緑影騎士外伝『英雄王』

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1.

 この世に運命の出逢いが存在するのだと、生まれて初めて知った瞬間だった。

「…下……陛下……」
 どこか遠くで呼ばれているような気がするのだが、ルーク・ジルベールは頬杖をついてぼんやりと彼方を見つめたままにため息をつくばかりだ。
「……陛下」
 美しい栗色の髪は腰まで届くほどに豊かで、白い陶磁のような肌をわずかに紅潮さs
「いい加減にしろルーク!」
 ズガンっ!!
「いってぇ、何すんだよ!」
「何すんだよ、じゃないだろ。会議中にぼけーっとしてるお前が悪い」
 思い切り頭をぶん殴られたルークは患部を手でさすりながら、その凶悪な男を涙目ながらも睨み返した。国王であるルークを殴り飛ばした黒髪の男はすました顔で椅子にかけ直している。
 この男こそ黒髪の魔法剣士と敵に畏れられ、味方からは黒髪の騎士と謳われているウュリア・シルヴィアと誰が思うだろう。……まさか、自分の主君である国王ルークを拳で殴るだなどと。
「今回はウュリアが正しい。私たち三人きりの非公式の会議とはいえ、王であるお前が上の空でいてもらっては困るな」
 静かな声で冷静にお説教してくるのはリーヴ・アープ。背中まで伸びた長い金髪をひとつに束ねている神経質そうな彼は、世間では金色の魔道士と呼ばれている。その見事な金髪を風に泳がせながら自在に風を操り炎を起こす姿は、一度見たら忘れられない。
 王の部屋にこのふたりが集まるときは、たいてい三人だけの非公式の会議であることが多い。王であり政を司るルーク、武力攻撃の主力であるウュリア、その後方支援と作戦を練るリーヴ。後に三英雄と呼ばれることになる彼らは祖父の代からの幼馴染だった。
「で、本題に戻るんだが……」
 言いかけたリーヴが小さくため息をついた。何故ならたしなめたばかりのはずのジルベール国王が、すぐにまた上の空になられてしまったからだ。ウュリアと目配せして肩をすくめると、半ばあきらめ気味に書類を机の上に投げ出した。
「……本題に戻る前にはっきりさせておこうか。ルーク、お前何かあったのか」
 三人は幼馴染だが互いの立場の都合上、ルークを名前で呼ぶのは三人きりの時だけだ。公の場や私的な場でも身内以外がいる時は必ず『陛下』と呼んでいる。この若き王もまた公の場ではふたりのことを姓で呼び捨てている。
 信頼の置ける臣下であり戦友であり幼馴染であるふたりの視線を受けて、それでもなおためらっていたようだったが、ルークはようやくボソボソと口を開いた。
「……ついこの前なんだが……ちょっと馬で出たときに、ある少女に逢ったんだ……」
 そこまで聞いて、ふたりははあとため息をついた。これまでの傾向からして少女のあまりの美しさに心を奪われたーとか言い出すのであろう。そういえば2、3日前にふらっと丸一日いなくなったことがあったが、そのときだろうか。……ちなみにこの国王はある日突然一日姿を消すということをやらかすので、大事ないときであればこのふたりはあまり気にしなかったりする。それを友情と呼ぶのか薄情と呼ぶのかは永遠の謎である。
「はあぁ…。で? どこの少女なんだそれは」
「……モルタヴィアの、多分貴族の娘……」
 ……。
 ………。
 ……………。
「「はいぃぃぃぃぃぃぃ             !?」」
 ウュリアとリーヴの見事なハーモニーがステレオでルークの鼓膜を攻撃した。
「多分妹と同じくらいの歳だと思う……そりゃ歳が違いすg」
「「ちょっと何考えてるんだ待てお前ひとりでモルタ敵国だぞヴィアってわかってるのかモルタ仮にもヴィアって国王がーーー!?」」
「同時に言われても解らん……」
「「だーかーらー!!」」
 訳:ウュリア「ちょっと待てお前モルタヴィアってモルタヴィアって」 リーヴ「何考えてるんだ、ひとりで敵国だぞわかってるのか仮にも国王が」となります。
「偵察に行ってきたんだよ。その、自分で見た方が早いから……」
 国王がこんなんでどうして今まで大丈夫だったんだジルベール。そう思わずにはいられないふたりだった。揃いもそろってふたりして頭を抱えて机に撃沈している。
 独裁王が病に倒れたと伝えられてから随分とたつ。敵兵の士気は下降の一途をたどり、あとはいつ決戦の日を迎えるか、というところまできている。その日を見極めるための会議の最中だったのだが、まさか自分の目で単身確認に行くとはいったい誰が思うであろう。大胆といえばそうなのだが、一国の王が取る行動としてはあまりにも慎重を欠いている。
「まさかバレなかっただろうな」
「ジルベールの紋章が入ったものは着けてなかったし、フードも目深だったから気づかれてはないはずなんだが……」
「ルーク、お前その少女と何か話したりしてないだろうな?」
 冷静さを取り戻したリーヴが真剣にルークに詰め寄った。例え少女といえど、もし何か感づかれてモルタヴィア軍の耳に入りでもしたらどうなることか。
「……話してない」
 女神が降り立ったかのような美しさと凛々しさと、少女らしいあどけなさを同居させた彼女に声をかけるだなんてことは、とても考えられなかった。思ったとしても何を話していいか解らずに立ち尽くしていたに違いない。ただ道端に咲いていた白い小さな花を摘んで、無言のまま差し出しただけだ。それを少女がはにかみながら受け取ってくれたという、たったそれだけでルークは完全に舞い上がってしまった。それを悟られないように立ち去るのが精一杯だったのだ。
「それならいいんだが」
 この決戦間近というときに浮かれてくれるなと睨みつけてからリーヴは椅子に掛け直した。ウュリアも納得いかないようではあったがリーヴに倣って座りなおす。
「直に見てきてどうだった、向こうの様子は」
「ああ。民は長い戦と独裁政治に疲れているし、兵士たちも絶対的な存在だったファリウス王が病で明日をも知れぬ状態とあって、相当揺れてるな。向こうと連絡が取れ次第、今すぐにでも攻撃を仕掛けられる。……隙だらけだ」
 モルタヴィアは民も兵も限界だった。王宮内では血縁同士でいがみ合い、それを押さえることのできる唯一の存在である国王は病に伏し、今や誰もがモルタヴィア王政に絶望している。そんな民の中でジルベールと手を結び協力してくれる貴族もいた。
 あとは作戦の準備が完了し次第、モルタヴィアに総攻撃をかければいい。
「連絡を待つだけ……か」
 先鋒を受け持つであろうウュリアが腕組みして静かに息を吐いた。
「ルーク」
 どこか重い面持ちで自分の拳を見つめたままの国王に、そちらを見ることもなくウュリアが呟いた。
「今はただ、この長すぎた戦を終わらせることだけを考えろ。俺たちは全力でお前の指揮に従うまでだ。戦が終わればお前が誰とともにいたって俺たちは文句は言わないさ」
「……そうだな」
 それからならば、誰も文句を言いはしない。
 ルークは苦笑して目を閉じた。
 そう、あとは連絡を待つだけ   

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