緑影騎士外伝「金色の魔道士」

back menu next home

5.

 鬨の声があがった。王城のテラスから、ジルベール国王ルークが姿を現し、朗々と告げる。
「武器を捨てよ! 独裁王は滅んだ! 永い戦争は終わったのだ!!」
 王城に注目したモルタヴィア兵、ジルベール兵、それに民間人にも見えるように、ルーク王が高々と独裁王ファリウスの首を掲げた。
「改めて言う、武器を捨てよモルタヴィアの兵よ! 戦いは終わったのだ! 武器を捨て投降するのならば、ジルベールは民として快く受け入れよう、だがなお刃を向けるというのであれば、その時は容赦せぬ!!」
 リーヴは高らかに告げる幼馴染の姿を晴れがましく思う一方で、どこか違和感を感じた。……そうだ、ようやく戦いに終わりを告げたというのに、どうしてルークは辛そうなのだろう。戦いの終結は百年前からの悲願だった。そして、ルーク個人としても望んでいたことだったはずだ。
 これは後から知らされることだが、黒髪の騎士シルヴィアが討ったモルタヴィア王の首が、その愛娘   よりにもよってルークの想い人の目の前に転がったのだという。ありったけの悲鳴をあげた少女の前で、戦の終結を兵たちに伝えるために首を拾い上げたのだ。そうして、かの独裁王の首を晒した。それは戦に勝利した国の王として当然のことではあった。……あったが、ルーク個人としてはそれはどれほどの苦痛だったのだろう。名も知らぬ少女に焦がれ、それが敵王の娘で、その目の前で敵王を討ち晒し者にするというのは。
 何も知らずに王の終戦宣言を聞いていたリーヴは、周囲にいたモルタヴィア兵が武器を手放し力なくその場に座り込むのを眺めていた。言葉にさえできないような虚無感と疲弊を全身から放ちながら、兵士たちがうなだれる。それと対照的にジルベール兵が歓喜の声をあげて、身近にいる仲間と喜びを分かち合っていた。
「傷を負った者には治療を! 抵抗する者は斬れ! ぐずぐずするな、戦争が終わったといっても混乱が収まった訳ではない!」
 馬上からのリーヴの怒号に兵士たちが走り出した。ルークの終戦宣言によっていきなりの暴動は起こらなかったが、まだ油断できない。周囲のモルタヴィアの様子を窺いながら、ルークたちと合流するために王城へと馬を向けたときだった。
「うわああああっ!」
「!?」
 子供、だった。
 子供が自分の身の丈ほどもある剣を振り回して斬りかかってきた。リーヴが相手をするまでもなく、馬自身がひょいと剣をかわすと、振り回した剣の重みで子供は勝手に道に倒れてしまった。
「何を……」
 馬を降り転んだ子供はそのままに剣を奪い取り、ふと子供が飛び出してきた方を見た。そこには足に傷を負った女が倒れていた。おそらくはこの子供の母親なのだろう。
 母親に近づく金色の敵を見て、子供が慌てて飛び起きてその足にしがみついた。これ以上一歩でも近づかせるものかと、必死に全力でしがみつくのだが、あっけなく振りほどかれてしまった。
「兵士たちの巻き添えを食らったのだな」
 その傍らに屈みこむと、暴れる子供には構わずに治癒の魔法を唱える。初めて見る魔法に一瞬言葉を失ったようだったが、光が引いたあとには傷跡ひとつ残っていないことに気づく。何か言おうとする母子を遮って、リーヴは呟いた。
「もう、戦争は終わったんだ。こんなふうに傷つけられることもない……」
 子供から奪ったままの剣を道端に転がした。
「こんなものはもういらないんだ」
 まるで、自分に言い聞かせるように。


 ルーク王の身を守るかのように、隣に寄り添いながらリーヴ・アープは先頭をきってジルベールに凱旋した。ウュリアは兵士たちの列のほぼ真中でモルタヴィア要人を乗せた荷馬車を警護している。だがすでにウュリアが独裁王を討ったことは民に伝わったのか、彼の周囲には若手の兵士や民たちが押し寄せるように集まってきていて、なかなか進むことができない。ルークたちの周囲にも人がいるにはいるのだが、国王にはさすがに遠慮が働くのか、ウュリアのような騒ぎにはなっていない。
 王宮に戻り馬を下りると、侍女や大臣たちに出迎えられた。今夜の祝宴の準備のため、すぐに風呂に入れと半ば強制的に地下の大浴場に連行される。もっともふたりとも返り血を浴びたりして汚れていたので、はやくさっぱりしたいことに変わりはなかったのだが。
「……たまには一緒に入るか」
 普段なら国王はひとりで入浴する。それに世話係の侍女がついてくるのだが、久しぶりに幼馴染同士でと侍女を追い返してしまった。
「ウュリアが来たら呼んでくれ」
 そう伝えると、ルークとリーヴはふたりで入るには広すぎる浴場に入っていった。

