緑影騎士−竜騎士の降臨−

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1.

 大陸の彼方にある小国ジルベールからさほど離れていない場所に、「聖母(はは)なる森」と呼ばれる広大な森がある。遠くからでも確認できる森のほぼ中央にある巨木は、おとぎ話にある世界樹と一致し、かつてこの地に魔物が跋扈していたことを思わせる。
 近隣にはかつては大国モルタヴィアが、現在はジルベールが存在するのみだが、この二国は近年まで交戦しており、伝説の森を調査する余裕もなく今日に至っている。 歴史ある大国モルタヴィア建国以前よりそこにある未踏の森は、近づこうとする者もなく、時代から置き去りにされたかのように変わることなくただそこに存在し続けていた。
 外からでは日が差さぬように見える深い森も、日中は入ってみれば木々の隙間から降り注ぐ日差しに照らされ、魔物が跋扈するような薄暗い印象とはかけ離れている。
 幸いにも魔物がいると恐れられ、誰も近づこうとしない森は、身を隠すのにうってつけの場所となった。森のほぼ中央、世界樹の近くにぽっかりと木のない広場のような場所がある。そこには年季の入った家が建てられており、朽ちた様子のないことから人が住んでいることが解る。
「着いたよ」
  長身を純白のマントに包み、夜の闇を切り取ったような漆黒の髪と双眸の青年──リグル・シルヴィアが振り返って手を差し伸べた。
「いらっしゃい、ここが俺の家だよ」
 差し伸べられた手にも気付かず呆然と森の中に忽然と現れた家を見上げるのは、幼馴染のエリス・アープである。青い大きな瞳を見開いて、おとぎ話に出てくるような「森の中の家」を見つめている。
 故郷ジルベールではリグルとエリス、それに彼女の兄ディーンといつも一緒だった。剣の稽古をしたり、走り回ったり、そんな日々がこれからも続くのだと信じて疑いもしなかった。
 別れはあまりにも突然で、リグルたちシルヴィア一家は誰にも何も告げずにジルベールから姿を消し、この森に身を潜めた。ジルベール国民にはこの亡命を裏切りと受け取られ、かつて英雄と呼ばれたシルヴィアの名も時の流れに埋もれていった。
 十年の月日が流れ、ルーク王が逝去し王妃ロゼーヌが即位──後に独裁政治が始まり、国は乱れた。エリスは反乱軍として戦う兄を支え、またリグルは父を殺され母を連れ去られ、その犯人を追って祖国へと舞い戻り幼馴染と再会した。
 反乱軍に協力する形で女王を討ち、祖国が平和を取り戻すのを見届けて、リグルはひとりで国を後にした。するつもりであった。
 待つのは嫌だと訴えたエリスの手を引いて、リグルは森へと帰ってきた。ひとりでこの地に眠る父を弔うには、ここは薄暗く気持ちを暗澹とさせる──そう思っていたのに、エリスの横顔を見ているとそれだけで心に光が射すようだった。
 差し伸べた手を引いて、リグルは出立の時に譲り受けた白馬をぽんと撫でた。ここまで黙ってついてきた白馬は小さく鳴いてゆるりと歩き始めた。
 馬の鳴き声で我に返ったエリスがリグルに振り返る。
「ようこそ、エリス。ここが俺のもうひとつの故郷だよ」
 改めて手を差し伸べると、エリスがはにかみながら手を重ねた。小さな手をそっと包んで、優しく引いた。
「おいで。家の中を案内するよ。エリスに見せたいものがたくさんあるんだ」
 家の扉を開けると、昼間といえど森の家の中はさすがに薄暗かった。エリスが明かりの魔法を唱えるよりも早く、リグルが壁掛けランプの金具に触れた。
「えっ」
 火を灯した訳でもなく、ランプは穏やかに室内を照らし始めた。よく見ればホヤの中にあるのは蝋燭ではなく水晶で、それが淡く光を放っていた。
 驚くエリスの顔を見て、リグルが楽しそうに微笑んだ。
「他にもあるよ。これ、王宮にもあったよね」
「知ってる、だってこれ家にもあった……」
「触れるだけで火が起こせる竈とか、あと汲んだ水がそのままお湯になる瓶もあるよ」
「ねえ、もしかして見せたいものって」
 エリスの問いには沈黙で答え、リグルは彼女の手を引いて部屋の扉を開ける。入り口付近のランプを点けると、書斎らしきそこには机に椅子、本棚にずらりと並んだ本があった。
