緑影騎士外伝『英雄王』

back menu next home

4.

 婚礼の儀も無事に終わったその日の夜、正装から普段の衣装に着替えて王宮内の見回りをしていたウュリア・シルヴィアは、まさか同じ台詞を同じ相手に向かって二度も口にするとは、思ってもいなかったに違いない。その証拠に果てもなく深いため息をついて、呆れたように呟いたものだった。
「……何をしてるんだ……」
「何って……別に……」
 今日の儀式に追われてみな疲れたのか、いつもより早く王宮内の部屋の明かりが消えていったというのに、この王の執務室から明かりが漏れていたので、侵入者かと思い様子を見に来てみれば、これはいったいどういうことなのか。
「……何で新郎が執務室の机の下で小さくなってるんだ……」
 今日挙式したばかりの花婿が、いつもの自分の仕事部屋にいるのはどう考えたっておかしい。よほど問題のある花嫁ならばともかく、相手は恋焦がれた少女で、晴れて夫婦になれたのだ。こんなところでひとりでいる場合じゃないと思うのだが。まして何故机の下。
「……その……」
 机の下からぼそりと呟く声が聞こえてきた。どうしてこんなに『国王』のときと違うのかとため息をつきながらも、聞いてやるよと机に腰掛けた。机の下で膝を抱えて小さくなっているルークとは背中を向け合う形だが、顔を見られたくないときだって、ある。
「俺……優しくできない……」
 苦しそうに呻く声が聞こえてきた。
「優しくできない? ……相手が敵国の王女だからか?」
「いや……そうじゃなくて……」
 口の中でもごもごと呟きながら、ルークは自分の唇にそっと触れた。もう半日以上経つというのに、まだ残っている誓いの接吻の感触   。どれだけ夢見たか解らない、至福の瞬間。思い出しただけでも鼓動が高鳴るほどの。
 どうしてこんなに身体が熱くなるのだろう。自分で自分をコントロールできないでいる。こんな状態で彼女の肌に触れたりしたらどうなることか。
「……彼女を……めちゃくちゃにしそうで……」
「……」

 ………………。

 何を悩んでいるのかと思いきや、のろけですか。そうですか。
 婚礼の前に突然姿を消した花嫁と一緒に戻ってきたときの強張った顔を思い出して、ちょっと心配していたというのに(ていうかちょっとですか)、そんなことで机の下で膝抱えて丸くなって、見回りの手間掛けさせたのかと思うとウュリアは呆れてものも言えなかった。こっちだってさっさと見回り終わらせたいっていうのに。
「……すりゃいいだろ。夫婦なんだから」
 カッチーン。
「そんなことでいちいち膝抱えてんじゃねーよ、ったく」
 プツッ。
「だからこの無神経が……」
 こっちの気も知らないで勝手なことを言ってくれるウュリアに腹を立てて、言い返そうとしたルークだったが、途中で黙り込んでしまった。昼間と同じように言い返されるのだろうと予想していたウュリアは、黙り込んだルークの様子を窺おうかと机を降りる。
「ル、ルーク?」
「ま、まさっまさかお前っ!! 妹に妹にそん……」
 ガコンッ!
 大きく机が揺れて、静かになった。多分立ち上がろうとしてしたたかに机に頭を打ち付けて撃沈したのだろう。合掌。
「……大丈夫か……」
 さっき何か言いかけていたことは、どうか今の衝撃で忘れてくれていますように。祈る気持ちで声を掛ける。だがよほど強く打ったのか返事はない。
 否、思いもよらぬところから声がした。
「ウュリア?」
「……姫」
 ルークの実妹、ベルティーナだった。終戦の後、この戦いにおいての功績を認められ、その褒美は何がいいかと問われてウュリアは王妹を妻にと求めた。それはその場で認められ、ふたりはこの一月後に結婚する。
「こんな夜更けにひとりで出歩いて……! いくら戦が終わったからって無用心な」
 供も連れずにたったひとりで薄暗い夜の王宮内を、小さな明かりだけを持って歩いていたらしい。ベルティーナを執務室の中に招き入れると、ウュリアは自分が着ていた上着を脱いで彼女に着せてやった。
「……あなたに、逢いたかったから……」
 叱られながらもうつむいてベルティーナは呟いた。
「姫、あなたはまだ王族なのです。どうか自重して下さい」
 シルヴィアに嫁ぐことで、自分は王族を抜けるとベルティーナは宣言した。庶民として生きていくと。直系の王族がルークとベルティーナの兄妹しかいない現状において、脱王族は望ましくないとの反対意見もあったが、ベルティーナは譲らなかった。
「『姫』だなんて……ふたりきりのときは名前で呼んでと言ったはずよ?」
 いやふたりきりじゃないんですが(汗)
 机の下に隠れているとはいえ、ルークが同じ部屋にいることを知っているウュリアは返答に詰まってしまった。

