緑影騎士−聖騎士の帰還−

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6.

 その日、空は憎らしいほど青く澄み、日の光を遮る雲のひとつさえなかった。今日正午   まもなく執り行われるであろう公開処刑を、余すところなく世界中に知らしめようとするが如く、太陽は眩しく照らしつけ、風は土埃のひとつさえ舞わせない。太陽だけがやけに眩しい、不気味な静寂に満ちていた。
 赤いレンガの大通りの中央に、市民たちが集まっていた。いつもならばささやかながらも女王を非難する声がさざめくものなのだが、今日に限ってそれのひとつさえない。
 処刑される咎人の名はベルティーナ・シルヴィア。ジルベール三代目国王ルークの実妹であり、また三英雄のひとりウュリア・シルヴィアの妻。そして、その気品と瞳の色から「青の姫君」と謳われたその人だった。常に瞳と同じ色の衣装を纏い、彼女に逢った者はみな、青く透い空か深く澄んだ湖を感じるのだという。とても落ち着いていて常に品があり、それでいてどこか掴みきれないような、そんな女性だったという。誰にでも優しく、微笑を忘れず『王妹』であったときはもちろん、シルヴィアに嫁いでからも誰も彼もから慕われていた。
 永い戦いが終わり、みなが復興に追われているとき、人々に料理や茶を振舞ったのもまた彼女だった。どんなに昏い時も、彼女を希望の光に、誰もががんばってきた。それがある日突然失われた。シルヴィア一家の失踪   。その事件に誰もが驚き、また失望した。そして女王が即位してからは、「国を見捨てた」とシルヴィアを憎む者もいた。けれど、それでも決して誰からも憎まれることも恨まれることもなかったベルティーナ。
 今、まさにその人が処刑されようとしている。


「これより処刑を行う!罪人の名はベルティーナ・シルヴィア、女王陛下暗殺未遂により、火刑に処す!」
 高らかな兵士の宣言により、その場に捕縛されたベルティーナが引きずり出された。腰まで届く美しい金髪は乱れ、纏わされているのは質素な無地の布の服(囚人服、というべきなのかもしれないが)。足元もおぼつかないのか、兵士に引きずられる形で民衆に晒されたベルティーナは、ぐったりとうなだれたままで、その表情を窺うことはできない。
 この大通りはそのまま王宮の正面に当たり、この処刑場   かつての噴水跡は王宮の入口からそう離れてはいない。女王は常に処刑寸前に近衛騎士を伴って王宮から出てきて、処刑を心ゆくまで見物すると、そのまますぐに王宮に入ってしまうのだった。
 王宮を背に、中央に作られた台座の上にそびえる丸太に縛り付けられ、ベルティーナはようやく顔を上げた。上げざるを得なかった。縛り付けた兵士に髪を強く掴まれ、無理やりに顔を上げさせられたのだ。
 やつれ埃にまみれた彼女の白い肌が、ひどく痛々しく見えた。唇が切れ渇いた血がこびりつき、だがその瞳は閉じられたままで、表情らしきものはない。あまりの変わり果てた姿に、民衆の間から呻き声が聞こえてくる。

「落ち着けリグル!」
 一瞬鞘走りそうになったリグルを、鋭い小声でディーンが抑える。彼らはいつもよりも多く集まった民衆に紛れこんでいた。今日のこの眩しい太陽のおかげでフードを被っている者が多く、顔を隠すためにフードを着けている彼らの不自然さを打ち消している。
 すぐに我に返ったリグルは歯を食いしばって剣から手を離した。ふたりに守られるように間に佇んでいたエリスが、そっとリグルの腕に触れた。交わす言葉のひとつもなかったが、彼女の心配する気持ちが伝わったのか、リグルがぎこちなく微笑んだ。
 もうすぐ、その瞬間がやってくる   
 落ち着き払っているように見えるディーンでさえもが、高鳴る鼓動を抑えきれそうにない。反乱軍のリーダーである彼がこの状態では一体他の仲間たちはどうなっていることか。エリスは不安に今にも潰されそうに震えているし、いつも冷静なリグルさえ今にも迸りそうな殺気を抑えるのに必死の様子だった。
 機会はこの一度きり。
 成功すればベルティーナを救い女王を倒すことができる。
 だが失敗すれば。
 それは許されない    
 すべての始まりと終わりが同時にやってくる。
 その、瞬間を。

