緑影騎士−竜騎士の降臨−

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2.

 光の柱が大気に溶けると、目の前に広がるのはやはり森だった。しかしよく見ればつい先程までいた場所とは違うことが分かる。
 エリスが振り返ると、つい先刻まで目前に見ていたはずの崖が背後にあった。崖を挟んだ向こうとこちらで大して風景に違いはないが、周囲の木の並びや根の張り具合で先程とは違う場所であることが見て取れる。
「じゃあ、行こうか」
 足下に並べられていた石をひとつだけ外すと、リグルは馬の手綱を引いて歩き出した。エリスもそれについていく。
 どれだけか森を進んで、リグルがふと足を止めた。
「どうしたの?」
「──お迎えかな」
「お迎え?」
 リグルに倣って立ち止まり耳を澄ましても、風に揺れる葉の音しか聞こえない。周囲を見回してもエリスの目には人影は見えなかった。馬にも何の反応もない。
「何だ、迎えに来てくれたんじゃないのか?」
 リグルが誰もいないはずの森に向かって話しかけると、数呼吸の沈黙の後に近くの木の枝が大きく揺れた。
「いやあ、邪魔だったかなと思ってな。ようリグル、久し振りだな。で? で? こっちの別嬪さんは?」
 森の影から現れたのは、エリスと同じ背丈くらいのがっしりとした体格で、短い髪に髭を蓄えたきこり風の男だった。年は十程は上だろうか。がははと豪快に笑いながらエリスの顔をのぞき込む。
「やめろって。エリスがびっくりしてるだろ」
 顔をひきつらせたエリスに笑いながらすまないと謝罪にならない謝罪をして、きこり風の男が大袈裟に両手を広げた。
「俺はガゼルだ、よろしくな」
「あ、はい、私はエリス……え、あの」
 戸惑うエリスに配慮する気は微塵もないらしいガゼルが彼女の両手を強引に握って強く振った。
「リグルとは昔からの付き合いでな! こいつ、あんまり自分のこと喋らないし何考えてるか分からねえこともあるけどよ、まあいい奴だから! な! よろしくしてやってくれよ」
「え、あの、はあ……」
「おいガゼル」
「あー最近来ねえなと思ったら、そうかそういうことか! めでてえ、今日は祝い酒だな」
「ちょっと待て、何か勘違いしてないか」
「照れるな、いいじゃないか別に。さあ、エリスだったな、村に案内するぜ」
 笑いながら背を向けて歩き出すガゼルに、エリスはすっかり呆気にとられて呆然としてしまっていた。
「ごめん。ガゼルは昔からああなんだ」
「え、ああ、ううん。お友達?」
「友達……かなあ。まあ、いろいろ世話になったし、いい奴だと思うよ」
 苦笑したリグルが促すようにエリスの背中を軽く押した。
「さあ、行こうか。置いて行かれるのも癪だしね」
 馬を引いて歩き出したリグルの背を見つめて、エリスはガゼルの容姿を思い出す。
 その髪は森の中でも見紛うことのない──漆黒だった。
 黒髪黒瞳、それはシルヴィアの絶対の証。シルヴィアの他に存在しないはずの色が、そこにある。
 シルヴィアの遠縁かと思ったが、リグルはそれについて触れはしなかった。また初対面のエリスにガゼルもそういった自己紹介はしなかった。
(シルヴィアの他にも黒髪が……?)
 エリスは黙ってリグルの後を追った。



 そびえる山脈を背に四方を森に守られたその村は、こじんまりとしていながらも頑丈そうな造りの家が並び、ところどころ煙突から煙が上がっていた。
「で、お前ら、今日はどうするんだ?」
 立ち止まったガゼルが二人を振り返った。
「ギズンに用があるんだ」
「ギズン? お前、そんな立派な剣があるのにまだ剣がいるのか?」
「ちょっとね」
 呆れるガゼルに詳しく語ることはなかったが、エリスが頼んだことだろう。ギズンとはこの村の鍛冶屋のことであるらしい。
「まあ構わんけど、宿はどうする?」
「世話になるよ」
「おう、そうこなくちゃな。じゃあ馬と荷物は預かっとくぞ。旨い酒を用意して待ってるからな」
 笑いながらリグルの背を叩き、エリスに手を振ると、ガゼルは馬の手綱を引いた。馬は抵抗したのだが、リグルに幾度かなでられると仕方ないとばかりに静まり、ガゼルの後をついて行った。
「疲れてるだろうけど、もう少し頑張れる?」
 心配そうなリグルに、
「大丈夫よ。鍛冶屋さんに行きたいって言ったのは私だもの。剣なんてすぐにできるものじゃないし、早いに越したことはないわ」
 エリスが笑顔で応える。
 にっこりと笑っても疲れを隠しきれるものではなく、そうだねとリグルが彼女の手を取ってゆっくりと歩き始める。すぐにその意図に気付いたエリスは、気遣わせてしまって申し訳ないという気持ちと嬉しさが入り交じって言葉にもならず、ただ小さく頷いた。
 少し俯くと視界に繋いだ手を捉えた。
 繋いだ手が、温かかった。

