緑影騎士−竜騎士の降臨−

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9.

 翌朝リグルが起きたときには隊商のメンバーはまだ夢の中だったが、カディールの紹介状はすでに作成されていてガゼルが預かっていた。エリスを起こして朝食を食べると、荷物を用意して馬で目的の領地へと向かった。
 時折地図を広げ、休憩を取りながらも夕暮れ前には目的地へと到着した。ガラス工芸が有名で商人が買い付けにくると聞いていたが、まだ日も暮れていないというのに路地は閑散としていた。店もほとんどが閉まっている。
 カディールから聞いた酒場に向かうと、本来であればこれから混雑する時間であろうに、広い店はがらんとしていた。数人の客がぎろりとリグルたちに目を向けて、興味なさそうに手元のコップを傾ける。店主はカウンターの中でひとり酒を飲んでいた。
「すみません、カディールからの紹介なんですが」
「……おう、そっちの客か。時期が悪かったな、今あんまり景気がよくなくてよ」
 店主はリグルから紹介状を受け取ると、びりりと雑に封を開け、酒を片手に無言で目を通した。
「で、注文は」
 紹介状に何が書かれていたのか、店主は内容には触れなかった。てっきり盗賊のことを言われるものと思っていたリグルは一瞬戸惑ってから、軽い食事を注文した。カウンター越しに食事の用意をしながら店主がカディールから聞いているかもしれないが、と前置きしてこの領地の現状を教えてくれた。
 カディールから聞いていたのとほぼ同じで、領主が病で急逝したこと、後継者が決まらず、前領主の子か腹心かで揉めているところに前領主の反対勢力が現れて三すくみ状態であること、盗賊が好き勝手に暴れ放題であること、公的な自衛制度が機能しないため自分達で自衛するしかないが、盗賊が軍隊のように統率されており手に負えないこと。
「最近じゃあ後継者争いをしてる三派閥がそれぞれに税の徴収に来やがる。これじゃあどっちが盗賊か分からねえって話だよ」
 ふんと鼻を鳴らして店主が料理を並べた。
「うちも割と広い店だからな、後継者争いのバカどもと盗賊のどっちにも目をつけられやすい。だから護衛を雇ったのさ。ま、商工会の力自慢が持ち回りでな」
 店主が顎で示した先に、リグル達が入店した時に睨み付けてきた客がいた。そういうことかと納得する。
「手紙に書いてあったがガラス工房の見学だったな。このご時勢だ、閉めちまってる工房も多いぜ。まあ紹介状は書いてやるがあんまりアテにするな。あと今夜の宿だな。今は身元の分からない奴は泊まれねえ。こっちも紹介状を書く。飯でも食いながら待ってな」
 そう言い残して店主が奥に入ると、リグルとエリスは言葉も少なく料理を取り分けて食べ始めた。ハッキリとした味のガゼルの料理に比べると味がぼけて感じられる。もしかしたら調味料も入手が難しくなっているのかもしれない。
 そんなことを考えながら食べていると、店主が封筒を持って戻ってきた。
「店の前の大通りをまっすぐ行って、一本入ったはずれの宿屋だ。リグルだったな、ここまでは歩きか馬か」
「馬です」
「じゃあ繋ぎ場に預けてきただろ。そこの宿屋なら馬も預かれる。宿屋に行く前に繋ぎ場に寄って馬を連れていくといい」
「そんな大きな宿屋なんですか」
「そりゃ隊商がいつも利用する宿屋だからな。大人数だろうが荷馬車だろうがどんとこいだ。最近護衛に剣士を雇ったそうだし、少しでも安全な方がいいだろ」
 店主がちらりとエリスを見る。
「ありがとうございます。じゃあ、本格的に暗くなる前に行くことにします。ごちそうさまでした」
 代金をテーブルの上に置くと、リグルは店主から封筒を受け取ってエリスとともに店を出た。入るときにはまだ空は明るかったが、太陽は西の空に沈む手前で、路地の奥はだいぶ暗くなっていた。