 この王宮にある地下大浴場は、地下水を引いている。王宮建設当時、初代アープ   リーヴの祖父にあたる人が魔道のからくりを作って常に湯が出るようにしたのだ。リーヴの祖父は魔力も強かったのだが、そういった魔法を使ったからくりを作るのが好きな人だった。内側から受けた衝撃をそのまま跳ね返すという『封じの塔』も建設したのは彼だった。大掛かりなものといえばそのふたつしか残っていないが、多分ヒマさえあればしょっちゅう細々としたからくりを作っていたのだろう。
 そんな魔法の恩恵を受けながら、ルークとリーヴは湯船につかっていた。
「……久しぶりだな、一緒に入るのは何年振りだ?」
「ベルティーナが生まれる前だったから……20年振りくらいか?」
「そんなになるのか。なんだかあっという間の20年だったな」
「そうだなぁ、俺が王位を継いでから10年かそこらか? 何がなんだかわからないままここまで来た気がしないでもないなあ」
「いやそれはマズいだろう、仮にも国王が」
「あっという間だったけどな……これからが大変さ。何から何まで手探りだからな。これまで以上に助けてくれよ?」
「……ぬかせ」
 バシャッ!
「うわ!?」
 いきなり顔面にかけられたお湯に面食らったルークが、手で顔を拭うと、リーヴが穏やかに笑っていた。
「……おつかれ」
 リーヴからの、初めてのねぎらいの言葉だった。
「……お前が王城から戦争は終わったと告げただろう。あの直後、私に襲い掛かってきた子供がいた。おそらくは兵士の争いに巻き込まれたのだろうが、傷を負った母親がいた。子供はその母親を守るために、落ちていた兵士の剣を拾って襲い掛かってきたんだ。……子供が自分の身の丈ほどもある剣を振り回すほど、戦は人を狂わせる。もう二度とそんなことが起きないように、これからの国を治めてくれ」
「……リーヴ」
「私にはそれはできない。だから、全力でお前を支える。それが私にできる精一杯だ」
「ああ、きっと太平の世を築いてみせる」
 ふたりの英雄は、固くその手を握った。大変なのはこれからなのだ。これからこそが、互いの信頼と絆を試されるときなのだ。幼馴染の代わりを果たすことはできないから、自分がやれる精一杯のことを果たそう。
「だが今はただ戦が終わったことを素直に喜ぼう。ほら、背中を流してやるから」
「はは、お願いするかな。後でリーヴの背中も流してやるよ」
 今はただ、終戦と勝利に酔っていよう。今夜だけは   

 結局ウュリアとは入れ違いになったリーヴは、ようやくすべての兵士を受け入れた王宮内で、まだ重傷を負ったものが残っていると聞いて慌てて看護室に向かった。軽傷の兵士たちは自分たちで治療し、多少傷の深いものはベルティーナやサウィンが治癒して回っていた。幸い命に別状はなく、リーヴが手を施さねばならぬほどの重傷者は数人しかいなかった。治療を終えると、ふうと一息ついてふと周囲を見回した。
(そういえば、戻ってきてからまだ見ていないな)
 出迎えの中にはベルティーナもサウィンもいなかった。おそらくは一般兵の治療に回っていたのだろう。ベルティーナは今夜の祝宴の準備があるので魔力が尽きた時点で引き上げただろうが、サウィンの姿が何処にも見当たらない。いつもだったらすぐに手伝いなりなんなりしてくれるのだが。
 わざわざ兵士を捕まえて訊ねるのもなあと、なんとなくもやもやしたままではあったが、祝宴の準備もあるしそろそろ戻るか、というときだった。
「サウィン!」
 知らぬ声が、彼女を呼んだ。反射的にそちらを振り返る。
 ちょうど包帯を補充しに行っていたらしく、包帯を抱えて看護室に戻ってきたサウィンの腕を、見慣れぬ一般兵が捕まえていた。もっともリーヴは兵士全員の顔を覚えている訳ではなかったから、見慣れぬという表現は適当ではないのかもしれないが。
 何を話しているのかは解らない。だが二言三言話すと、サウィンは侍女に包帯を預けてその兵士と共に再び部屋を出てしまった。
「……」
 呼び止めようとして伸ばした手を引っ込めて、リーヴはそのまま拳を握り締めた。呼び止めるほどの用がある訳ではない。呼び止めたとしても、自分もまたすぐに行かなければならない。……呼び止めるだけの、理由が無かった。
(……早く戻らなければ)
 頭の中を祝宴の準備に切り替えようとした。
 だが、どうしてもうまくいかないまま、胸の中がスッキリしないままだった。