 机の下で痛む頭を抱えていたルークは、どうしたものかと今度は頭を悩ませていた。今更出て行くのも何だし、妹にまでこんなところで何をしているとツッコまれるのはなんとかして回避したいところだ。だからといっていつまでもここに隠れているのも、盗み聞きしているようで気分が悪い。
 あーもう、どうしたもんだかなー。
 居心地悪く床にのの字を書いていたルークだったが、ふとその指を止めた。
 そういえば、さっきベルティーナはなんと言った?
『ウュリア』と、そう言ったような。公私どちらであろうがいつも『シルヴィア』と呼んでいたはずなのに。それに『ふたりきりのときは名前で呼んで』って? えっ?? いつの間に???
 ベルティーナが生まれてから今日までのいろいろな出来事が、ルークの頭の中をスローモーションで横切っていった。妹をくれとウュリアに言われて、しぶしぶながらも承諾したのは自分だけども。求められて顔を真っ赤にして応えたベルティーナを鮮やかに思い出すこともできるのだけども。
 さっきウュリアに言おうとした言葉が、鮮烈に甦った。
『すりゃいいだろ。夫婦なんだから』そう言われて。
『まさかお前、妹にそんなことをしたんじゃないだろうな』、と。
 妹をやるといったのは自分だけども!! ベルティーナも了解したといっても!!
 そんなことまで許した覚えはないっつか。
 何で俺がこんなにも苦しんでるのに、お前が妹とイチャついてんだよ(怒)

「ウュリア……」
 困ったように黙り込んでしまったウュリアを、目を潤ませてベルティーナが見つめた。嫌いになったの? と訴えてくるようなその視線を振り切ろうとしたウュリアだったが、がんじがらめに絡め捕られてしまって目をそらすことができない。
 明かりの中で揺らめく白い頬にそっと触れると、そのまま顔を近づけた。
「ベルティー……」
 ガタン……。
 不穏な気配を伴ったその音に、ウュリアは咄嗟にベルティーナから身体を離して身構えた。他に誰もいないと思っていたベルティーナが小さく悲鳴をあげる。
「……だから無神経はイヤだっつってんだよ……」
「兄さま!?」
 普段の優しい兄からは想像もできないほど恐ろしい剣幕のルークに、ベルティーナが目を瞬いた。
「お、おいルーク?」
「ぶっとばす……!」
 机をひっくり返して素手で挑みかかってきたルークを止めたのは、執務室の入り口から飛んできた一喝だった。

