緑影騎士−竜騎士の降臨−

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8.

 随分と多くのことを話した。話し終える頃には周囲はすっかり暗くなり、何人かはテーブルに伏せて寝落ちしている。
 リグルの父ウュリアが殺害され、母ベルティーナを連れ去られたこと。父の最期の言葉に従ってジルベールに戻り、幼馴染であるエリスとその兄ディーンに再会したこと。幼馴染が反乱軍として戦っていたこと。数年前に国王ルーク・ジルベールは崩御しており、子がなかったためルーク王の遺言により、王妃──かつての敵国であり亡国の王女であるロゼーヌが王位を継いだこと。そしてある時より突然国民を弾圧し、独裁政治を始めたこと。その皮切りはルーク王の腹心であり幼馴染でもあった、エリスの両親──リーヴ・アープとその妻サウィンの監禁であったこと。
 反乱軍に合流したリグルは、母ベルティーナを公開処刑から救おうとして逆に捕らえられ、エリスと共に封じの塔に監禁されたこと。そこでエリスの両親の遺体を発見したこと。監禁されていたベルティーナを救出するも、魔法で自爆し、塔もろとも崩壊したこと。その足で反乱軍と共に王宮を襲撃し、女王ロゼーヌを討ったこと。
 そして反乱軍のリーダーであったディーンが新たな王となるのを見届けることなくジルベールを後にしたこと。追いかけてきてくれたエリスの手を取ったこと。
 カディールは酒を飲みながらそれらを静かに聞いていた。その間エリスはリグルの肩にもたれたまま眠っており、よほど疲れていたのか目を覚ます気配はない。
「……それで遺言に剣を鍛えよってあったから、こっちに来たんだ。それがだいたい半年前。剣と魔法の修行でエリスが人間界と精霊界の狭間に行ってて、半年振りに帰ってきたのが今日だよ。相当疲れたんだろうね、ぐっすり寝てる」
 安心しきってリグルに身を委ねているエリスの髪を優しく撫でると、わずかに身じろぎをして再び規則正しい寝息を立てた。
「カディールは一角獣って知ってる?」
「たまに一角獣の角だと言って売りつけてくる怪しい奴もいるくらいには有名だぞ」
「え、そんなに?」
「一角獣の角は万病に効く薬だとか、不老不死になれるとか、実在するなら喉から手が出るほど欲しい奴はいくらでもいるような伝説の代物だ。実際には獣の牙とか骨だろうし、うちでは取引しないな。なんだリグル、お前も興味があるのか」
「興味があるというか……」
 まだ酒が入ったままのコップを握りしめて、リグルは声を落とした。
「今話したエリスの剣、遺言には粉を混ぜて剣を鍛えろってあったんだ。その粉をギズンに見せたら一角獣の角だって言われて、だから剣には聖属性が付与されて邪なものへの攻撃力が増すらしくて──ただ遺言にはその粉が何であるのかは書かれていなかったし、どうなのかなあって……」
 エリスが眠っていることを何度も確認しながら、リグルが口をもごもごさせる。
「なるほどな。戦中は参謀として活躍した金色の魔道士殿が、存在すら疑わしいものに手を出すとも思えないし──少なくとも一角獣の角とは認識してないんじゃないのか」
 難しそうな顔をしたリグルにカディールが続ける。
「俺には難しいことは分からんが、似たようなものを生成するような魔術とかがあるんじゃないか? まあ、もう確認することはできないし、その剣で試し斬りするくらいしか真偽をはっきりさせられないだろう」
「試し斬りって、エリスに人を殺せと?」
「剣を持っていればいつかはそうなるだろう。まして修行もしたんだ。試し斬りとまでは言わんが、いずれは人を斬ることになるだろう。聖属性はともかくとして、ギズンが鍛えた剣なら切れ味は抜群だろうな」
 にやりと笑ったカディールとは対照的に、リグルが渋い顔をしてひとくち酒を飲んだ。酒の強さに眉間に皺が寄る。
「そうだ、もうひとつ気になってたことがあって」
「ほう」
「全身に赤い痣ができていくような病気なんて聞いたことあるかな。痣が全身に広がっていって、できはじめてから半年くらいで死に至るみたいなんだけど」
