緑影騎士外伝「黒髪の騎士」

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6.

 ベルティーナはこの世に生を享けてからずっと過ごしてきた部屋を、侍女たちの手を借りずに自分で片付けていた。
 もうこの部屋ともお別れ   
 三日後、ベルティーナはウュリアの元に嫁ぎ、王族であることを放棄する。ここに戻ることは、もうないのだ。せめて最後に思い出の詰まったこの部屋を自分で片付けていこうと思ったのだ。
 壁に掛けられた鏡をそっと拭く。……この鏡をいったいどれだけ覗き込んだのだろう。王族としての行事がある度に幼い頃は笑顔の練習をし、成長してからはウュリアに笑われないようにと何度も身だしなみをチェックした。自分の泣き顔を映してうんざりしたこともあったし、浮かれ舞い上がって紅潮した顔を見てますます頬を赤くしたこともあった。
 棚の上に飾られたガラスの花の置物は、隊商たちが訪れたときにキレイだったからとルークが贈ってくれたものだ。当時はまだ幼くて、このガラスの花に水をやってみんなに笑われたこともあった。水滴を纏ったガラスの花も美しいなと言ってくれたのは確かリーヴだ。
 ふと思い出して棚の引出しを開けると、そこには小さなビンがあった。魔法薬の研究をしていたときに偶然できた、よい香りのする液体が入っている。リーヴがこんなものですまないと頭をかきながら言っていたのを覚えている。
 こんなにも   こんなにも思い出が溢れてくる。
 ウュリアの元に嫁ぐのはずっと前からの夢だった。なのに何故こんなにも涙があふれそうになるのだろう。不意に零れ落ちそうになった涙を乱暴に拭って、ベルティーナはベッドのシーツを直し始めた。王宮を出るのは明日であって、今夜はまだこのベッドを使うのだから直す必要もなさそうなのだが、身体を動かしていなければ泣き出してしまいそうだったのだ。
 コンコン、とドアをノックする音がして、すぐに呼びかける声があった。
「ベルティーナ?」
「……ルーク兄さま!?」
 慌てて扉を開けると、そこには国王ルーク・ジルベールがいた。確か今日は執務があるのではなかったか。
「どうして……ここへ来ることなんてほとんどなかったのに」
 ルークを部屋に招きいれながらもベルティーナは動揺を隠せない。ベルティーナが生まれた頃からルークは帝王学だ何だと忙しい日々を過ごしており、彼が妹の部屋を訪れることは過去に数度あったかどうか、という程なのだ。
「せめて最後に、ふたりきりで話してみたくてな」
 兄妹として話せるのは、これが最後だから。次に会うときは王と民なのだ。
 そう改めて認識させられて、ベルティーナは口をつぐんだ。自分で決めたことなのに、なんと重苦しくのしかかってくるのだろうか。後悔はしていない、けれどとても……寂しい。
「……私はずっとお前に謝りたかったんだ」
「謝る……?」
「お前が生まれたときから私は王になるべく勉強に追われていたし、王位を継いでからは顔さえ合わせない日が度々あった。早くに両親を亡くしたお前に、兄として何もしてやれなかった。結果、実の兄である私よりもウュリアやリーヴに懐いても、それは仕方ないことだ」
「両親を亡くしたのはルーク兄さまだって同じじゃない。それに私、ウュリアやリーヴ兄さまも大好きだけど、ルーク兄さまも大好きよ。ただ、ワガママを言って嫌われたくなくて、忙しいのに邪魔したくなくて、だから……」
 ベルティーナはどんなに寂しくてもルークに遊んでくれとは言わなかった。かまってほしくても、いいこいいこと頭をなでてほしくても、絶対に言わなかった。自分のワガママで国のために尽くしている兄の邪魔をしたくなかったのだ。
 本当は遊んでほしかった。ウュリアやリーヴと一緒に王宮の中でかくれんぼをしたり、いたずらしたりしたかった。眠れない夜は枕もとでお話を聞かせてほしかった。
 ぽろぽろと、哀しくもないのに涙が溢れて止まらなかった。急に泣き出したベルティーナを、ルークは少し困ったように見守っている。
「……泣き虫は相変わらずだなあ」
「ち、違……ッ!」
 どんなに否定しても、当の本人の瞳からは涙がこぼれ続けている。
「でも、キレイになった」
 穢れることなく、凛としたその美しさはあらゆる花に勝るであろう。
 青の姫君、ベルティーナ。それはルークの何よりの宝ものだった。
 声もなく泣き続けるベルティーナを優しく抱きしめて、ルークはその背をさすってやる。
「……ベルティーナが何処へ行ったとしても、私にとって大切な妹であることに変わりはないよ。今まですまなかった。そして……しあわせになるんだよ」
「ルーク兄さまは私の自慢よ。私が何て呼んだとしても、それだけは忘れないで……。愛してるわ、ルーク兄さま」
 それでも、ベルティーナの涙は止まることはなかった。