「女王陛下に栄光あれ!」
 兵士の高らかなる声と共に、女王が翡翠騎士を伴って王宮から姿を現した。この時でさえ民衆は誰一人声を上げはしなかった。冷たい無言の憎悪だけがまっすぐに女王を刺すが、かの人は悠然と微笑みさえたたえながら処刑場の敷地に誂えられた玉座に座した。
 リグルはこの独裁の女王を見たことがなかった。ルーク王との婚礼はリグルの生まれる前の話だし、それ以降ほとんど表に顔を出すことはなかったのだ。
 初めて見る女王は栗色の豊かな髪を腰まで伸ばし、黄金の冠を戴いていた。それは宝石などがちりばめられたような豪華なものではなく、黄金のみのしかし細かい細工のなされたジルベール国王のもの。建国された当時、金細工師が英雄のために拵えたのだと聞いている。翡翠の瞳と対なすように、女王の白い陶磁の肌を包むのは深紅の絹のドレス。ところどころに金糸で刺繍が施されており、それらが女王を絢爛に美しく見せてはいたが、しかしどこか歪だった。
 女王ロゼーヌ・ジルベール。その両脇を固めるのは、翡翠騎士団長ラスフィール・アルシオーネと副団長イグナ・レイ。どちらも剣豪である。
 女王を討つには、まずそのふたりと剣を交えなければならない。
 勝てるか否か。
 答えはもうすぐ、降ってくる。

「処刑せよ!」
 女王の声が執行を宣言した。兵士たちが一斉に女王陛下に栄光あれと敬礼した。
 ベルティーナを縛り付けた兵士が一度下がり、その手に松明を持って再び処刑台へと歩み寄る。


       その、瞬間      


「ぐあァッ!!?」
 兵士が松明を持ったまま、大きく身体を後ろに傾げた。どこからともなく飛来した矢が、兵士の喉を貫通していた。
 家屋の屋根に待機していたアレクが弓を射たのだ。それは凄まじい弓勢で、違うことなく兵士を撃った。
 先に民衆が、それから女王側がその兵士の異変に気づいたが、それよりも尚早く、反乱軍が一斉に動き出した。
 処刑台に火を点けるための松明が、絶命した兵士の手を離れた瞬間にその焔を大きくたなびかせ、そして地に落ちるよりも早く、激しい一陣の風が処刑場の正面から吹き荒れた。それと同時だったのか否か、松明が爆発した。火の粉が突風に舞い、女王のすぐそばまで飛んでいき、女王の前に炎の壁となって立ちはだかったのだ!
 兵士が喉を射られ地に倒れ伏すまでのわずか数瞬の間、だった。
 リグルの爆炎の魔法を松明そのものにかけることで魔法の効果を倍増させたところに、エリスの風の魔法で火の粉を女王たちのいる場所まで吹き飛ばしたのだ。あらかじめその付近に油をしみこませておいたので、あとは火の粉が勝手に炎の壁となり女王たちをこの処刑場から遮ってくれる、という訳だ。あわよくば火の粉とはいわず松明ごと吹き飛ばして、女王を兵士たちごと炎で包む、という計画だったのだがさすがにそこまでうまくはいかなかったようだ。だが女王と兵士たちをわずかな時間でもこの処刑台に近づけさせないでおけるのならば、それで充分だった。
 それぞれに身を隠していた反乱軍の者たちが、一斉に炎の壁に向かって矢を射、てこの原理を利用した砲台で石を投げ飛ばした。巻き添えを食わないよう民衆を避難させようとしたディーンは、その時初めてこの国が抱えてきた怒りを見た。
 ベルティーナの処刑を前に歯を食いしばっていた男が、嗚咽をこらえていた女が、空を仰いで嘆いていた老人が、そしてベルティーナを知りもしないであろう幼い子らが、辺りに落ちている石やレンガを拾って炎に   女王に投げつけているのだった。
 最早この国は誰にも止められないほどの怒りを抱えていたのだ。
 鬼神もかくやという表情で、みながみな口々に怒りを不満を叫びながら、女王に牙を剥いていた。
 幼い子供さえも豹変させてしまうこの狂気にも似た怒りに、ディーンはぞっとした。
 すべての人が、こんな狂気に蝕まれるようなことが二度とあってはならない。
 すべての人の穏やかな日常を取り戻すために、ディーンは剣を抜いて駆け出した。

