緑影騎士外伝「金色の魔道士」

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3.

「……だから、どうしてお前たちがここにいるんだ」
 サウィンの部屋を訪れたリーヴが頭を抱え込んだ。本当はしゃがみこんでしまいたかったんだが、それだけはなんとか耐え抜いた。
 名前以外の一切の記憶を持たない傷だらけの女性   サウィンを拾ってから1週間。拾った直後に国王ルークにことの次第を報告して、傷が癒えるまではとそのままベルティーナの隣の部屋を使用することになった。サウィンが酷い人見知りをするということで、一応は人払いをしてはあるのだが・・・あるのだが、どうしても野次馬というヤツは存在する訳で。
「どうしてって、お前がご婦人の面倒を見てるなんていったら、そりゃあどんな様子か気にならない方がおかしいだろう」
 ただ、その野次馬がよりにもよってリーヴの幼馴染ふたりというのが頭痛の種なのだ。
「だいたいお前たち、仕事はどうしたんだ! ウュリアは兵士たちの訓練の指揮と、ルークはこの前渡した書類、あれ全部目を通したんだろうな!?」
「いや別に指揮するのは俺じゃなくても」
「まあ、あらかた目を通したし」
「だから! 私は常々お前たちのそういう態度がよくないと言ってるんだ! 特にルーク! この国を統治するものがそんなことでどうするんだ、いくらこのところ平穏だからって……」
 顔を赤くして怒鳴り散らしていたのだが、その様子を見ていたサウィンが小さく吹き出したのに気づき、わざとらしく咳払いをする。
「……とにかく、さっさと仕事に戻れ」
「俺たちだって彼女のことが心配なのに、なあ?」
 こんなときばかりやけに気が合うルークとウュリアが顔を見合わせて頷きあう。嫌過ぎるそんなチームワーク。
 どうしてくれようかとわなわなと手を震わせていたリーヴに助け舟を出したのは、意外にもサウィンだった。
「申し訳ありません、私などに気を遣わせてしまって……。こんな得体の知れない女を拾って、治療していただいているだけでも勿体無いというのに」
「あ……いや、その」
 心の底からすまなさそうにうつむいたサウィンに、そんなつもりではとルークとウュリアがあわてて否定する。
「ま、まあ私たちはもう戻るから……サウィンも気にしないで大事にしているといい」
「……ありがとうございます、陛下」
 うやうやしく頭を下げるサウィンに追い立てられるようにして、国王と騎士が部屋から飛び出した。
「……何だかんだ言って、そういうお前が一番ここに入り浸ってるクセに」
「私たちばかり邪魔者扱いとはなー。ところでウュリア、実はちょっとあのふたりを見てて思ったんだが」
「うん?」
「あのふたり、保護者と子犬ってカンジだよな」
「子犬ー!」
 ……なんてことを部屋の外でいい年した男どもが言ってるなんて知る由もないリーヴは、ベッドの上で半身を起こしているサウィンの横に腰掛ける。
「うるさいのがうろうろしててすまない……。ちゃんときつく言っておくから」
「でも、あのお二方とお話されるときは、アープさまは怒っていても楽しそうです」
 いや楽しくなんかありません絶対。もしそう見えるなら錯覚です。
「傷はもう大丈夫か? 何か不自由があったら教えてくれ」
「足の傷ももうだいぶよくなってきましたし、毎日ベルティーナさまが様子を見にきて下さいますし……。不自由なんて、それどころかこんなにもよくしていただいて申し訳ないくらいです」
 意識を取り戻した直後のサウィンはひどいものだった。医師やベルティーナにさえ拒絶反応を示し、さすがに暴れたり悲鳴をあげたりはしなかったが、リーヴの腕を捕まえて絶対に離そうとはしなかった。それでも最初にベルティーナ、次いで医師を受け入れるようになった……のだが。数日後に話を聞いたルークとウュリアが興味本位で部屋を訪れたときの怯えようと言ったらなかった。すぐにふたりがリーヴと親しい者だと認識すると、徐々に彼らにも口を開くようになっていった。
「……まあ、ゆっくりしていればいいさ。最近は平和な日が続いていることだしな」