 リグルに促され本棚から一冊の本を取りぱらりとめくる。ほんの数ページでエリスは手を止めた。
「これ、魔法の……記録? 研究? もしかしてここにあるもの、全部……?」
 几帳面な字で記されているのは、魔法に関する記述だった。
「一番奥の棚は何も書かれていないか知らない文字で書かれているけど、他はだいたい魔法に関することかな。俺は読んでも解らないことの方が多いけど、エリスなら解るんじゃないかな。あと、ここを見て欲しいんだ」
 エリスが広げたままの本をめくって最初のページに戻ると、そこに書かれた署名を指さした。
「ずっとね。君に見せたかった」
 文字を確認し、言葉もなくエリスが顔を上げてリグルを見つめた。そこにあったのはアープの署名だった。
「私の先祖がここにいたの……?」
 ジルベール、シルヴィア、アープの三英雄は元々旧モルタヴィアの出身ではなく、旅人である。ただその三人がどこから来たのかまでは伝えられていなかった。
 宿敵モルタヴィアとの戦争を終わらせた三英雄のひとり、エリスの父リーヴ。その母で現役時代こそ短かったものの数々の伝説と素行で、ジルベールに知らぬ者のいないジエル。その父親はジルベールを築いた初代三英雄のひとりである。
 そこに記された署名は初代か、それ以前のアープということになる。
「この森に住んでたの……」
「一時的に身を寄せていただけかもしれないけどね。俺たちがここに来たときにはこの家はすでにあったし、生活の道具も揃ってたから」
「え、そうなの?」
「十年前にここに来たときからこの家はこんな感じだったよ。一体いつ建てられたんだろうね」
 まるでシルヴィア一家が来ることを知っていたかのように、テーブルの上には家の中のどこに何があるか、森のおおまかな地図が書かれた紙がたたんで置いてあった。もしかしたら迷える旅人のための案内だったのかもしれない。
「ここにある本は全部エリスの好きにしていいよ。でもその前に、ちょっといいかな」
 荷物を置いてリグルはエリスの手を引いて家の外に出た。大して時間も経っておらず、日が傾いた訳でもないのに空気が張りつめたような気がした。手を握るリグルの手がわずかに強ばったような気がして、エリスはそっと握り返した。
 世界樹と呼ばれるその木はあまりの大きさに遠近感が狂わされる。放した白馬が世界樹の根元に鼻を寄せているのを見て、エリスはようやくその大きさを理解する。
 リグルは白馬の元へと歩み寄り、足を止めた。うつむく彼の足下の土の色が違っていた。恐らくはつい最近掘り起こされたであろう場所──
 リグルの手がするりと離れていった。エリスはただ黙って静かに一歩下がる。
 彼を待ち続けた時間と再会してからの混乱でエリスはすっかり失念していたが、まだ再会から数日しか経っておらず、同時にそれはリグルが両親を失ってからの時間でもあるのだ。
 風が吹いた。森の木々がざわめいた。馬が小さく鳴いた。
 森の世界に舞い降りた静寂は、エリスの足を大地に縫いつけた。手を伸ばせば届く距離、囁けば届く声。そのいずれも封じ込め、時間だけが過ぎていく。
 静かに立ち尽くすリグルの背中を見つめ、自分も両親を失ったばかりであることを思い出す。
 半年前に突然両親を捕らえられたあの日、兄とともに両親を取り戻すため戦うことを決意した。何ひとつ手がかりさえ掴めずに日々は過ぎ、心のどこかであきらめかけていたその時には──すでに両親は自ら命を断っていた。遺体の損傷から、捕らえられてすぐのことだったのだろう。
 信じてはもらえなかったのだろうかという思いもあれば、遺書にあったようにいつか足枷になるくらいならばと子を思う気持ちが切なくもある。
(ウュリアおじ様もベルティーナおば様も、父さんや母さんに会えたのかしらね)
 数年前に病没したルーク王と、リグルの父ウュリア、それにエリスの父リーヴは幼馴染だった。果たして、今頃再会の杯を上げているのだろうか。
 エリスが遠く思いを馳せていると、リグルが静かに振り返った。
「父上に報告してたんだ」
 いつもの穏やかな笑顔に、エリスは小さく頷いた。
「入ろうか」
 差し伸べられた手を、そっと包んだ。