「やかましいっ!! 何時だと思ってるんだ!!」

 隣の部屋にいたらしいリーヴ・アープの『沈黙』の魔法により、その場にいた全員が言葉を失った。


 ひとまず落ち着いたことを確認してから、リーヴは魔法を解いた。詳しいことは一切聞かず、ベルティーナは自分が送っていくからお前たちは勝手にしろ、と吐き捨てた。取り残されたルークとウュリアはしばらく黙り込んでいたが、
「……行ってくる」
 ようやく意を決したのか、ルークが呟いて立ち上がった。
「……途中まで付き合おう」
 先ほどベルティーナにも言ったことだが、戦が終わったからといって供もなく夜の王宮を歩くのは危険だ。ジルベールに反感を持つ者がいつルークの首を討ちに来るかわからない。王国最強の騎士がついているのを見れば、それだけで怯む輩も多いだろう。
「……? そっちは外だろう」
「ああ……その、明かりがついてるかどうか確認したいんだ」
 もう夜も遅い。眠ってしまったかどうか、先に見ておきたいというのだ。この期に及んでまだ、と言いたい気持ちもあったのだが、ウュリアは黙ってルークに従った。
「……なあ」
「んー?」
 人のいない中庭を歩きながら、ぽそりとルークが声を掛けてきた。
「お前さ……堂々とベルティーナをくれって言ったけど、何とも思わなかったか?」
「……何が」
「年だって離れてるし……」
「別に……好きになったもんはしょうがないだろう」
 簡単に言い放ったウュリアに、ルークが言葉を失った。
「だってそうだろ? 歳や身分で好きになるわけじゃないんだから。違うのか?」
 言われて。
「……ああ……そう、だよな……」
 強く頷いた。
 ベルティーナとロゼーヌは同い年だ。相手との歳が離れているのは、ウュリアもまた同じなのだ。そのことに勇気付けられたのか否か、ルークが笑ったように見えた。
「……あの部屋か?」
 王宮の一番奥に当たるテラスのある2階の部屋。その窓からはカーテンの隙間からまだ明かりが漏れている。
「間違いない、あそこだ……」
「どうする? 中に戻るのか?」
「……その時間が惜しい」
「ま、がんばれよ」
 壁を攀じ登るのつもりなのか部屋の主を呼んでロープでも下ろしてもらうのかは解らなかったが、ここから先は手出し不要とウュリアは踵を返した。
「ああ……ありがとう」
 どういたしまして、と振り返ることなく手を振るウュリアの背中を見つめて、意を決してルークは明かりがついたままの窓を見つめた。
 足元に落ちている小石を拾って窓に投げつけようとしたとき、待っていたかのように窓が開かれた。月明かりに導かれて姿を現したのは、寝衣姿のロゼーヌだった。白い肌は冷たい月に照らされてより白く見せている。
 一枚の絵のようなその光景に見惚れて呆けてしまったルークだったが、ハッと我に帰って彼女を呼び止めようとした。この想いを打ち明けるのは今しかない。自分のしたことを棚にあげてと罵られても構わない、それでも彼女を愛しているのだと。
 声を掛けようと吸い込んだ息を言葉にして吐くことはできなかった。
 ルークの目の前で、ロゼーヌはうずくまってすすり泣いたのだった。
 父の首を目の当たりにしても、敵国の王に嫁ぐことを告げられても、婚礼の寸前の脱出を阻止されても泣くことのなかった気丈な彼女が、ただの少女として泣いていた。

 声もなくすすり泣く彼女の涙が、永遠にルークから言葉を奪った。


 ここから先はふたりの問題であって、第三者は関係ないのだが。それでも気になってせめてルークが部屋に入るまではとウュリアは角を曲がったところで佇んでいた。
 そろそろ頃合かとこっそりと様子を窺ったとき、ウュリアは慌てて姿を隠した。
 一瞬しか見えなかったが、月明かりの中のテラスで王妃はうずくまってすすり泣き、国王はただそれをじっと見上げていた。
 あんなにも好きで好きで仕方ないと自分の気持ちをもてあますほどだったのに、ルークの想いは拒絶されてしまったのだろうか。
 それからどのくらいの時が過ぎたのだろう。ふらりとルークが現れた。もういなくなったはずのウュリアがそこにいることに驚いたようだったが、ルークは月下でも解るほどに青ざめていて、何かを訴える様子はなかった。
「……ルーク」
 言葉もなくルークはウュリアにしがみついた。今にも声を上げて泣き出しそうな幼馴染の背中を、ウュリアはたださすってやることしかできなかった。
 ……何も聞くことなど、できはしなかった。

 この夜、ルーク・ジルベールは妻へかける言葉のすべてを失ったのである。

back menu next home