緑影騎士外伝『英雄王』

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2.

 シルヴィアの合図を受けて、全軍を指揮していたルークは数人の兵士を伴ってモルタヴィア城内に駆け込んだ。
 モルタヴィアの民の協力を得て、ジルベール軍はモルタヴィアに攻め込んだ。モルタヴィア軍は兵が疲弊していたことに加え、国内で民の反乱が起こっており、勢いのあるジルベール軍を押し留めることはついにできなかった。軍の総指揮は国王であるルークが執っていたのだが、唯一自由行動を許されていた遊撃隊であるシルヴィアの一隊は城内に侵入し、独裁王ファリウスZ世を抑え、その合図にシルヴィアの魔法で空に閃光を放ったのだった。
 ルークを護るように兵士たちが先を進んだのだが、それも不必要なほど城内は静かだった。まさか城内にもぐりこまれるとは思わなかったのか、倒れている者の中にも兵士の姿は少なく、多くは貴族に無理やり戦うよう命じられたであろう侍従がほとんどだった。中には身のほどもわきまえず、シルヴィアに手を出した愚かな貴族(或いは王族か)がいたようだったが。
 モルタヴィア城内、最上階の一番奥の、開け放たれたままの扉の向こうにルークたちが足を踏み入れたとき、そこには捕縛された十人ほどの王族たちと、血を流し倒れているモルタヴィア兵と、黒髪の魔法剣士ウュリア・シルヴィアによってうつ伏せに床に組み敷かれたファリウスZ世がいた。
「き……貴様がルーク……!」
 くぐもった声で独裁王が唸った。こんな若造にモルタヴィアの国を歴史を王城を踏みにじられるなんて、独裁王には耐えがたい屈辱だったに違いない。すぐにでも斬りかかってやりたいのに、自らは病に冒され闘うこともできずに黒髪の悪鬼に取り押さえられている。一国の王が、よりにもよって地に伏してだ!
「覚悟はよろしいか」
 国を治める王として、ファリウスは   独裁王は致命的な過ちを犯した。民の自由を奪い、富を搾取し、苦しめた。それを百年も続けたのだ。独裁国家の終焉は、独裁王の死によってようやく訪れる。モルタヴィア王朝の犯しつづけた罪は、それ以外に償えるものではない。
 言葉少なく、ルークは剣を抜いた。言葉で責めても何にもならない。もはやこうなる運命を逃れることができないことは、誰よりもファリウスが知っているであろう。
「言い残すことがあれば」
 王族たちが小さく悲鳴をあげる中、静かに取り押さえられたままのファリウスに近づき、ルークは足を止めた。
「……で、くれ……」
 病に冒された独裁王は、声を出すのにさえ苦痛を伴った。よく聞き取れなかったのか、ルークはウュリアと顔を見合わせてその場にかがみこんだ。
「頼む、殺さないでくれ……! 余の命などくれてやる、だから… ……」
 そこまで叫んで独裁王は喀血した。あふれ出る血に咳ごんで、見守るジルベール王とモルタヴィアの王族の前で、それでもなお続けた。
「娘だけは……殺さないでくれ」
 独裁王が最期に遺す言葉としては、ジルベールにとってあまりに意外なものであった。
「見たであろう、儂はもう長くない……。明日をも知れぬ命、何を惜しもうか。だが娘はまだ幼い。ただこの老いぼれの娘として生まれただけの、何の罪もない少女に過ぎぬ……。頼む、あれをお前の妃にくれてやる。だから、どうか娘と……血族を殺さないでくれ」
 文字通り血の絡む声でのファリウスの訴えに、捕縛された王族のうちすすり泣く者と不愉快そうに顔を歪める者があった。恐らくは前者がファリウスの恩恵にあやかったものであり、後者がファリウスを快く思っていなかった者なのであろう。
 ルークの脳裏に、戦いの最中ずっと思い出さないようにしていたひとりの少女の姿が浮かんだ。
 ただ一度しか逢った事のない、名も知らぬモルタヴィアの少女   
 この戦いが終わったあと、何とかしてあの少女を探し出して妃にと思っていた。だがファリウスZ世のこの願いを聞き届けたら、それは永遠に叶わない。だがファリウスZ世の娘との婚姻は、ジルベールに対して反感を抱く旧モルタヴィア王政を支持している民を何の争いもなく平和的に納得させられる。モルタヴィアとジルベールの統合の支障を少なくしてくれる。モルタヴィアの王族・貴族たちも反乱の起こしようもなくなるのだ。
 見たこともない、名さえ知らぬモルタヴィアの王女を妃に……?
「陛下」
 揺れるルークに釘を刺すようにシルヴィアが促した。
 ルークはひとりの男性である以前に、国王であらねばならない。
 それがどんなに過酷なことか、解っていながらシルヴィアはそれを突きつけた。
 私情よりも国益を   
「……確かに聞き届けた」
 観念するように目を閉じて、ルークは静かに答えた。
「だが王政に深く関わっていた者は私の力を持ってしても助けることはできない」
「仕方、あるまい……」
 ファリウスは目を閉じ、大きく息を吐いた。
「どうせこの首討たれるならば……最期に剣士として死なせてはくれぬか」
 不治の病に冒され臥したまま死を待つだけの、そんな日々がどれほど苦痛であったか。独裁王ファリウスは猛将とまで言われた剣士だ。現役時代は常に最前線で戦ってきた。幾度か先代のシルヴィアやジルベールとも剣を交えたこともある。病に蝕まれているとはいえ、剣士としての誇りまで失った訳ではない。
 最期に試合っても、どのみちボロボロなその身体では勝ち目はないと、解っていても……それは独裁王、いや猛将と謳われた剣士・ファリウスの最期のわがままだった。
「では私が受けて立ちましょう」
 それまでファリウスを取り押さえていたシルヴィアが、そう言うなり老いた剣士を失礼のないように立ち上がらせた。
 王の相手を務めるべきはルークでなければならぬかとも思ったが、ファリウスは剣士として、と言った。ならばジルベール最強と謳われるシルヴィアが受けて立つのが礼儀だろう。ルークも一剣士としては優れているのだが、シルヴィアには及ばなかった。
「……剣を」
 床に倒れているモルタヴィア兵の剣を拾い上げファリウスに手渡すと、ルークは対峙するふたりの剣士から離れ、剣を収めた。
「……悔いのなきよう、全力を尽くせ」
 ファリウスには間合いを執ったりなどとしている余裕はない。次の瞬間にも発作が起きるかもしれないのだ。立っているのが精一杯であろうに、それでも駆け出しシルヴィアに斬りかかった。
 ……カァン!
 最初の斬撃を剣で受け止めて、その軽さにシルヴィアがぎょっとする。こんな力しか残っていないのに、まだ撃ってくるのか。まだ闘おうとするのか。
 これがモルタヴィアの剣士の誇りなのか。
 止められた剣をすぐさま(といっても非常に緩慢な動きではあるのだが)取って返し、今度は顔目掛けて突き出す。だが、当然のごとくそれはシルヴィアにいとも容易くかわされてしまった。
 三度、ファリウスの剣がシルヴィアを襲った。
 キィィン……
 高い音を立ててファリウスの手から剣が奪われ、宙で円を描いて捕縛されたままの王族たちのすぐそばの床に突き刺さった。
   覚悟!」
 シルヴィアの銀色の剣が閃いた。