「リグルさん、宿屋の場所は分かるの?」
「紹介状と一緒に簡単な地図をくれたよ。繋ぎ場に戻ってからだと別の道から行った方が早そうだ。暗くなる前に急ごう」
 エリスの手を引いて、リグルは足早に歩き始めた。

 繋ぎ場からは馬を走らせたので夕焼けの名残がある内に宿屋に着いた。宿屋の主人に紹介状を渡すと、封筒の署名を見て「ああ、分かった」と部屋に案内された。
「じゃあ、部屋はここで。最近夜は治安が悪いんでな、風呂は昼間しかやってねえ。疲れてるところを悪いが明日まで我慢してくれ」
「……え、あの」
 困惑したエリスの目がリグルを見上げる。
「あの、すみません。他に空いてる部屋はありませんか」
 エリスの視線を受けてリグルが訊ねるが、
「他に客なんかいねえよ。夜は治安が悪いって言ったろ。嬢ちゃんをひとりで泊まらせるのは薦められねえなあ。別に問題ねえだろう」
「……ええ、まあ」
 部屋の鍵を受け取ると、宿屋の主人の背中を見送ってから困惑したままのエリスを促して部屋に入った。
 広めの部屋にベッドがふたつ。角部屋だが窓はひとつで今は閉められている。明かりを灯すとリグルは小さくため息をついて荷物を下ろし、入口に近い方のベッドに腰を下ろした。
「エリスは奥のベッドを使って。窮屈な思いをさせてごめん」
「あ、ううん。全然、そんなの」
 問題はそこではない。リグルと二人で聖母なる森で過ごした時も、ドワーフの村で過ごした時も、いずれもリグルとは部屋は別々だった。同じ部屋で寝ることなど──ジルベールでの戦いの後、壁にもたれて一緒に寝てしまったあの時くらいだ。
 荷物を持ったままエリスがまごついている間に、リグルは荷解きをしてベッドの上に地図を広げていた。
 意識しているのは自分だけかと小さくため息をついて、エリスも荷物を置いてベッドに腰を下ろした。
「エリス」
「は、はい」
「寝る時、剣をすぐ手の届くところに置いておいて。それからこの地図で現在地を確認しておいてほしい。もし追われたり、逆に追うことになった時に地理は重要だからね」
 リグルの意識はすでに盗賊に向けられている。自分だけがリグルを意識してしまっていることに恥ずかしさと寂しさを覚えながら、エリスは地図を受け取った。酒場の店主から貰った地図は酒場とこの宿屋に印がつけられ、周辺の細かい路地まで書き込まれている。
 エリスが地図に見入っていると、
「何か飲み物をもらってくるよ。エリスに聞きたいこともあるし」
「え……聞きたいことって?」
「うん、後で」
 そう言ってリグルは部屋を出た。
 エリスは昨日修行から戻ってきたばかりで、その成果を見ていないばかりかどんな修行をしたのかさえまだ聞いていない。人間界と精霊界の狭間へ行く前までの魔法の修行はある程度は把握しており、実戦で使いこなせるならば盗賊と戦う分には問題ないだろうと思っている。その実戦もかつてジルベールで革命軍として戦っていたことを考慮すれば、いざというときに恐怖で身を竦ませてしまうこともないだろう。
 問題は剣術と、剣と魔法を組み合わせた戦闘である。どれくらい戦えるのか、一度手合わせしておきたかったが今回はその余裕がなかった。
 出発を一日遅らせても良かったのだが、ガラス工芸を見たいというエリスの要望と──リグルには確かめたいことがあった。
 戸締まりをしている宿屋の主人に飲み物が欲しいと声をかけると、少し待ってろと返事があった。戸締まりを終えて厨房に向かい、きれいなガラスポットに入った香草水と繊細なカットが入ったグラスを渡された。
「さすがガラス工芸で有名な領地だけありますね」