 食糧や食器の保管場所を教えてもらいながら、エリスはリグルと一緒に食事の用意をした。
 言葉も少なく食事を終えて一息ついていると、リグルがコップを置いてひと呼吸した。
「エリスはこれからどうしたい?」
 問われ、考えたのも一瞬だった。
「鍛冶屋さんに行きたいかな……」
 封じの塔で見つけたときからずっと肌身離さず持ち歩いている、両親の形見である魔法の粉。そういえばついに両親のことを兄ディーンに言いそびれてしまったな、と思いつつ、エリスは懐にある粉の入った袋をぎゅっと握りしめた。
「剣を鍛えよ、っていう遺言だったから」
 その粉を混ぜて剣を鍛えれば、どんな魔物にも対抗しうる破魔の刃となっていつか助けになるだろう──エリスの父リーヴ・アープの遺書にそう記されていた。
「分かった」
 頷いたリグルに、今度はエリスが首を傾げて問う。
「この近くに鍛冶屋さんってあるの?」
「うん、よく世話になったよ。じゃあ荷物の準備をしないとね」
「準備って?」
「森とジルベールを往復するだけじゃないから、それなりの準備をしないと……あとは仕事を依頼するなら報酬は用意しないとね。エリスは疲れてない? 今日はもうゆっくり休んで。寝室を案内するよ」
「じゃあコップを洗って……」
「それは俺が後でやっておくから。おいで」
 立ち上がったリグルに促され、エリスも後に続いた。
 書斎よりも奥に扉が三つ並んでいた。その真ん中の扉を開き、リグルがどうぞと案内する。
「母上が使っていた部屋だよ。片づけとか何もしてないから、もしかしたら散らかってるかもしれないけど。服は好きに使って」
 ベッドと小さな机と椅子、それに衣装タンスがあるだけの部屋はこじんまりとしているが整えられていた。最後にここで起きた日の朝のままなのだろう、畳んだ寝衣が枕元に置かれたままだ。
 ある日突然主を失った部屋は、時が止まったかのようだった。
 亡くなったこの部屋の主ベルティーナのことを思い出してエリスが沈黙していると、リグルがそっと背を押して入口に立ち止まったままの彼女を促す。
「一番奥の部屋は父上の部屋。俺の部屋はその反対だから、何か困ったことや分からないことがあったらすぐ呼んで。じゃあ、ちょっと洗い物を済ませてくるから」
 エリスの返事を待たず、リグルは扉を閉めて出ていってしまった。
 天井の採光窓しかない部屋は暗く、エリスは魔法で明かりを灯した。壁掛けランプの位置も確認したが、そこまでする気力もなくベッドに腰を落とす。
 リグルとの再会からあまりにも慌ただしく、あまりにも色々なことがありすぎて、両親の死にまともに向き合う時間がなかった。
 ここに来てようやく静かなひとりの時間を得たエリスは、見ない振りをしていた感情に否応なく向き合うこととなった。両親を捕らえられて半年──さすがにある程度は覚悟を決めていた。ただ、それが現実となって──それも変わり果てた姿を目の当たりにしてとなると、受ける衝撃も大きかった。
「兄さん、元気かな」
 ひとりごちて、エリスは天井を仰いだ。今朝別れたばかりなのだ、元気に決まっている。今はたったひとりの肉親となってしまった兄を置いて──これから国を建て直すために数多の試練を乗り越えていかねばならない兄を、ひとりにしてしまった。その兄についに両親の最期を伝え損ねてしまった。
 両親のこと。兄のこと。そしてシルヴィア夫妻のこと。あまりにも一度に重なりすぎてエリスの心は処理しきれず、言葉にさえならない思いはただため息となって漏れるばかりだ。
「エリス、いい?」
 曇りかけたエリスの心を引き戻したのは、ノックの音とリグルの声だ。返事をすると小さな樽を持ったリグルが入ってきた。
「え? 水?」
「寝てるときに喉が乾いたら困るだろ? 一応別に汲み置きはあるけど、枕元にあった方がいいかなって」
「うん、ありがとう」
 樽といっても少し大きなコップといった感じで、蓋が被せてある。エリスはこぼさないよう両手で受け取り、ベッド横の机に置いた。
「エリス」
「うん?」
「大丈夫?」
「……うん」
「……そう。じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
 リグルが扉を閉めるのを笑顔で見届け、エリスは言葉もなくベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。
 倒れ込んでから漏れたため息が嗚咽に変わるまで、大した時間を要しなかった。