 その夜の祝宴は国王主催のもので、戦における功労者を特別にねぎらうものだった。一般兵は特別に開放された地下の大浴場で身を清めてから民と一緒に喜びを分かち合うことだろう。堅苦しいというか息がつまるようで思うように動けないから苦手なのだが、この場ばかりはリーヴも正装して玉座に掛ける国王に寄り添っていた。
 数段高くなっているそこからリーヴは会場を見回した。国王に挨拶に来る者たちには適当に会釈をしつつ、英雄譚を聞こうとウュリアを囲む若手の兵士や貴族、或いはめったにないお近づき(?)のチャンスとばかりにベルティーナと言葉を交わす者たち、なんとなくパターンは読めてきたが、リーヴはその輪の中に入ろうとは決してせず、ただ無言のまま国王の隣に立っている。
 ……あの後、どうしたのだろう。
 ともすればそんなことばかり考えている自分に気づいて、リーヴは危うくつきかけたため息を寸でのところで飲み込んだ。
 あの名も知らぬ兵士とサウィンはどんな関係だというのか。2年間も兵士の看護をしていたのだから顔見知りになる機会はいくらでもあっただろうが、わざわざ呼びつけて看護室から連れ出すとはいったいどういう了見か。
 それに、自分の知らない者が彼女を呼び捨てることが、ひどく癇に障った。……いやだから2年も兵士の(以下略)。
(……何を考えているんだ、私は)
 最近はもうすっかりなりを潜めてはいるが、元々は激しく人見知りをする性分のサウィンだ。大丈夫なのかと心配しているだけであって、いやそれは過保護かもしれないんだけども、やっぱり最初が最初だったから気になるというか不安定要素があるというか、自分の知らないところで何かあってまた以前のような拒絶反応を示すようになったら困るというか、拾って面倒見ると言った以上は責任があるというか、
 どんなに理由をつけたところで気になることに変わりはない訳で。
(……もどかしいな)
 理由がわからないままでもやもやしているというのは。
 そんなリーヴの心の葛藤にはお構いなしで祝宴は進み、明るい音楽が奏でられ始めた。国王主催の宴の最後に必ず催される舞踏会で、だいたい4〜5曲踊ってお開きになる。その最後の曲は必ず国王は妹と踊ることになっていて、ふたりで礼をしてそれがそのまま解散の合図になる。
「リーヴは踊らないのか?」
 突然ルークに小声で話を振られて我に返る。
「私がこういうのが苦手だと知ってるだろう。……それより陛下は踊られないので?」
「なに、私は見るのが好きでね。最後の曲だけ踊れればいいさ」
 女性とペアを組まねばならないダンスなどリーヴにはもってのほかだったし、ルークもまたダンスを見るのは好きでも、自分が踊るのはそれほど得意ではなかった。ふたり揃って苦笑すると、再び視線を会場に向ける。
(そういえば)
 ウュリアがご婦人と踊っているところは見ているが、ベルティーナはどうしただろうか。視線だけで探すと、すぐに青いドレスの裾が華麗に舞う姿を見つけた。
(……あの、バカ……)
 ベルティーナが他の誰かと踊っているときでも、いつでもウュリアを追い求めていることに気づかないのだろうか。どうか気づいてと青い瞳が黒い瞳を追い求め、どうかこの手を取ってと白く細い指先が雄々しいその腕を待っているというのに。
 ベルティーナにはしあわせになってほしい。彼女が想うほどにウュリアもまた彼女を想っていると、そうリーヴは思っていたのだが、違ったのだろうか? この宴で一度もベルティーナと踊らないつもりなのだろうか?
(……ベル)
 なんとなく、解ったような気がする。
 サウィンへの不可解な気持ちは、多分ベルティーナに対するそれと似たようなものなのだろう。ベルティーナのことを妹や姪のように思っているように、サウィンを拾って面倒みてきたこともあって養女のように思っているのだろう。だから知らぬ者と話をしただけで気になって仕方ないのだ。彼女に対して責任があるから、何かあったらどうしようかと。
(そういう、ことか)
 そのときちょうど4曲目が終わった。次でラストだ。立ち上がりかけたルークがそのまま硬直したのを見て、何事かと改めて意識を会場に戻す。
(……!)
 黒髪の騎士ウュリア・シルヴィアが、青の姫君ベルティーナの手にくちづけていた。そして、奏でられ始めた曲に合わせて優雅に踊り出す。
「……してやられたな」
 ふてくされて腰掛けなおしたルークに、やはり小声で話し掛ける。
「いつも私と踊るって決まってたのにー」
「そんなにすねるくらいなら、国王命令でここからあの無礼な黒髪の騎士を追放すればいいだろうに」
「……それができれば苦労ないだろ。見てみろ、あのベルティーナの顔を」
 頬を薄紅に染め、はにかみながらも瞳を輝かせている彼女の、なんと美しいことか。それを国王命令で取り上げることなど、できる訳がなかった。
「……寂しいよなー……」
「……そうだな」
 かわいがっていた妹を取られる心境とはこういったものかと、肩を落すルークを見ながら苦笑しつつも納得してしまった。
「まあ……今の私たちにできることといえば、この曲が終わった後で有無を言わさずベルを連れてここから退却することだろうな。どうせつまらぬ追求やら野次やらがベルに殺到するだろうし」
 幼馴染の冷静な言葉にそれはそれは深くため息をおつきあそばされた国王を見て、リーヴは小さく笑った。


