緑影騎士外伝『英雄王』

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3.

終戦から一ヵ月後、よく晴れたその日に国王ルーク・ジルベールとモルタヴィアの姫君ロゼーヌとの婚礼が行われようとしていた。金糸で刺繍された豪奢な衣装に普段は使わない王冠を戴いた新郎は、落ち着かない様子で部屋の中を行ったり来たりしている。
「……何をしてるんだ……」
「何って……別に……」
 冷やかしを兼ねて様子を見に来たウュリア・シルヴィアは銀色の鎧を纏い、正装用の濃緑色に銀の刺繍のされたマントを着用している。鎧は終戦後に王の近衛兵として結成された翡翠騎士団のもので、胸のところに翡翠が埋め込まれている。今日のこの日に合わせて揃えられた鎧は一点の曇りもなく眩しいほどに輝いていた。それを纏ったウュリアの姿はまさに英雄そのものなのだが、王の控え室に入った途端、その表情を一変させた。
「……落ち着いたらどうだ、一国の王がこれから婚礼って時に」
 カッチーン。
 ぴたりと足を止め、ルークが眉尻を吊り上げて低い声で唸った。
「落ち着けられるもんなら落ち着いてる!! それができないからこうして何とかしようとしてるんだろうがっ!!」
「さっきから気にはなってたんだがなあ……」
「ああ?」
「何をそんなに緊張してるんだ?」
 プツッ。
「これだからお前みたいな無神経はイヤなんだよ」
 国王とも思えぬ言葉を素で吐いてしまった。
「何だとー」
「いや違うな、その図太い神経を見習いたいよ」
「お前……っ さっきから言わせておけば」
 ふたりとも素に戻ってますが(爆)
 間もなく婚礼の儀が始まるというのに、国王と王に仕えるべきはずの騎士が今にも取っ組み合いそうな勢いで睨み合っている。
「いい加減にしておけ」
 ふたりがお互いの胸倉を掴もうとしたまさにそのとき、絶妙のタイミングでリーヴ・アープが入ってきた。彼もまた長い金髪を結わえて豪華な刺繍の入った衣装を纏っている。人ごみや装飾を好まない彼なのだが、さすがに今日だけはきちんと正装していた。
「ふたりとも子供じゃあるまいし。まして国を代表するものがそんな有様でどうする」
 ごもっともです。
「もうすぐ儀式が始まるぞ。さっさと準備しろ、進行は覚えているな?」
「ああ……」
 無言でうなずいたウュリアに対し、ルークはこれから婚礼を行う新郎にしてはあまりに元気がない様子でうなだれた。うろうろしていた様子を見ていないリーヴでもぎょっとするほどだった。
「……ルーク?どこか悪いのか?」
「いや、別にそういう訳ではないんだが」
 悪いのは、心だから。

 そう言いかけて言葉を飲み込んだ。この気持ちはふたりには絶対に解らない。ともに育ちともに戦った親友であっても。
 名前さえ知らぬ相手に、言葉を交わすこともなく恋焦がれる気持ちなど。
 モルタヴィアにひとりでかけたあの時、たったひとめで心奪われた。
 少女だとはわかったが、そのときの彼女は少し大人びて見えていた。しかし聞けば妹と同じ17になるかどうかという幼さだという。十以上離れた少女にひとめ見ただけで懸想するなど、狂気の沙汰だと言われても笑われても仕方ないかもしれない。
 それでもいい、どんな身分でもどこの娘でも戦いが終わったらきっと探し出そうと思っていたまさかその少女が、独裁王の遺言を聞き入れるための贄に差し出された王女だなんて。
 探し出す手間も省けた。愛を捧げ求婚する必要もなく、棚ぼたで転がり込んできた婚礼。
 ……それでも、否だからこそ彼女の目の前で父王の命を奪ったことがルークをひどく責めたてた。もし何も知らないままでいたら、彼女が王女であると知らないままであれば素直に愛を打ち明けられたかもしれない。
 打ち明ければいいだろうとウュリアは言うかもしれない。
 最終的に結果が同じなのだから構うまいとリーヴは言うかもしれない。
 ダメなのだ、それでは。
 彼女にとってルーク・ジルベールは一人の男性である以前に父の仇なのだ。
 そして、彼女を政略結婚という形で道具として扱ってしまった。
 ……それなのに、恋焦がれる気持ちは変わらぬどころか加速しているのだ。
 それらが複雑に絡まりあって、ルークという個人を押しつぶそうとするほどに苦しめている。
 長いときをともに過ごした者と自然に惹かれあい愛し合ったウュリアにも、女嫌いなリーヴにも、この気持ちは絶対に解らない。
 だから永遠に打ち明けることは、ない。