 そう言って立ち上がったリーヴは、まさかその数日後にモルタヴィアと衝突することなど、予想だにできなかった。


 やはりどこか、気が緩んでいたのだろう。このところ身辺で事故だの何だのと立て続けに起こったせいもあり、モルタヴィアからわずかに目が逸れた。偶然であろうが、その隙を衝くようにしての攻撃だった。
 押し寄せてきたモルタヴィア軍の半分ほどはリーヴの猛雪の魔法で追いやることができたが、残りの半分は白兵戦になった。いつもなら兵士たちに守りの魔法をかけるのだが、まず敵の数を減らすために大掛かりな魔法を遣ってしまったため、リーヴの魔力はそこで使い果たされてしまい、一切の魔法防御がない状態での戦闘となった。
 敵の数がそれほど多くないのがせめてもの救いだったが、さすがにいつものように完全に態勢を整えることができなかったため、多くの負傷者が出た。死者もわずかだが、出た。大怪我を負ったものはいつもなら魔力が続く限りリーヴが治癒させるのだが、今回はそれが期待できない。負けこそはしなかったが、ジルベールが受けた被害も甚大だった。
「お願い、誰か包帯を持ってきて!」
 医師を手伝って兵士を治療しているベルティーナが侍女に叫んだ。彼女の治癒魔法では効果が低い上に、魔力が少ないため多くの兵士を治療できない。まだ魔法で治癒していられるうちに包帯を補充してしまわなければ、とても間に合いそうになかった。
「……ベルティーナさま、私もお手伝いします」
「サウィンさん? でもあなたは」
「……少しはご恩をお返しできれば……」
 侍女よりも早く包帯を持って現れたサウィンが、ぎこちなく近くの兵士の傍らにしゃがみこんで傷の消毒を始めた。消毒や包帯の巻き方を習った訳ではないのだが、医師やベルティーナが自分の足を治療しているのを見ているうちに覚えたのだ。
 あんなにも人見知りの激しいサウィンが大丈夫なのだろうか。少し心配していたベルティーナだったが、兵士たちを治療しつつ彼女の様子を横目で見て、彼女は彼女なりに努力していることに気づいた。治療する手際はよいのだが、傷ついた兵士に言葉をかけることもない。こんな血の匂いのたちこめる場所で、傷を負った兵士が大勢いるような場所で、何より見知らぬ人間ばかりのその場所で、サウィンが平気なはずはない。顔を青ざめさせながら、それでも必死に倒れそうになるのを我慢して治療に専念している。
 なんとか大丈夫かと、ベルティーナも治療に専念することにした。とにかく今は手が足りないのだ。
 ふと、サウィンは消毒する手を止めた。少し離れたところでベルティーナが兵士に治癒の魔法をかけているのが見える。あの暖かい光   
「あんた、魔法を見るのは初めてかい?」
 傷を負っていてもまだ余裕のあるその兵士が、サウィンに話し掛けてきた。答えない彼女をそのままに、兵士は勝手に続けた。
「ベルティーナさまは心優しい方さ。王族なのに、俺たちみたいな一番下っ端の兵士だって分け隔てなく接してくれる。その上、俺たちのためにわざわざあの金色の魔道士に治癒魔法を習ったって話だ。俺たち兵士でベルティーナさまを慕ってないヤツなんかひとりもいないぜ」
 その兵士もまたベルティーナを深く慕っているのだろう、その姿を追う瞳がとても優しかった。
(金色の魔道士さま……)
 それは見事な金髪を持つ、リーヴ・アープの異称だった。
 ベルティーナはリーヴに魔法を習ったという。ということは、アープやシルヴィアの血族でなくとも魔法を使うことはできるはずだ。もし魔法の教えを乞うたら、自分にも教えてくれるだろうか? そうしたら……。
(私ったら何を考えてるんだろう)
 それでも……あの魔法を使えたら、あの暖かな光を手に入れられるのだろうか。あの時自分を救ってくれた、リーヴのくれたあの光を。
(……こんなふうに、手をかざして)
 ほんのささやかな夢だった。あのときリーヴのくれた光は、確かに自分を救ってくれた。傷を癒してくれただけではなく、傷つき荒んだ心にぬくもりをくれた。その光を自分も操ることができたなら   
(……え?)
