頬を埋めて、ルカがくすくすと笑う。
「どうした」
「だって、私最初に言ったわ」
 私を攫いに来てくれるなら、待ってるから。
 出会いの日に、幼い歌姫はそう言った。王宮は窮屈だから好きではないと。
 何も変わらない歌姫を思い出しながら、がくぽは笑った。
「そうだったな。ずいぶん待たせた。遅くなってすまない」
「本当よ、どれだけ待たせるのかと思ったわ」
 唇を尖らせたルカの表情がすぐに嬉しそうに輝いた。
「今、すごく幸せ……」

 どれだけの距離を飛行しただろうか。周囲は夜の闇に包まれ、目印となるものもないため距離感が掴めない。
 がくぽたちを追う騎士団との距離がじわじわと狭まっている。ちらりと追っ手を確認したがくぽの額にうっすらと汗が浮かぶ。
「……大丈夫?」
 心配そうに見上げるルカを安心させるように微笑むと、がくぽは飛行速度を上げた。
(馬の持久力との勝負か。どこまで保つ……?)
 ルカががくぽの心を読んだかのように、
「どうしても逃げきれないなら、あなたひとりでも逃げて。私は大丈夫だから」
 聖女であるルカは傷つけられることはない。だががくぽは捕まったら最後、あの狂神官は間違いなく処刑しようとするだろう。
「馬鹿かお前は!?」
 心配するルカを怒鳴りつけた。
「大丈夫ですむと本気で思っているのか!? あいつの目を見ただろう! お前を手に入れたら何をするか解らんぞ!」
 ルカの居室で対峙したときの神官を思い出して身震いした。それ以前から感じていたまとわりつくような視線も、脱出する直前の狂気に駆られた眼も   あの神官に捕まったら、以前のような穏やかな日常は永遠に戻らないことを確信させる。
「……でも、がくぽに何かあったら」
 それだけは耐えられない。自分がどんな目に遭おうとも、がくぽを失うことだけは絶対に耐えられない。
 ルカにとってがくぽは世界そのものであり、生きる意味そのものだった。
「心配するな」
 ルカを抱く腕に力を込める。
「お前は俺が守る」
 がくぽの言葉にルカが頷いたときだった。
「何……っ!?」
 がくぽの足に何かが絡みついた。それと同時に、がくんと飛行速度が低下する。まるで何かにつまずいて転んだかのように。
「がくぽ!?」
「歯をくいしばれ! 墜ちる!」
 急速に高度が低下していく。自分の背を地に向け、がくぽはルカをかばうように抱きしめた。
 強く地面に叩きつけられ、がくぽの身体が跳ね上がった。勢いでそのまま吹き飛ばされ、さらに地面に叩きつけられてそのまま何メートルか先まで背を擦りつけてようやく停止する。
 あまりの衝撃に声も出ない。それでも手放すことのなかった腕の中の聖女の無事を確認しようとして、がくぽはすぐ近くまで迫る馬の足音を聞いた。
「ここまで、か……」
 飛行魔術を使おうにも力を吸い取られるようで飛ぶことができない。足に絡みついたものを見れば、石を紐の両端に結びつけた簡単な仕掛けだった。その石と紐にびっしりと書き込まれた血文字ががくぽにすべてを悟らせる。
 刀を抜いて紐を切断し、ルカを抱えて立ち上がる。ルカは落下の衝撃で足下がふらついてはいたが、意識はあり外傷もなさそうだった。
「……すまん」
「大丈夫……」
 がくぽを安心させるようにルカが微笑む。
「これからはずっと一緒よ」
「ああ、そうだな」
 自力で立てることを確認し、がくぽはルカを抱える腕を離した。まっすぐにこちらに向かってくる騎士団を見据える。
「先頭集団が3人、後から10人くらいか? 最初の連中から馬を強奪する」
「何か手伝えること、ある?」
「……俺のために歌ってくれ」
「了解」
 ルカが数歩下がった。
 がくぽが馬上の騎士を狙って風の魔術を使うために意識を集中したとき、それは起きた。
 がくぽが魔術を使うよりも早く、1騎目の騎士が落馬した。2騎目の騎士は突然背中から血を吹き出して馬の首にもたれかかり、落馬した騎士を踏みつけた。
 そして   
「追いついたぁぁぁ〜!」
 3騎目の馬上の人が、禍々しくねじれた杖を振りかざしながらふたりの前に馬を停める。
「騎士さんたち、ありがとぅね〜! でもここか先は僕がやるからぁ、ちょっとそこで寝ててねぇ〜」