 顔色がすぐれないルークをリーヴが覗き込もうとしたとき、勢いよく控え室の扉が開かれた。何事かとウュリアがルークを背中に剣を鞘走らせ、リーヴがすぐに魔法を唱えられるよう構える。
「あ……っ」
 開かれた扉の向こうにいたのは侍女だった。ウュリアとリーヴの殺気に怯え立ちすくんでいる。確かこの侍女は今日は花嫁の着替えの手伝いについていたはずではなかったか。
「何事か」
「ご、ご無礼をお許しください陛下、大変なことに……」
 足を震わせている侍女をみやって戦闘態勢を解くと、リーヴが先を促した。
「姫が……ロゼーヌさまが、お召し替えがすんだと思ったら急に……部屋を飛び出してしまわれて……い、今 みなに探させているのですが、まだ……」
「……気持ちが昂ぶっておられるのだろう、急いで見つけ出して落ち着いていただけ。騒ぎになっては困る、侍女たちだけで探し出してくれ」
 できるな? と念を押すように金色の魔道士に肩を叩かれ、緊張した面持ちで侍女は一礼して踵を返して立ち去った。
「仕方ない、ルークはこのまま……って、ルーク!?」
「おい!! 待て、どこへ……!!」
 国王はふたりの臣下をそのままに駆け出していた。

 婚礼の衣装のままならばそう遠くへは行けまい、慣れない王宮を彷徨っているはずだ。
 それにしても突然逃げ出すとはただごとではない。
 だが   
 ルークには彼女を責めることはできない。少女の域を出ぬ娘が、単なる政略結婚であればいざしらず、父の仇のもとに嫁ぐハメに陥ったのだ。逃げ出したくなって当然だろう。ましてや歳の離れた男の元へだなんて。人質として監禁してあるモルタヴィアの王族たちとは反りが合わなかったようだったから、残された彼らがどうなろうと構わないのであれば、国を失い父を失った彼女に失うものなど何もないのだ。今逃げ出さなければ、という気持ちになってもおかしくはない。
 同時にそれがルークをひどく拒絶しているという証だったとしても。
 この婚礼で舞い上がっているのは自分だけなのだと思い知らされて、どれほどにみじめな気持ちになったとしても、ルークは彼女を責められない。どんなに愛したとしても愛が返ってくることはないのだと思い知らされたとしても。
 ルークは、ジルベール国王だ。常に『国王』を演じてきた。そしてこれからもそうであろう。・・・ならば『今』も、『王』を演じなければなるまい。この婚礼を無事に済ませねばならない。ジルベールとモルタヴィアの統合を、互いの血を持って絶対のものにしなければならない。
 険しい剣幕で王宮内を足早に歩くルークの視界の隅で、白いものがかすめた。
 もしやと思い足を止めると、廊下を曲った角から純白の絹の婚礼衣装を纏い、薄く紅をさした少女が振り返った。
 この一ヶ月、ほとんど部屋に閉じこもったきりで王宮内を歩かなかった彼女にとって見慣れぬ王宮は迷路だったのだろう。とても心細そうな表情で、だがそこにいる相手がルークと認めるや否や、顔を赤らめて何かを言いた気に口を開きかけた。
 独裁王を討ったときに見た彼女は取り乱していたし身なりも整えていたわけではなかったため年相応に幼く見えたのだが、婚礼の衣装を着て化粧をした彼女は数段年上に見せており、その美しさたるや白い花の妖精が舞い降りたようであった。
 こんなにも美しい娘が自分の花嫁に   
 舞い上がりかけたルークは必死に自分を押さえて極めて事務的に、
「こんなところで何をしている。……早く戻れ」
 淡々と告げ、背を向けた。真っ赤になってだらしなく崩れた顔を見せるわけにはいかなかった。花嫁を連行するでもなく、勝手にひとりでみなのところに戻っていく。ただ、衣擦れの音で頼りなく自分についてくることだけは解った。
 逃亡の最後の機会は奪われてしまったのだ。彼女は今何を思っているのかと思いを巡らせれば胸が苦しいのに、その美しさにこんなにも胸を躍らせている自分に腹を立てて、ルークは知らぬ間に足早に歩いていた。
 自分の晴れの姿を見ても何も言ってくれないことに傷ついて、今にも泣き出しそうな表情で何度も転びそうになりながらついてくる花嫁には、気づくこともなかった。

 自分の気持ちで手一杯で、気づくことも、なかった。

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