 リグルが立ち止まったのは煙突のある半円形の離れがある家の母屋の前だった。扉をノックすると、家の主らしき声が誰何もなく開いてるよ、とだけ答えた。不用心なと呆れるエリスをそのままに、リグルが静かに扉を開ける。
「へえ、酒の匂いがしないなんて珍しい」
 家に入るなりのリグルの発言にエリスが目を瞬かせる。
「誰かと思えばシルヴィアの坊やじゃないか。うちに来るなんて珍しい」
「もう子供じゃないんだから、坊やは……」
「私からみればまだまだお前なんて子供だよ。おや、他に誰かお客さんが?」
 ちょうどリグルの背に隠れるようにして立っているエリスからは家の主が見えない。親しげに話す二人の間に割って入るのもと、入口で立ち止まったままだった。
「紹介するよ。彼女はエリス。俺の幼馴染だよ。ギズンに仕事の依頼だ」
 一歩出てリグルの隣に立ったエリスは、挨拶をしようとして一瞬言葉を飲み込んだ。
(黒……)
 ギズンは鍛冶屋という仕事柄か筋肉質で、だがガゼルよりもやや小柄だ。目尻に刻まれた皺から判断すると初老というところだろうか。腹まで届こうかという長い髭は三つ編みされて、ご丁寧に赤いリボンで結わえられている。腰まで届こうかという長い髪も三つ編みにされていた。いずれもところどころに白いものが混じってはいたが、それは確かに漆黒だった。
 呆然とするエリスを見て、ギズンがたまらず吹き出した。
「っはははは! その顔!」
 固まったままのエリスを指さして、ギズンが大声で笑い転げた。何を笑われているのかさっぱり解らないエリスは救いを求めるようにリグルを見つめるのだが、彼もまた必死に笑いをかみ殺しているようで、両者の顔を見比べて困惑する。
「え、あの、何? 私何かしたの?」
「す、すまんね、つい昔を思い出して」
「ギズン、余計なことは言いっこなしだよ」
 固まったままのエリスに、目尻に涙を浮かべながらギズンが息も絶え絶えに説明する。
「昔この子がここに来たときも、あんたと同じように驚いてたからさ。あんまりそっくりだったからつい思い出しちまってね。気を悪くしたならすまないね」
「だから余計なことは言いっこなしだって」
「笑うは覚えのある証拠じゃないか。どうせこっちの嬢ちゃんが驚くのを見たくて髪のことを黙ってたんだろう?」
 ギズンの言葉にリグルを見れば、エリスの視線を受けて苦笑している。
「リグルさん、ひどい!」
「ごめん」
 謝りながら、まだその目が笑っている。
「その様子じゃこの村のことは何も聞いてないだろう?」
 エリスがリグルを睨みつけても、目を逸らされてしまった。雄弁な沈黙にギズンが笑って続ける。
「ここは分かたれた『聖母なる森』に守られたドワーフの村だ。私のような武具を造る鍛冶屋の他に鎧を造るのもいるし、金細工が得意な奴もいる。自慢じゃないが世間で名工の作と言われてるやつはだいたいここの村のもんが多いね。小さい村だがそういったものの買い付けに来る商人が多いから、割と豊かだね」
 ギズンが一通り語り終えるのを待ってから、エリスがおそるおそる口を開いた。
「あの、ドワーフって、あのドワーフ……ですか?」
「あのドワーフ以外に何かある?」
 リグルの横槍にもめげず、じっとギズンを見つめる。
「ああ、あんた人間以外を見るのは初めてかい」
 子供の頃に読んだおとぎ話の中には、人間以外の種族がいくつも出てきた。
 長身で美しく、尖った耳を持つ森に住まう気高いエルフ。
 主に地下などを好み、筋肉質で、豊かな髭をたくわえているドワーフ。
 子供ほどの背丈で、身軽で素朴なホビット。
 頭部にねじれた角を持ち、武術に優れた竜族。
 頭部に一角獣のような角を持ち、治癒魔法に優れた一角族。
 天上に住まう、背に翼を持つ神の御使いと言われる天使。
 手のひらほどの大きさの身体に、背に羽を持つ妖精。
 それらは物語の中の登場人物でしかないと思っていた。それが今、目の前に存在している。小柄で筋肉質の髭をたくわえた初老の男性であるとしか思わなかったが、確かにそれらはドワーフの特徴に当てはまる。
「本当にいるんですね……」
「ああ、いるよ」
 ギズンが笑いながら二人に椅子を勧めた。
「さあ、話を聞こうか。私に仕事の依頼だったね」
 促されて椅子に腰を下ろすと、エリスは大事に懐にしまい込んでいた袋を取り出してギズンに手渡した。
「これを混ぜて剣を鍛えてほしいんです」
 ギズンが袋を開けて指先で中のものをつまんだ。
「あんた、この粉どうした?」
「両親の形見なんです。これを混ぜて剣を鍛えれば、どんな魔物にも対抗し得る破魔の刃になるだろう、と」