 そして、彼女は初めて兄の胸で泣き明かした   


「ベルティーナさま……それをお付けになるのですか?」
「ねえ、私はもう今日から王族じゃないのよ。その『ベルティーナさま』っていうのはやめてちょうだい」
 着替えを手伝ってくれているサウィンに苦笑しながら、ベルティーナは言った。だが一度言い慣れてしまった呼称はそう容易く変えられるものではない。はあ、と曖昧な返事をしてサウィンはベルティーナの衣装の裾を整えた。
 ウュリアも両親を早くに亡くし、ずっと王宮の一角に住んでいたのだが、結婚するのであればと新たに居を構えたのだ。昨日からベルティーナもここに住み始め、今日は結婚式というほどでもないのだが、ちょっとしたお披露目をする。そのために庶民から浮かない程度に着飾って、それをサウィンに手伝ってもらっているのだ。
「ねえ、サウィンさんは結婚式とかやらないの?」
 ベルティーナが慕う年上の彼女は、少し前からリーヴとともに暮らしている。リーヴも通うのが面倒だからという理由で王宮に住んでいたが、これを機に家に戻ったらしい。
「ええ、まあ、ああいう人ですから」
「……そっか」
 リーヴはとにかく着飾ることやイベントごとが嫌いなのだ。結婚式だのお披露目だの、自分が見世物にならなければならないコトなんか絶対に進んでやるはずがない。
「私も……なんだか恥かしいですし」
 サウィンには、ジルベールを訪れるより前の記憶がない。そんな彼女を拾ってきたのはリーヴだったし、身元のわからない者を看護の補佐として王宮に住まわせたのはルークであり、一緒に兵士を看護したのはベルティーナだ。彼女が言うには、こんな自分にもったいないほどのことをしてもらっているのに、何も返せない自分が恥かしいのだそうだ。だから何事に対しても引っ込み思案になってしまう。
「でも、私は見てみたかったな……」
 ぽそりとベルティーナが呟いた。その呟きの裏にある意図を悟って、サウィンが一歩後ずさる。
「サウィンさんも何か着ましょうよ」
 来ました。ほら。やっぱり。
「で、でも私は何も用意してないし……それに今日の主賓はベルティーナさま……」
「また『さま』って言った」
「……!!」
「ね?」
 サウィンの笑顔が引きつった。

 結局ベルティーナのお願いに押されたサウィンは薄紅の衣装を着て花嫁を引率した。近辺に住む者はもちろん、英雄と姫君の姿を一目見ようという者も、新居から現れた花嫁の姿に思わずため息をついた。裾の長い淡い水色の衣装に白いブーケを持ったベルティーナは、どこまでも清らかで透き通った印象を与える。そして同時に、青ではなく水色の衣装であることが、もう『青の姫君』ではないのだと暗に主張していた。
 人だかりにすでに囲まれていた花婿は、正装よりは見劣りするものの、きちんとした身なりでそれでも腰に剣を佩いていた。何が起きても守るべきものを守ろうとするウュリアの強い意志が窺える。
 ようやく現れた花嫁にみなが道を譲り、そしてまたみなで囲んでいく。その様子を少し離れたところから眺めていたサウィンは、やっぱり見世物だわ、だけどなんて絵になる見世物なんだろうと微笑んでいた。
「ベルティーナ、それは?」
 清楚なイメージの衣装に、およそ似つかわしくない薄茶色のリースのようなものが彼女の頭上を飾っていた。いや飾るというのは違うか。どう見てもそれはキレイの部類に入るものではない。
「覚えてないの? ずっと昔に、一度だけあなたが私にくれたものよ?」
 夫となる男のすぐそばで、見上げながら意地悪く笑った。どんなに待ってもあなたは私にこれしかくれなかったんだからと、言外に拗ねながら。
「えっと……ああっ!?」
 やっと思い出しました?
「酷いわ、私はずーっと大事に持ってたのに」
 ベルティーナが3つか4つになる頃に、一度だけウュリアは花を編んで彼女に贈ったことがある。そういうことには不慣れなウュリアがなんとか作ったものだったから、かなり不恰好ではあったのだが、幼い彼女はとても喜んだものだった。
 花がすぐ枯れてしまうことは解っていたけれど、どうしても手放したくなくて、侍女に相談したところ『ドライフラワーにすればいいのでは』と言われてそのようにしてもらったのだ。
「……あのときの言葉、まだ覚えてる?」
 花を差し出しながら、小さな姫に言ったその言葉。
 忘れるはずがない、あのときの誓いの言葉を。
 ウュリアはみなが注目する中、ベルティーナの前に跪くと、その手を取り、
「永遠に変わらぬ愛を捧げます。どうかあなたに慈悲の心があるのなら、私にほんのわずかでも愛を   
 白く細い花嫁の手にくちづけた。
「……わずかだなんて」
 跪くウュリアを立ち上がらせると、ベルティーナはブーケを放り投げて彼を抱きしめた。
「私の愛の全部を、どうぞ受け取って   
 思わずベルティーナにくちづけてウュリアは軽々と彼女を抱き上げた。その途端に一斉に集まっていたみんなから拍手が起こる。カアッと頬を紅潮させたベルティーナだったが、そのままウュリアにしがみついた。
 ずっと覚えていたその言葉を、彼もずっと覚えていてくれたことが嬉しかった。
「見せつけてくれるじゃないか、ええ? シルヴィアの坊や」
 誰もがぎょっとしたその声の主が、人垣をかき分けてふたりの前に現れた。老婆であったが背筋はまっすぐ伸びており、実際の年齢よりも若く見せている。アイタタタと唸ったウュリアと対照的に、ベルティーナがひらりと飛び降りて老婆の元に駆け寄った。
「ジエルおばあさま!」
 ジエル・アープ、先代の『金色の魔道士』。あまりに強烈な魔力ゆえに、攻撃魔法を使えば味方さえ巻き込んでしまうという恐ろしい伝説を持っている。そのため戦場に出たことは稀であり、リーヴが成人したと同時にさっさと引退してしまって、今は日々魔法の研究に精を出しているという。ちなみに彼女を『おばあさま』呼ばわりできるのはベルティーナだけで、また『ジエル』と呼び捨てできるのはルーク国王だけである。
「来て下さったのね!」
「おお来るとも、かわいいベルティーナの晴れ姿とあっちゃ見にこないわけにいかないじゃないか。まあそっちのムサい男はどうでもいいが」
 英雄と謳われるウュリアも、この老婆には太刀打ちできない。
「で、どうしたんだい。あとの連中はどうしたね? ルークもリーヴもお前にしあわせになってほしくないのかね」
「……勝手なことを言わないで下さい、私ならばここにおります」
 いつの間にか、正装したリーヴがそこにぶすくれて立っていた。
「リーヴ兄さま!」
「……国王陛下よりウュリア殿に言伝がある。よろしいか」
「俺に何か」
 王の使いとしてでなければ、正装してこんなひとだかりには来ないであろう。何なんだかと思いつつウュリアがリーヴの前まで行くと、