 狂える神官が喜々として馬から下りる。憤怒の形相は下卑た嗤いに戻っており、ルカの肌を粟立たせた。
「今んとこ5人殺害ってとこかなぁ? 魔術師は怖いねぇ〜」
 騎士2人と見張りの兵士の他にも、狂神官の犠牲になった者がいるということか。
「お得意の魔術が使えないのってどんな感じだったぁ〜? ルカ様の歌が永遠に聞けなくなるのとどっちが絶望感じちゃう〜?」
 ニヤニヤと下衆な笑いを張り付かせ、相手が不快になることを計算し尽くした喋り方でがくぽの神経を逆撫でする。
 完全に手の内は読まれている。しかも相手は狂っているとはいえその思考は冴え渡り、今夜のために周到に計画している。それこそ何年がかりかの準備をしてきたのだろう。
 その計算を狂わせることができるとしたら   今はこの男を動揺させて隙を突く以外に手段はない。こちらのことはすべて知られているというのに、相手のことは何もわからないのだ。
「随分と俺のことも研究したようだな。お前もしかしてルカより俺の方が好きなんじゃないか」
「はァ? 何言っちゃってんのぉ?」
「聖女様を敬愛しているように見せて   実際は畏怖しているんじゃないか?」
 神官が何かを言いかけて、口ごもる。
「女が怖いんだろう? この童貞野郎」
「このガキ……っ言わせておけば……!」
 神官が目を釣り上げて杖を握る手を震わせる。
 一瞬だった。一瞬あれば勝負がつくはずだった。
 がくぽが刀の柄に手を掛けて一歩踏み出そうとしたとき   
「どっかーん! って、吹き飛んじゃうかもぉ?」
 勝負がつくはずの一瞬だった。
 がくぽの脳裏に、北の国での惨劇が生々しく甦った。激情にかられて刀を抜いて、その後に何が起こった?
 美振を一閃した後の、光が引いた後に残された光景はどうだった?
 勝負がつくはずの、一瞬だった。
 その一瞬を、がくぽは躊躇った。
 ぎりぎりの駆け引きの中で、躊躇はすなわち敗北を意味する。
 がくぽの胸を矢が射抜いた。刀に手をかけたまま、自分の胸に突き刺さったものを見て、がくぽは何が起きたのかを知る。
 完全な敗北だった。
「二度も同じ手には引っかからないんだよねぇ〜」
 声もなく背後に倒れながら、がくぽは神官の杖が自分の胸を指しているのを見た。
(何もかも……お前の手の内か……!)
 背が地に落ちる衝撃を受けながらもがくぽは魔術を使おうとした。
(くそ……麻痺性の毒か……)
 急速に全身の力が抜けていく。矢を引き抜こうにも力が出ない。立ち上がることもできず、神官がルカに近づくのを防ぐこともできない。
「来ないで!」
 ルカの声にも神官の足は止まらない。
絶望的にも新たに馬の足音が近づいてくる。倒れているがくぽに気がついたのか馬の歩みがゆっくりになり、すぐ近くで馬を下りた。
「ルカ様、ご無事で……」
 ルカに歩み寄った騎士は、突然炎に包まれて何が起きたかも解らずに地を転げ回った。
「何故、何故あなたが……!」
「だって今いいところなのに、邪魔なんだもん。ごめんねぇ」
 てへっと嗤いながら、舌をぺろりと出した。
「下がりなさい! 私を聖女ルカと知っての狼藉ですか!」
「本物のルカ様ってことは充ぅぅ分知ってますともぉ〜! でもぉ、ここにはぁ? 誰もいなぁぁい! あなたの騎士も魔術師も、誰もいなぁぁい! つまりぃ、僕とあなたとふたりっきりぃ〜。どういうことかって言うとぉ、ただの男と女なんだよねぇ〜?」
 狂気の表情が愉悦に歪む。
 ルカの全身から音を立てて血の気が引いた。目の前にいるのは神官どころか人ですらない。理性を持たないただの獣だ。
 愛するがくぽは矢に撃たれ身動きもままならずに苦悶の表情でこちらを見ている。唇が動いたが言葉はここまで届かない。騎士は二人が絶命し、ひとりは炎に焼かれて呻きながら地を転がっている。
 魔術すら操る狂神官を相手に、ルカはたったひとりで立ち向かわなければならない。庇護者はいない。武器と呼べるものは祭器だけだ。がくぽのように舌戦で挑んだところでたかが知れている。走って逃げたところで隠れる場所もない。
 どうする   どうする   どうすれば   
(やるしかない!)