「母上!」
 混乱に紛れてリグルは剣を抜きながら処刑台に駆け寄った。だがすでに意識も朦朧としているのか、ベルティーナの反応はない。台に駆け上がりベルティーナを縛める縄を切って、自分に倒れこんでくる母を抱きとめた。
「母上……母上?」
 間近で見る母の予想以上に焦燥しきった顔にぎくりとしたが、浅いながらも息があることを確認してリグルは処刑台から飛び降りた。
「エリス、母上を……」
 駆け寄ってきたエリスに母を託し、リグルは踵を返して猛る炎の壁に向かった。この混乱に乗じてならば、エリスひとりでも裏道までは母を支えながらでも逃げられるだろう。そこまで逃げたなら、あとはアレクが手伝ってくれるはずだ。そしてリグルは女王を討たねばならない。
 いつまでも炎の壁をそのままにしておく女王ではなかった。処刑後の残り火の処理のため用意されていた砂を撒き、近くの井戸から水を汲んで消火させた。徐々に炎が弱まっていき、さすがの騎士団も雨のような矢の攻撃と投石には耐えられまいと、民衆も反乱軍も、誰もが炎の向こう側にある累々たる女王側の屍を見届けるべくその場に立ち尽くしていた。
 あの猛攻で生ける者がいる訳がない。いるはずが、なかった。
 屍はあった。山のようにとはいかなかったが、何十人という兵士が折り重なって息絶えていた。
 女王その人をかばうように、して。
 兵士の屍の向こうに、玉座に座したままの女王を盾で守る翡翠騎士団長ラスフィールの姿があった。ある者は焼け爛れ、またある者は投石を浴びて、その身体にいくつもの矢を立てて女王の前に積み重なる肉塊となっているのに、ラスフィールの銀の鎧にはわずかな煤もついていなかった。その彼に守られている女王にかすり傷のひとつもあろうはずが、ない。
 その場にいる誰もが震え上がった。あの猛攻に女王は傷のひとつも負わず、騎士団は無傷、一般兵も半数近くは戦闘不能にはなったようだったが、それでもまだ反乱軍全員の数よりも上回る人数が残っている。
 そして、揺らぐこともない女王の勝ち誇った笑顔。
「お前たち……覚悟はできているのだろうな」
 女王の言葉に、ラスフィールがその刀身を太陽の下に晒した。無言の威圧に、民衆が一歩、また一歩と退いていく。
「逃げろ!!」
 ディーンが民衆にそう言い放ち、自ら剣を手に女王めがけて駆け出した。
 それがそのまま開戦の鐘になった。
「ラスフィール卿は陛下を頼む!」
 そう叫んで翡翠騎士副団長イグナは剣を抜きながら駆け出した。肩まで伸ばした金髪に空色の瞳、ディーン・アープ。反乱軍のリーダーを、その手にかけなければ気がすまない。女王陛下に刃向かう者には等しく死を……!

 女王めがけて駆けるリグルのフードが、はらりと風に舞った。艶やかな黒髪が露になる。
「シルヴィア……!」
 女王が立ち上がり、こちらに向かってくる黒髪の青年を正面から睨めつけた。
「必ずあの黒髪を私の前に連れて来い。生死は問わぬ!」

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