 バキ……ッ!

 リーヴの華奢な拳がウュリアの左頬を撃った。

 その場にいた全員が驚きのあまり言葉を失う中で、リーヴが赤くなった自分の拳をさすりながら続けた。
「……かわいい妹を泣かせたらブッとばす、だそうだ」
 いやまだ泣かせてないって。……すでに泣かせたといえばその、心当たりがなきにしもあらず、うーんごにょごにょ。ウュリアがそんなことを思ってる間も、人だかりは一斉に吹き出して笑っていた。
 一緒になって笑っていたベルティーナの元に行くと、リーヴは花嫁をそっと抱きしめた。
「……おしあわせに」
「リーヴ兄さまも」
 それ以外に、お互いに言葉が見つからない。
「では私は戻るよ」
 無言で頷く花嫁を背に、リーヴは足早にその場から立ち去った。
「相変わらずだねえ、うちのバカ息子も」
「……そういえばさっき投げたブーケって何処に行ったのかしら」
 花嫁の投げたブーケを受け取ったものはしあわせになれるという。できればその、サウィンに受け取って欲しかったのだが、気づけば彼女も輪の中からいなくなっている。
「ブーケっていうとこれかい?」
「「あ」」
 ジエルの手にあるブーケを見て、ウュリアとベルティーナが間抜けた声を出した。ふたりの声にことの顛末を知った人だかりも同じような気まずさというか何というか、アレな雰囲気に染まっていく。
「ブーケトスって言うのかい? ブーケを受け取ったひとりだけがしあわせになれるだなんて、ケチくさいんだよ」
 おもむろにジエルがブーケを宙高く投げると、それに向かって何やら呪文を唱えた。やわらかい太陽の光を受けながら、ブーケがパァンと弾けて白い花びらがひらひらと舞い降りてくる。
「キレイ……」
「どうせなら、みんなでしあわせになりゃいいじゃないか」
 ジエルが笑った。

 太陽が祝福してくれたかのように、空から白い花びらがみなの上に降ってきた。しばらくウュリアもその光景に見惚れていたが、やはり花びらに見入っているベルティーナをそっと抱き寄せた。降り注ぐ花びらの中の彼女は、光の妖精の祝福を浴びたようにきらきらと輝いて見えた。
 抱きしめたときの華奢な感触も、その美しさも、愛しさも生涯忘れはしまい。
 誰もが花びらに見惚れている中で、ふたりはそっとくちづけた。
 永遠の愛をあなたに   
 そしてまた、顔を見合わせて微笑みあった。

 こんな穏やかであたたかい日が、いつまでも続きますように。
 すべての人に、祝福の光が降り注ぎますように。

 甘くやわらかい香りを漂わせながら、花びらが風に踊った。
 ゆるやかに、その愛を歌いながら    

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