 ルカは初めて祭事以外で祭器を鞘から抜いた。刀身が白く煌めいて   瞬いて、消えた。
 ルカの手首を神官の手刀が打ち、聖女の手から祭器は離れた。地に落ち、乾いた音を立てて転がる。
「それ危ないからちょっと離しててもらってもいいかなぁ〜?」
 怯んだルカの腕を強く引き、聖女を背中から地面に叩きつけた。
「あ……っ」
 打ちつけた衝撃でルカがむせる。呼吸を整えさせる間も与えずに神官が聖女の両腕を押さえつけてのしかかる。
「悪の魔術師に穢されたところは全部僕がきれいにしてあげるから、安心してねぇ〜。僕をねだる声、いっぱい聞かせてもらうからぁ〜あはははは」
 ルカの全身から引いていた血の気が、逆流する勢いで沸き上がった。
 こんな男に   こんな男に   こんな男に   !!
 全力で抗っても押さえつけられた腕はびくともしない。蹴り上げようとした足さえも押さえつけられてしまう。
 怒りと悔しさで涙が出そうだった。食いしばる歯がぎりぎりと音を立てる。
「そんな怖い顔しないでぇ〜。優しくするからぁ〜!」
 神官がルカの寝衣をはぎ取った。白い肌に豊かな胸が露わになる。そして、胸元に輝くペンダント   
「何……」
 神官の眼がペンダントに釘付けになる。
 大振りの金細工に青い宝石が輝いている。
 そのペンダントに見覚えがあった。
 日中、偶然居合わせた吟遊詩人が聖女に公衆の面前で贈ったものだ。
「それはぁあ……っ!」
 神官の眼が愉悦から憤怒の色に変わる。
「お前ら俺を馬鹿にしやがってええええ!! 聖女面した売女め! てめぇの男の前でズタボロになるまで犯してやる!」
 何から何まで計算ずくの謀略家が激情にかられた一瞬だった。
 一段上から余裕の笑みで見下ろしていた神官が、地に足を下ろした瞬間だった。
 先刻がくぽが失った一瞬を、ルカは見逃さなかった。
 余裕を無くした神官の拘束がほんのわずかに緩んだ。ルカはすかさず神官の腕を払い、すぐ近くに落ちていた祭器を掴んで切っ先を神官に向ける。
「来ないで!!!!!」
 剣の先が神官に触れる寸前で、まばゆいばかりに白く輝く刀身の光が炸裂した。夜の闇に真昼の太陽のような鮮烈な輝きは見る者の視界を奪うのに充分だった。
 その場に再び夜が舞い戻ったとき、そこには透き通る水晶体の中に閉じこめられた聖女と、その前にうずくまる狂神官の姿があった。
「くそぅ……どうして……」
「どうしてだと? 自分の胸に手を当ててみたらどうだ」
 うずくまる神官を足蹴にしてがくぽが吐き捨てる。矢を引き抜いて神官の前に転がす。
「神経性の麻痺毒とはやってくれたな。おかげで解毒に時間がかかったわ。そして……」
 すぐ傍らの水晶体の中にいるルカを見つめた。
「お前を守れなかった……」
 透き通る水晶の中で、ルカは泣いていた。泣きながら凍り付いていた。
 彼女に人は殺せなかった。だから、自分を結晶の中に閉じこめて守るしかなかった。死ねばがくぽがどれほど苦しむかを知っていたから、彼女にはこれ以外に選ぶ道がなかったのだ。
「僕の聖女がぁ……」
 がくぽに踏まれ這いつくばりながら、狂える神官はすがるように聖女を守る水晶体をべろりと舐めた。
「貴様! どこまでルカを辱めれば気が済むのか!!」
 がくぽの強烈な蹴りを腹部に受けてなお、神官は水晶体にすがりつこうとする。
「ルカ様ぁ、ルカ様ぁ、ねえルカ様ぁ……」