 いい剣士だと思った。
 剣士として死なせてくれと言った自分に、自ら名乗りをあげて『剣士』として戦ってくれた。
 一瞬で決着はついたであろうに、自分の剣を受けてくれた。
 相手の誇りを守ろうとしてくれた。敵国の王であるにも関わらず。
 ルーク・ジルベールにはこんな部下がいたのか。
 ……それではモルタヴィアが適うはずはあるまい。
 こんな、謀と裏切りが跋扈する国では勝てるはずもない。
 最初から、適うはずが、なかった。

 一瞬だった。
 岩をも砕くという伝説の覇皇剣が、銀色の刃に紅の滴を飛び散らせ、ファリウスZ世の首を討ち取った。
 すべての時が止まったかのように、それは一瞬一瞬がやけに長く感じられた。
 まだ立ったままであるファリウスの胴から離れた首は、宙を舞い鮮血を撒き散らしながら床に落ち、王族たちの前を転がっていった。それは彼らにモルタヴィアの終焉を自ら宣告するようでもあり、何かを訴えるようでもあった。
 誰もが言葉を発することができないまま、転がっていく王の首を見つめていた。
 ごろり、とようやく首が動きを止めたのは開け放たれたままだったこの部屋の扉の前だった。ファリウスZ世は、最期にその人に逢いたかったのかもしれない。
 どこかに隠れていたのであろう、幼い少女が自らの足元に転がってきた首を見て、硬直していた。
「ロゼーヌさま!」
 後を追ってきたらしい侍女が慌てて少女を抱えて、無残な骸から目を逸らさせた。

 どう、と力尽きたように独裁王ファリウスZ世の胴が倒れた。
「父上……父上!!」
 侍女を振り払って少女はもはや何もその目に映すことのないファリウスの頭部を抱えて悲鳴をあげた。
 美しい栗色の髪は腰まで届くほどに豊かで、白い陶磁のような肌をさらに白くさせて震えているその少女。

 まさか、こんな形で、こんなふうに再会するなんて。
 何という皮肉なめぐり合わせなのだろう。

 ルーク・ジルベールが妃にと、一瞬で心奪われた少女が、そこにいる。
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