 隣の自室でベッドに腰を下ろしたリグルは、壁の向こうから聞こえてくるすすり泣く声に、ただ耳を澄ましていた。
 明かりもつけず暗い部屋でベッドに横になって、天井を見上げていた。

   ***

「じゃあ、行こうか」
 森に来てから五日目の朝、食事の後片づけを終えてリグルが荷物を背負ってエリスに手を差し伸べた。
 五日間、リグルは準備をすると言って日中は森に出ていた。
 エリスはベルティーナの衣服の中から動きやすそうなものを選んで自分の寸法に手直ししたり、書斎の魔道書を読み耽ったりしていた。
 毎朝エリスの目は赤く腫れていたが、徐々にそれも落ち着いて、出立の朝には見受けられなかった。
「うん」
 リグルの手を取って、エリスが頷く。
 元々身ひとつで故郷を出たエリスには荷物がない。着替えだけを入れた荷袋を持ってリグルについていく。
 戸締まりをされることもない家の前には白馬が待っていた。ここに来てから森を自由に散策していたが、昨日リグルが何か声をかけると、それを理解したかのように大人しく家の近くで待機していた。
 荷物を馬の背にくくりつけると、「おいで」と静かに手綱を引いた。馬は小さく嘶いて、リグルに合わせて歩き始める。
「遠いところなの?」
 森の入口とは反対の方向へ向かうリグルの背に問いかけると、うーんと首を傾げ、
「遠くはないけど、すぐには行けないかなあ」
 謎かけのような答えが返ってきた。
 エリスはそれ以上は深く問わず、木の根や草が絡み合う森で転ばないよう気をつけながらリグルについていった。
 一時間ほども歩いただろうか。唐突に森が切断されたその場所が現れた。
 背後には森。その先にも森が見える。エリスの目の前にあるのは断崖と、遙か眼下に流れる川だ。
「創世神話を覚えてる?」
「え、うん、太陽神と地母神のお話でしょう?」
 唐突に話を振られ戸惑うエリスに微笑んでリグルが続ける。
「地母神が己の身を断つために覇皇剣を作った、ってあるけど、ここが覇皇剣で試し斬りした跡らしいよ」
 そう言って腰に下げた覇皇剣に触れた。
 断崖をのぞき込めばかろうじて川が見える程度の高さだ。そして幅もそんなには広くなく、あっても十メートル程度である。幅は狭く、しかし深い。鋭い刃で斬りつけられた跡と言われればそう思えなくもない。
 伝説だけどね、と笑いながらリグルは足下にあった石を拾い始めた。
「リグルさん、それ、もしかして」
「分かるんだ?」
「書斎で読んだ本に書いてあったの。転移魔法ね」
「そう。この石を並べて作った魔法陣に入ると向こう側の魔法陣に転移できる。これもね、ここに来たときにはすでにあったんだよ。向こう側の魔法陣は固定されてて、用がある時だけこっちの石を並べるんだ。用が済んで戻ってきたら、また石をばらばらにする」
「何も知らない動物や迷った人が向こうに飛んでしまわないように?」
「だろうね。ほら、もう並べ終えたよ」
 最後の石を手に持ったまま、リグルが馬を魔法陣に誘導する。エリスもそれを待ってから魔法陣に入った。
「じゃあ、行くよ」
 リグルが手に持っていた石を置くと、並べられた石からそれぞれの色の光の柱が立ち、中にいる者の視界を覆う。
 光の柱が消えたとき、魔法陣の中の姿も消え去っていた。

 

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