 もはや動くことすらない聖女を包む水晶体に抱きついて、ところかまわず水晶体にかじりついた。狂神官はがくぽすら認識せず、凍てついた聖女を恍惚の表情で舐め回そうとした。
「せめて一太刀で逝くがいい……!」
 がくぽの刀が夜の闇を一閃した。

 続く騎士達が荒野に突如現れた光の爆発に気づき現地にたどり着いたとき、聖女は白い肌を露わにした無惨な姿で透き通る水晶体の中に閉じこめられていた。近くには絶命した騎士ふたり、全身に火傷を負い瀕死の騎士がひとり。そして   
「王国騎士諸君に告ぐ」
 長い藤色の髪をひとつに高く結わえた長身の男の足下に、青い髪の神官が血の海にうつ伏せていた。聖女を閉じこめる水晶体を背に、朗々たる声で騎士たちに告げる。
「我こそは魔術師がくぽ。聖女ルカは私がいただく。貴君らは仲間とこの似非神官を連れ帰り国王に伝えたまえ。二度と我らに関わるな。ここは聖女と私だけの森だ……!」
 見渡す限りの荒野に森があるはずもない。騎士等が反論しようとしたときだった。
 がくぽが血に塗れたままの刃を大地に深く突き立てる。
「……何だ? 地鳴りか?」
 馬上の騎士が怯える馬をなだめながら周囲を伺う。その騎士の目の前で、魔術師と聖女の周辺の地面が隆起した。3mほど隆起したところで止まるが地鳴りは収まらない。
 やがて大地が揺れ、馬達が落ち着きなく嘶き始め   周辺の地面から小さな芽がいくつも伸び   それらが急速な勢いで成長していく。
「何だこれは!」
「落ち着け、聖女を取り戻せ!」
 弓を持った者ががくぽめがけて射かけたとき、射手の目の前を突如現れた木が遮る。
「どういうことだ!?」
 何もなかったはずの荒野に、超高速成長を遂げる木々や草が現れた。それらは魔術師と聖女を中心に、半径数kmに渡る森となる。
「立ち去るがいい! これよりこの森は閉ざされる。招かれざる者が足を踏み入れれば生きて帰ることは叶わぬ」
 高らかに告げる魔術師を再度射ようとした騎士達の前に、
「これを忘れずに持って帰れ! 二度と私の前に姿を現すな……!」
 青い髪の神官と杖が魔術師に蹴り落とされた。慌てて馬から下りて神官を担ぎ上げると、まだかろうじて息をしていた。意味を為さない言葉をぶつぶつと呟いている。
「神官殿! お気は確かか!」
「許さない……よくも……よくも俺の聖女を……」
「……神官殿?」
「死ねがくぽぉぉぉぉぉ!!!」
 神官が焦点の合わぬ目でねじれた杖を振り回した。ところかまわず風の刃が弧を描き、騎士や馬が巻き添えを食う。
「何を……神官のあなたが何故魔術を!」
 取り押さえようとする騎士達を邪魔だと言わんばかりに神官が手足をばたつかせる。だががくぽに斬られた傷は深く、徐々に暴れる力が弱まっていく。
「聖女には指一本触れさせぬ。立ち去れ!」
 見下ろす魔術師にそれでも挑もうとした騎士たちだったが、突然途切れた視覚と聴覚に騒然となる。ただ   夜の闇になれたはずの眼ですらすぐ前にあった木も判別できず、近くにいるはずの同士の声も馬の蹄の音も聞こえない   完全に閉ざされた森の中で魔術師に挑むどころか逃げることもままならず、騎士団はほうほうの体で森を後にした。
 がくぽは騎士達が晒す無様を静かに見下ろし   やがて誰もいなくなったのを確認すると、その場に跪いた。
「ルカ……すまない……」
 その声に応える者は、誰もいない。
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