 袋の中の粉が日常で見られる粉と違うことに気付いたのかギズンが手を止めたが、エリスの言葉にそれ以上の追求はしなかった。
「頼めるかな」
 眉間に皺を寄せたギズンに、リグルが伺いを立てる。
「ふうん。タダでとは言わないだろうね」
「もちろん。これでいいかな」
 リグルが手渡した包みを開いて中身を確認したギズンがにやりと笑った。エリスは準備と言って森で採取した植物を包んでいたことまでは知っていたが、あれはこういうことだったのかとようやく納得した。ただそれが何なのかまでは把握していない。
「いい仕事をするようになったじゃないか」
「もう子供じゃないからね」
「ああ、解った解った。それで、どんな剣が欲しいのかね。嬢ちゃんが使うんだろう?」
「……え?」
「だから、剣といってもこう、長さひとつとってもこれぐらいのとか、これぐらいのとかいろいろあるだろう。あんたはどういうのがいいんだね」
 両手で長さを示しながらギズンが訊ねる。しかし剣術を学ぶどころか剣を持ったことすらないエリスには、使いやすさなど解らない。リグルに視線で助けを求めても、彼もまたエリスにとって使いやすい剣など解るはずもなく、首を横に振るだけだった。
 黙り込んでしまった二人を見て、ギズンはため息をつきながら髭をなでた。
「あー……じゃあ坊や……じゃないね。リグルの剣の半分くらいの長さにしようかね。装飾用の女性向けの剣くらいでいいだろう。もちろん実用的に造るがね。それなら重さも大したことないし、佩くにも振るうにもそう苦労はしないだろうよ。剣術はお前さんが教えてやりな」
「ありがとうございます!」
「一月後くらいにはできてるから、それくらいに取りにおいで。ええと、エリスだったね」
「はい、エリス・アープです」
 差し伸べられた手を握って微笑んだ。
「……アープ?」
「はい」
「アープって、あんたジエル嬢ちゃんの娘か」
 驚くギズンの顔をまっすぐ見つめたまま、エリスはその名を記憶を辿って探し出す。遠い昔に聞いたことがあるような──。
「ジエル・アープは祖母です。祖母をご存じなんですか」
 両親はあまり語りたがらなかったが、時折名を聞かされた伝説の魔道士だ。あまりに魔法の力が強すぎて、自陣にさえ被害を及ぼしたという。それゆえ現役時代が短かったことも、そのために父リーヴが早くから戦場に駆り出されたことも、故郷ジルベールでは有名だった。
「ああ知ってるさ、美人だったが気が強くてね。ありゃあ嫁の貰い手がないなんて言ってたもんだが、そうかそうか」
 ギズンが嬉しそうに目を細める。
「それで、嬢ちゃんは元気にやってるのかね」
 エリスは祖母の顔を知らない。ギズンの手を離し、
「いえ、祖母は私が生まれてすぐに……」
 祖父は父リーヴが生まれる前にすでにこの世の人ではなかった。両親がジエルについて語らない以上、その最期がどんなものであったのかさえ、エリスは知らなかった。
「悪いことを聞いちまったかね」
 黙り込んでしまったエリスの肩に手を添えて、リグルが二人の沈黙の間に割って入る。
「仕方ないよ。人間とドワーフじゃ寿命が違うし、だいたい嬢ちゃんっていつの話だよ」
「さてね。昔ってことしか覚えてないさ」
「寿命って?」
「ドワーフは俺たち人間より、ずっと長生きなんだよ」
 ドワーフの一生の間に、人間は幾度も世代交代する。ジエル・アープが過去の人になったように、ギズンが生きている間にリグルもエリスも通り過ぎていってしまうだろう。
「あんたもアープってことは、魔法を?」
 気を取り直して話題を変えたギズンに、エリスは曖昧に答える。
「少しだけ。父はあまり教えてくれなかったので、独学で」
「そうか。じゃあエルフに会いに行くといい。変わり者だが魔法は使える。どうせ剣ができるまでやることもないんだろう」
「エルフ? エルフもいるの?」
「うん、森のはずれにね。ひとりだけ。行って教えてくれるかどうかは解らないけど」
 ギズンの後を継いだリグルが渋い顔をする。
「じゃあ、これからガゼルのところに行くから。仕事の方はよろしく」
「せわしない子だね。今度は酒を持って遊びにおいで」
 エリスを促して家を出ようとしたリグルを力ずくで引き戻して、ギズンが子供をかわいがるように抱きしめて頬ずりする。
「ギズン、髭痛い……」
「自慢の髭さ、白髪が増えても丈夫だろう」
 豪快な笑いで見送られ、二人は鍛冶屋の家を後にした。

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