 ガシガシガシッ。
 誰もいないはずの大浴場から、たわしで床をこする音がする。
 ガシガシガシガシガシッ。
 汚れがひどいのだろうか、容赦なく力任せに磨いているようで、なんだかたわしが気の毒にさえ思えてくるほどの音だった。だが侍女たちが総出で清掃している訳でもなく(もちろん侍女たちは宴の手伝いがあったから掃除などしている余裕はないのだが)、その音は孤独に広い風呂場でこだまする。
「はあ……っ」
 髪を結い上げいつものゆったりとしたスカートとはうってかわった軽装をしたサウィンが、腰を伸ばして大きく息をついた。柄の長いたわしでなんとか床の汚れは落としきって、あとは流すだけだ。見るも無残だった浴場を磨き上げたサウィンは額に浮かんだ汗を乱暴に腕で拭って、再びため息をつく。
 あの後   

「サウィン!」
 そう彼女を呼び止めたのはアズル・レイだった。2年前、サウィンが看護を始めたばかりの頃に初めて魔法を使った相手だ。あれ以来戦の前後でたまに話をしたりしている。この戦いでそれほど深い傷を負わなかったのか、自分で処置したらしい乱暴に包帯の巻かれた腕で、看護室に戻ってきた彼女を連れ出してしまった。
「ちょっとだけだから」
 そう言って連れ出されたのは裏庭だった。戦が終わり傷を負った兵士は看護室、たいしたことのない兵士はそれぞれの家に戻っていったし、侍女たちは看護や宴の準備に走り回っている。広い裏庭には誰もいない。
「……あの、アズルさん……私まだ仕事が残っているのですが」
「すまない、本当にすぐすむから」
 そう言いつつもどうにも言い出しづらいことなのか、幾度も口をもごもごさせてはうつむいての繰り返しだった。やがて大きく深呼吸すると、まっすぐサウィンの瞳を見つめて、
「……あんたが好きだ」
 それだけ、言った。
 言われたサウィンは、一瞬何のことか解らないようだったが、しばらく考え込むと顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。
「前から好きだったんだ、いつか戦が終わったら伝えようと思って……、いや、その、今すぐ返事くれなんて言いやしないから! ただ正直に答えてほしいんだ」
 取り繕うように慌てて告げるアズルに、サウィンはいよいよ困ったように沈黙してしまう。
「……」
「……」
 ふたりの間を風が吹いても、花の香りがただよってきても、その気まずい沈黙が変わることはなかった。返答に困っているサウィンと、動くに動けないアズルとの、見えない葛藤がその空気に現れていた。
「アズル、さん」
 どれだけの時が流れたのだろう、重すぎる沈黙を破ったのはサウィンだった。
 今にも泣きそうになりながら、それでもアズルから目を逸らすことなく、
「……ごめんなさい。お気持ちは嬉しいのですが、私はそれに応えることは、できません……」
 小さな声だったがはっきりと、告げた。
「……そう、か」
 彼女の言葉を噛み締めるように目を閉じて、アズルは呟いた。そういう答えを予想していなかった訳ではない。聞いた話では人見知りが激しいという。そんな彼女がこうして今ふたりきりで、自分の告白を聞いてくれただけでもありがたいと思うべきであろう。
「あの……」
「いや、気にしないでくれよ。俺みたいな男やもめなんかより、あんただったら絶対いい人見つけられるだろうしな」
 以前、一度だけ子供がいると聞いたことがある。あんまり元気すぎて手に負えないと、笑って語っていたことを思い出す。
「あの、私……」
 何か言いかけたサウィンを笑顔で制止すると、アズルはそのまま踵を返して走り出してしまった。走り去る彼がどんな表情をしていたのかは、解らない。次に話し掛けることがあっても、きっと笑ってくれるのだろう。