「痣……? 発疹ならともかく、痣となると聞いたことがないな。ジルベールで流行ってるのか」
「流行ってはいないと思うけど──俺が聞いた限りでは三人。ルーク王と女王、それにモルタヴィア王ファリウスZ世」
「……ほう。確かモルタヴィア王が病に臥せって兵士の士気が落ちたところをジルベール軍が攻め込んだんだったな。そんな病だったのか」
「女王はそれを間近で見ていて、ルーク王が発症した時もすぐに気付いてずっと看病していたそうだよ。ルーク王崩御から数年経過して、女王自身も発症してる。感染するような病じゃないと思うんだけど」
 表向きはルーク王の病も詳細は伏せられていたし、女王も病のことは公表されてないけどね、と付け加えた。
「どうだろうな。案外市井では流行ってるのかもしれんぞ」
 カディールが自慢の髭をさすりながら続ける。
「全身に赤い痣だろう。見た目の印象が強烈だからな、差別を恐れて明らかにしないだけで、実は流行っている可能性もなくはない」
「だとしたら何か噂くらい……」
「お前がジルベールにいたのは数日なんだろう? まして戦いの最中だ、反乱軍だってそんな噂話どころじゃあるまい」
 それもそうかとリグルが気を取り直して、通りかかったガゼルから受け取った果実酒をひとくち飲んだ。とろりとした甘さが口の中に広がる。
「病と言えば、近くの領地で領主が病で急死して面倒なことになっていたな」
「後継者問題とか?」
「前領主の子か腹心かというところに、前領主の反対勢力が出てきて混乱を極めている訳だが、そこを盗賊に襲撃されたらしい」
「え? でも盗賊くらいなら……」
「普通ならな。自警団はあるんだが、統率された盗賊で軍隊のようだったらしい。上が揉めてるせいで指示系統が機能せずに蹂躙され放題、上は上で責任の押し付け合い、目を覆いたくなるような惨状らしいぞ」
 カディールがぐいと酒を呷る。
「盗賊が現れたのは俺達が領地を出てからだから伝聞でしかないがな。実際に目にしたのは領主を失った後の混乱だけだ。──それを思えば生前に次期国王を決めていたジルベール王は賢明だったな。かつての敵国の王女を王にするくらいなら金色の魔道士殿を、と思う者もあっただろうが、その金色の魔道士本人が王位を王妃にと宣言したのであれば反対もできないだろう。無駄な混乱を避けられた訳だ。その後のことまで前王に責任を問うのは酷だろう」
 リグルはコップを握りしめたままだ。
「ようリグル、エリスが帰ってきたってのに何を渋い顔してるんだよ」
 給仕に徹していたガゼルがカディールの隣に座って、手にしていたコップの酒を豪快に飲み干した。
「何だよ何だよ、エリスは寝ちまったのか。かーっ、お前にもたれて安心しきった顔で、かわいいよなあ」
「止せガゼル、リグルが警戒してる」
 眉間に皺を寄せたリグルを二人がにやにやと眺めている。何となく面白くなくてガゼルのようにコップの酒を飲み干せば、甘ったるい酒が喉に刺さってむせ込んでしまった。
「おい大丈夫かよ」
「変に意地を張るからだ」
 リグルの肩にもたれて寝入っていたエリスが、むせ込みに揺さぶられてびくりと目を覚ました。
「ごめ、エリス、起こしちゃって」
 ようやく落ち着いたリグルを寝ぼけ眼で見つめ、しばらくぼんやりとしていたエリスだったが前に座る二人の笑い声でようやく意識をはっきりさせる。
「え、あ、ごめんなさい、私寝ちゃって……」
「おうエリス、ちゃんとメシは食ってくれたか?」
「うん。ガゼルさんの料理、みんな美味しかった。えっと、その……」
 ガゼルの隣に座る細身の髭の男を見て言葉を濁す。
「初めましてエリス。俺は隊商の長カディールだ。以前ジルベールにも行ったことがあってね、ウュリア殿やリーヴ殿にもお会いしたことがある。リグルから聞いたよ、剣と魔法の修行をしたそうだね」
 突然商売用の顔になったカディールにリグルが小さくため息をついたが、これが初対面であるエリスが気付くはずもなく、手を差し伸べられて素直に握手をする。