 兵士の傷にそっとかざしていた右手がじわりと熱を帯びた。何事かと思ったときにはすでに右手を中心にやわらかな光の球ができており、それが消失したときには兵士の傷は完治していた。
「すげえなあんた、魔法が使えるのか!」
 周囲の兵士たちが一斉に注目したが、サウィンは自分が何をやったのか理解できない様子で、呆然としたままだった。
「サウィンさん!」
 思わぬ至近距離で聞こえたベルティーナの声に、サウィンがハッと我に返る。
「すごいわ、魔法が使えるのね! お願い、私ひとりじゃ足りないの、サウィンさんも手伝って!」
 何が何やら解らない様子だったが、とにかく今は兵士たちを治療することが優先だった。
「ありがとうよ、ええと……」
「サウィンです」
「ああ、ありがとうよサウィンさん」
「いいえ、こちらこそ……」
「アズル・レイだ」
「ありがとう、アズルさん」
 そうしてサウィンは傷を負った他の兵士のところへと向かっていった。


「それでね、すごいのよ! サウィンさん魔法を使えるの! 私びっくりしちゃった」
 巨大な魔法を使って身体が思うように動かないというリーヴが寝室で横になって休んでいるのだが、少々興奮気味のベルティーナは配慮に欠けるはしゃぎ様だった。あの後、ふたり合わせてもリーヴには勿論及ばないのだが、それでもだいぶ治癒をすることができた。サウィンも人見知りは相変わらずのようだが、最初の頃のように拒絶反応を示さなくなっただけ、ずいぶんと落ち着いてきたというべきだろう。
「どのくらいの魔法だった?」
「……どのくらいと言われても……」
「ああ、じゃあ治癒魔法を唱えたときに光の球ができるだろう。その大きさはベルとどっちが大きかった?」
「うーん、私と同じくらいだと思うけど」
「そうか……。それにしてもすまない、私がもっとしっかりしていれば……」
「ううん、でも被害が少なくてよかったわね」
 うつむいて黙り込んでしまったリーヴに、励ましの言葉も慰めの言葉も見つけられなかったベルティーナが首を横に振る。
 どこか気まずい沈黙がふたりの間を流れたが、それを破ったのはドアのノックだった。
「入るぞ」
 部屋の主の返答も待たずに入ってきたのは、ルークとウュリアだった。もう身体を清めて着替えも済ませている。
「……どうした、ふたりして雁首揃えて。今回の件の責任を取れとでも?」
 見舞いに来てくれたとは多分微塵も思ってないんだろう。何となく外した方がいいかと思って部屋を出ようとしたベルティーナだったが、不意に兄王に止められた。
「ベルティーナに聞きたいことがあったんだ。サウィンが魔法を使うというのは本当か?」
「え……ええ、治癒の魔法を使ってたけど……」
 わざわざ王が非公式にとはいえ訊ねに来るとは、なにかマズかったんだろうかとは思ったのだが、ベルティーナは素直に答えた。隠したってどうせすぐにバレるし、兄に隠し事はしたくなかった。
「兵士の間で噂になってたんだ。見慣れぬ美女が魔法で傷を癒してくれたってな」
 言いながらウュリアがちらりとリーヴの様子を窺った。一瞬リーヴの顔が険しくなったのを見逃すウュリアではなかったが、ひとりでにんまりするに留めた。
「まあ、それじゃあ決まりだな」
 何が何やら、ルークとウュリアが顔を見合わせて頷きあった。
「ちょっと待て、お前たちいったい何の話をしている?」
 このところがこのところだったので、ルークとウュリアがまたよからぬことを企んでいるのではと、リーヴが心の中で冷や汗をかく。だがあくまでも表向きは不愉快そうな表情なのだ。もっともそんな仮面に騙されるものはこの中にはいないのだが。
「サウィンを正式に王宮に住まわせようかと思って」
「はい?」
 リーヴにしてはずいぶん間抜けな返事だった。
「どうせ行く当てもないのだろう。だったらここにいて、兵士の看護を手伝ってくれると助かるんだが。……ベルティーナも喜ぶしな」
「ルーク兄さま、大好き!」
 思わぬ兄の言葉に、ベルティーナが全開の笑顔でルークに抱きついた。彼女はほとんど王宮から出ることが許されないため、近い年齢の同性の友人がいないのだ。もしもサウィンが王宮に住んでくれるというのなら、こんな嬉しいことはない。
「いやだからちょっと待て。お前、サウィン本人に了解は取ったのか?」