「おう、こいつぁ知り合いの職人が作ったティーセットでな。他にもガラスの食器なんかも自慢なんだが、最近のこのご時勢だ、いい野菜や果物なんかが外から入ってこなくてな。ガラス皿の果物盛りなんか人気だったんだが、今はなあ……」
「よそとの交易が途絶えてるんですか」
「途絶えてるというか、関税がなんちゃらと面倒なことになってるらしい。まあ、さっさと領主を決めちまわないとここでの商売は潰れちまうわな」
 宿屋の主人の深いため息を聞いていると、つられて気分が沈んでしまう。それに気付いたのか宿屋の主人が思い出したように、
「紹介状を見たぞ。ガラス工房を見学したいんだったな。そのティーセットを作った職人を紹介するぜ。それからカディールの知り合いだって? 剣の腕が立つそうだな」
 少しわざとらしく明るい声で話題を変えた。
 酒場の店主は特に何も言わなかったが、カディールからの紹介であることを書いてくれていたらしい。
「はい、それで最近剣士を護衛に雇ったと聞いたんですが」
「あいつと知り合いかい? 元々はカディールが護衛に雇ってたんだが、盗賊の噂を聞いてわざわざ戻ってきた物好きだ。知らねえよそ者ならこっちもお断りだったんだが、カディールが寄った時に一緒にうちに泊まってるから知らない訳でもねえ。いい剣を持ってるし、それなりに腕は立つだろうと思ってな」
「俺も会ったことはないんです。ただカディールからわざわざ引き返したと聞いたので、もし会えるなら手合わせ願いたいなと思ってたんですけど」
「そうだったか。宿を閉めた後は外回りだな。朝まで宿は開けねえから、会うなら夜が明けてからにしてくれ。無愛想な奴だから話が合うかは知らねえがな」
 そう笑って宿屋の主人は自室へと入っていった。リグルも見届けてから部屋に向かう。
 ノックしてから部屋に入ると、エリスはベッドに座って地図を眺めていた。リグルの持ってきたティーセットに気付いて目をきらきらと輝かせる。
「すごい、きれい!」
「ここの主人の知り合いの職人が作ったそうだよ。紹介してくれるそうだから、工房を見学できるね」
「本当に!? 嬉しい、すごい楽しみ!」
 香草水を注いだグラスを手にエリスが嬉しそうに笑うのを見ていると、リグルもつられて嬉しくなってしまう。グラスの香草水を飲み干して、
「エリスに聞きたいことがあるんだけど」
「……はい」
 エリスが姿勢を正す。
「そんな畏まらなくていいよ。どんな修行をしたか教えて欲しいんだ。それで一度手合わせしたい。どれくらい動けるのか確認しておきたくて」
「手合わせ……リグルさんと」
「俺は剣術と魔法を組み合わせた戦い方は知らないから、実戦でどう使うのか知りたいし。盗賊と戦うことになってエリスを戦力とするなら、ちゃんと知っておきたい」
 可能であるならばエリスに戦わせたくはない。リグルは何があってもエリスを守るつもりではいるが、相手が軍隊のように統率のとれた盗賊となると分が悪い。
「うん……」
 何となく遠くに感じていた盗賊退治が急に身近なところにやってきて、エリスは小さく息を呑んだ。盲目のエルフとの修行を思い出して、揃えた膝の上で小さく拳を握る。
「魔法は今までも使えたものの威力の底上げと、使える種類を増やしたの。火や風の他に雷や水、それらを組み合わせたものとか。他には補助的な魔法ね。剣に属性を付与するとか、防御力を上げるとか──」
 リグルに無言で手で制され、エリスは戸惑いながら口をつぐんだ。そのまま数秒の沈黙が流れ、エリスがそれに気付いた。
「え……、鐘……?」
「エリス、剣を持って」
 ベッドから立ち上がり、すぐそばに置いてあった破邪の剣を手に取った。
 ガンガンと外から聞こえてくる、それは警鐘だった。

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