 あのとき、何を言おうとしたのだろう。謝りたかったのだろうか、ありがとうと言いたかったのだろうか。走り去るアズルの姿が頭から離れなくて、とにかく気を紛らわせようとひとりでこの汚れきった大浴場の清掃をしていたのだ。
 休むことなく流れ出る湯を手桶に汲んで床に流す。広い床を流しきるためにそれを幾度となく繰り返しながら、サウィンはその答えを模索する。
 あのとき、何を言おうとしたのだろう。
 こんな自分が誰かに想いを寄せられるなんて、勿体無いくらいだ。けれどそれに応えることは、決してできない。誰かに愛されていい者では、ない。
 好きだと言われたあのとき、何を考えたのだろう。
 それは許されるはずもない夢の   
 すべての考えを流すように、無言で床を流し続けた。
「……はあ……終わった……」
 ようやく床を流しきり、大浴場を兵士に開放される前の状態にまで戻したサウィンは、汗でべとべとになった衣服をつまむと、ふと周囲を見回した。
 今日は終戦の、勝利の宴だ。王宮に住むものは国王主催の宴に出席しているだろうし、そうでない者もまた庶民と一緒に騒いでいることだろう。もう今日は誰もここには来ないはずだ。
 ……ちょっとくらい、いいよね……?
 そんな軽い気持ちで、サウィンは脱衣所に出ると衣服をすべて脱ぎ捨てた。サウィンは王宮内での扱いが侍女と同じなので、この大浴場を使ったことは一度しかない。そのときはベルティーナがどうしても一緒に入るのー! と叫んだので仕方なくだ。それ以降は普通に侍女たちと一般用の風呂に入っている。
 広い大浴場を独占できるのは国王をはじめとする三英雄と王族だけだ。陛下はこんな気持ちなのだろうかと思いながら、手桶に汲んだ湯を浴びて汗を流してから浴槽に入る。
 そうして再び誰も来る気配がないことを確認してから、広い浴槽でのんびりと羽を伸ばした。

 ……結局。
 なんとか答えを見つけだしはしたものの、やはり何となく落ち着かなかったリーヴは、湯でも浴びるかとひとり大浴場に向かった。兵士たちに開放した後だし、忙しくて今日は誰もその後の清掃までは手が回らなかったことを考えると非常に鬱なのだが、湯を浴びるくらいならいいかと自分を納得させて、リーヴは脱衣所で衣服を脱ぎ捨てた。
 一歩浴場に足を踏み入れて、リーヴははてと首を傾げる。
(誰か掃除したんだろうか)
 そんな余裕があった者はいなかったはずなのだが、宴の間に誰かが清掃したとしか思えないほどきれいになっていた。もっともリーヴは汚れているときの大浴場は見ていなかったのだが。
 きれいならそれに越したことはないか、と浴槽に向かったとき。
「……誰かいるのか!?」
 気配がした。いつでも魔法を唱えられるように構えながら、湯煙の向こうに誰何する。戦の後でそれほど魔力が残っている訳ではないが、侵入者のひとりやふたり、捕縛するのに支障はない。

 リーヴが発動させようとした魔力に影響されて、不意に湯煙が周囲から退いた。
「……アープ、さま……?」
 先に気配を感じて慌てて出ようとしたサウィンと、近づいてきたリーヴが正面から向き合った。

 ……互いに絶対あり得ないはずのこの状況に、凍りついたまま立ち尽くすしか、なかった。

back menu next home