 もしそうなったら兵士の看護だって手が増えて助かるし、ありがたいことこの上ないのだが、本人がいやだと言ったらそれまでで。
「一応保護者の許可を得てから本人に話そうかと」
 保護者って何だ保護者って。
 どういうことだと多少なり憤慨したが、リーヴは冷静になって考えた。そうして振り絞るような声で陛下に申し上げたのだった。
「……私が行ってくる……」
 ルークやウュリアに任せたらどんなことになるか。普段の『国王』や『騎士』として交渉してくれるのなら問題はないのだが、すでにサウィンはふたりの素を見てしまっている。なおかつ彼女にとっての第一印象はサイアクだった。あのふたりに任せたら、成立する交渉も成立しないのではないかと金色の魔道士は危惧したのだ。
「そうか。じゃあ頼む」
 善は急げとばかりにすぐに部屋を出たリーヴを見守っていた三人だったが、その扉が閉ざされると同時に、三人そろって小さく吹き出した。
「リーヴ兄さま、かわいい……っ」
「これはあれだな、ほら、拾った子犬がかわいくて心配で心配でってヤツ」
「あーそんなカンジ」
 言いたい放題です。
「でも」
 口元をほころばせたままベルティーナが呟いた。
「最近リーヴ兄さまの表情がやわらかくなった気がする」
「……ああ、そうだな」
 ベルティーナにとってふたりの兄が頷いた。なんだかんだ言っても、やはり幼馴染のことが気になるのだった。

 ……そのふたりの幼馴染の気持ちが届いているのかいないのか。リーヴは一気に疲れを抱え込んでしまった様子でサウィンの部屋を訪れた。
「アープさま、大丈夫ですか?」
 いきなり言われたのがこれであった。そんなにもやつれた顔をしているのかと思ったが、それには触れずにリーヴは手短に用件だけを伝えた。
「こんな私でお役に立てるのなら、喜んで」
 最初はやや困惑気味だったが、最終的にはそのように快諾してくれた。
「以前、どこかで魔法の手解きを?」
 用事も済んだし体調も優れないのでどうしようかとは思ったのだが、やはり魔道士として気になったので、思い切って訊いてみた。ジルベール〜モルタヴィア地方では魔法文化は発達していない。そもそも最初にモルタヴィアを破りジルベールを建国した三英雄も、もとはモルタヴィアの者ではなく旅の者だった。他の国では魔法がもっと発達しているのか、魔法を持たない者にどう受け取られているのか。リーヴの祖父はそういったことを遺してはおらず、子供の頃から気にはなっていたのだ。ちなみに実母にそういった質問をしたことがあるのだが、その時の返事は『他所は他所だよ!(拳つき)』だった。
「……あの、ベルティーナさまにも申し上げたのですが、本当にどうして魔法が使えたのかも解らないくらいで……」
「ああ、すまない。ちょっと訊いてみただけだ。気にしないでくれるとありがたい」
 記憶を失っている彼女に明確な答えを期待していた訳ではない。軽く流してくれと付け足して、退室しようとした時、だった。
「う……?」
「アープさま!?」
 ぐらりと傾いだリーヴの身体を、サウィンが慌てて抱きとめた。リーヴが男性にしては華奢な身体つきだったため支えることはできるが、彼の部屋まで運ぶことはできない。
「す、すまない、目眩が……すぐによくなる」
「無理をなさらないで、ここで少し休んでいて下さい。すぐシルヴィアさまを呼んできますから」
「……いや、いい……それだけは勘弁してくれ……」
 ヤツにこんなみっともないところを見せられるかとばかりに意地を張ってみても、リーヴの身体は言うことをきかない。結局サウィンに引きずられてベッドに倒れこんでしまった。
(なんてみっともない……)
 あまりの自分の不甲斐なさに歯軋りをしたリーヴだったのだが、やはり体調が優れないのかそのまま意識を手放してしまった。
「……アープさま?」
 呼んでも返事をしないリーヴに何かあったかと思い顔を覗き込んだサウィンだったが、単に眠ってしまっただけだと解ってホッと胸をなでおろした。そうして、人を呼びに行くのはもう少し後でもいいかと、金色の魔道士の寝顔をしばらく眺めていたのだった。

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