「はい、ちょうど今日修行が終わったところで」
「さっそくだが修行の成果を試してみたくはないか? 近くの領地で盗賊被害が出ていて困っているそうだ」
「待っ……」
「お、いいねえ盗賊退治!」
「もし君達が盗賊退治をしてくれるというのなら、知人に紹介状を書こう。現地でのことは取り計らってくれるだろう。あと、その領地の特産品はガラス製品でな。欲しい物があるなら割引するように口添えをしよう」
「エリス、無理に引き受けなくていいから」
 カディールがさりげなく『君達』とリグルを巻き込んでいることに気付かないはずもなく、面白がっている二人を牽制するようにエリスの手をそっと握るのだが、彼女はガラス製品という言葉に青い瞳をきらきらと輝かせていた。
「ガラス製品って、ガラスのお花とか?」
「ああ、そういう置物系もあるし、実用的なコップや保存容器もあるぞ」
「ガラスのお花……」
 子供の頃、エリスはリグルの家にあったガラスの花の置物がとても好きだった。リグルの母ベルティーナが幼い頃に兄王から贈られた物だと聞いた。ジルベールにはないものだったから、以前隊商が訪れたときに買った物なのかもしれない。
「あの、盗賊退治ができるかどうかは分からないんですけど、行ってみたいなって……いうのは、だめですか」
「それはそれで大歓迎だ。いずれにせよ紹介状は書こう。明日の朝には用意しておく」
「はい、お願いします」
「今日は君と話せて良かった。邪魔して悪かったね、エリス。良い夜を」
 あれだけ強い酒を飲んでおいてふらつくこともなく、カディールはコップを持って席を立ち他のテーブルへと移動していった。ガゼルも後を追うように席を立って、空のコップが目立つテーブルへと酒を注ぎに行く。
「エリス、真に受けなくてもいいんだよ」
 リグルが心配そうに顔をのぞき込めば、エリスが楽しそうな笑顔をはっと凍らせて、
「ごめんなさい、あの、勝手に決めちゃって」
「それは気にしなくていいよ、エリスが行きたいと思ってるならそれで」
 いつもの穏やかな笑顔にほっとする。
「盗賊の件は分からないけど、いろんなガラスを見てみたくて」
「そういえばうちにあったガラスの花、好きだったよね」
 祖国を出る時に持ち出せなかったとベルティーナが悔いていたのを思い出す。
「うん、あれきれいだったなあって……」
 エリスも思い出したのか、少し遠い目をした。
「じゃあ、明日の朝は早いのかしら。今夜の内に準備しておいた方がいい?」
「今夜はもう寝た方がいいよ。顔が赤いし」
「えっ、私酔ってる?」
「疲れてるのもあるだろうしね。部屋まで送るよ。隊商のみんなに付き合ってたらいつまで経っても眠れない」
 立ち上がったリグルに促されてエリスも立ち上がると、一瞬身体がふらついた。リグルにそっと支えられながらテーブルを離れ宿屋へ向かうと、すれ違う人が皆おやすみと声をかけてくれ、エリスはひとりひとりに返事をした。
「リグルさんは?」
 エリスは部屋のベッドに腰掛けると、部屋を出ようとしたリグルに声をかけた。
「部屋って空いてるの?」
「んー、俺は戻ってもう少し話してから隊商の皆と野宿するつもりだよ。現地の様子とか、聞きたいこともあるし」
「ねえ、ガゼルさんも言ってたけど野宿って?」
「隊商は大所帯だからね。町に行っても宿屋が空いてるとは限らないし、空いてたとしても全員で泊まると宿代がかかるから、たいてい野宿なんだそうだよ。野宿と言っても設備はちゃんと整えてるから、一度俺も隊商の皆と野宿してみたかったんだ」
「リグルさん、楽しそう」
「そうだね。ちょっと楽しいかも」
 部屋を出ようとしていたリグルが踵を返してエリスのすぐそばにやってくると、優しく金色の髪をなでた。
「修行お疲れ様、エリス。おやすみ」
「おやすみなさい」
 エリスはベッドに横になり、リグルが部屋を出るのを見届けると──静かに目を閉じ、眠りに落ちていった。

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