緑影騎士外伝「黒髪の騎士」

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5.

 ……コンコン。
「姫、準備はよろしいですか?」
「……シルヴィアね? どうぞ、入って」
 ウュリアは中からの応えに扉を開くと、一礼して中に入った。黒髪の騎士の姿を認めると、青の姫君と謳われるベルティーナの着付けを手伝っていた侍女たちが、申し合わせたように言葉を交わすこともなく退室していく。その部屋でふたりきりになってようやく、ベルティーナは口を開いた。
「ねえ、ヘンじゃない?」
「とてもよくお似合いで」
 鏡の前で何度も自分の姿をチェックしていたベルティーナだったが、鏡越しのウュリアの定型すぎる返答にぷーっとふくれて振り返った。
「そんな言い方ってないわ」
「そうですか?俺はただ似合うものは似合うと言っただけで……」
 言いながら、顔を真っ赤にしてふくれっつらをする姫君に、ウュリアはたまらず吹きだしてしまった。
「……っ!! ウュリアのばかっ」
「あはは、だってあんまりに可愛いから……いや、キレイだよ本当に」
「むー……。本当?」
「誰より一番ベルティーナがキレイだよ」
「……一番じゃないわ」
 今日は国王ルーク・ジルベールとロゼーヌ・モルタヴィアの婚礼の日だった。ウュリアと婚約をし、結婚後は王族を抜けると宣言したベルティーナにとって、これが王族としての最後の行事になる。彼女としてはここでヘマをするわけには、みっともない格好をするわけにはという思いがあるのだろう。彼女のために存在するような目が覚めるような美しい青いドレスに、ところどころ銀糸で刺繍が施されており、控えめにレースが使われている。胸元には見事なサファイアのブローチが誇らしげに輝いていた。
「……でも、ウュリアもステキね」
「お褒めに預かり光栄にございます」
 おどけてみせて大げさにお辞儀をする黒髪の騎士は、この日に合わせて揃えられた銀色の鎧を纏い、正装用の濃緑色に銀の刺繍のされたマントを着用していた。鎧の胸部に埋め込まれた翡翠をそっと指でなでて、ベルティーナが小さく呟いた。
「ロゼーヌさんの瞳と同じ色ね」
「……そうだな」
 敗国の王女ロゼーヌ・モルタヴィアは、ジルベールに連れられてからというもの、ほとんどを部屋にこもったままでいた。紹介などを兼ねて食事を何度か共にしたことがあるだけで、話をしたこともない。ベルティーナと同い年の花嫁は、決してジルベールに心を開こうとはしなかった。
 これから彼女が心を開き、微笑を取り戻す日が来るのだろうか。シルヴィアを見ても肩を震わせながら睨みつけてくる日がいつか終わるのだろうか。
 それには途方もない時間が必要なのかもしれない。けれど、ベルティーナにはそれを待っている余裕がなかった。
「私、ロゼーヌさんと友達になれるかしら」
 王族を抜けてしまうベルティーナが、王妃となるロゼーヌと会話できるのはあと少ししか時間がない。同じ年頃の同性の友達がいないベルティーナは、叶うものならロゼーヌと親しくなりたいと願っている。たとえかつての敵国の王女であったとしても、これからは義理の姉妹なのだから。せめてわずかな時間でも、近く語り合えたらなあとは思うのだが。
 果たしてロゼーヌはどうであろうか。同じ王族でありながら、ひとりは政略結婚の駒として使われ、もうひとりは王族を抜けて結婚しようという。彼女の目にベルティーナがどう映るのか、想像に難くなかったがウュリアはただ「さあ」と曖昧に流しただけだった。
「何にせよ今日は無理なんじゃないか? 花嫁は忙しいしな」
「うーん、そうよね……」
 婚礼の日に花嫁と友達になってる余裕があるか否か。うつむいて考え込んでしまったベルティーナだったが、ふと顔をあげて、
「……兄さまは?」
「うん?」
「だってルーク兄さま、今日のことすごく楽しみにしてたじゃない。ヘンに緊張したりしてないかしら」
「まさか、子供じゃあるまいし」
「でも、ねえ?」
「…………。」
 いやでもそうでもないかも。ルークがどれだけロゼーヌという少女を想っているか、彼のプライベートな側面を見たことがあるものならば一目瞭然である。『国王』としてふるまっているときには絶対にあり得ないようなことをしでかすのもまた、彼の『個人』としての一面であって。
 何だか急に心配になってきた……。
「見て来る」
「ルーク兄さまをよろしくね」
 扉に手をかける前にくるりと振り返ると、ウュリアはベルティーナを抱きすくめてその白いうなじに口づけた。
「ではまた後ほど」
 顔を真っ赤にしたベルティーナの目の前で扉が閉じられたが、彼女は呆然としたままその場に立ち尽くしていた。
「ばかっ……」
 くちづけと共に耳元に残された熱い吐息がいつまでも離れない。
『今夜は遅くなります』と。


 ビンゴ。
 様子見に来た国王の控え室で、新郎がさっきから落ち着きなく行ったり来たりを繰り返している。金糸で刺繍された豪奢な衣装に王冠を戴いているのに、その落ち着きのなさが国王としての貫禄をすべて台無しにしてしまっていた。
 まさか本当にベルティーナの言う通りになっていようとはどうしたもんだかトホホーな気分で、ウュリアは呆然としてしまった。
「何をしてるんだ……」
「何って……別に……」
 それが別にな態度ですか。
「落ち着いたらどうだ、一国の王が仮にもこれから婚礼って時に」
 呆れ顔でウュリアが呟くと、さすがにカンに触ったのか国王陛下が足を止めて噛み付いてきた。
「落ち着けるもんなら落ち着いてる!! それができないからこうして何とかしようとしてるんだろうがっ!!」
「さっきから気にはなってたんだが」
「ああ?」
「何をそんなに緊張してるんだ?」
 いや聞かなくても解る気がするけどさ。一応ほらパターンってやつで聞いてみようかなと。何気なく聞いたウュリアにブチっといってしまわれたのか、国王がボソリと呟いた。
「これだからお前みたいな無神経はイヤなんだよ」
「あぁ!?」
「いや違うな、その図太い神経を見習いたいよ」
 図太いんじゃなくてこれは貫禄というんだ貫禄と!! というかルークが国王のクセに落ち着きがなさすぎるだけだっていう話が。
「お前、さっきから言わせておけば」
 なんでこんなヤツの心配してやらなきゃいけないんだろう、という気持ちが心の奥から急激に溢れ出してきて、一発拳をお見舞いしてやろうかと牽制すれば、ルークもまた受けて立つと言わんばかりに睨みつけてくる。
「いい加減にしておけ」
 ノックもなしに絶妙のタイミングで入ってきたのはリーヴ・アープだった。装飾を好まない彼もさすがに今日ばかりは正装していたので、ルークもウュリアもすっかり毒気を抜かれてしまった。
「ふたりとも子供じゃあるまいし。まして国を代表する者がそんな有様でどうする。もうすぐ儀式が始まるぞ、さっさと準備をしろ。進行は覚えているな?」
「ああ……」
 無言で頷いたウュリアに対し、ルークは今にも消えてしまいそうなか細い声で力なく返事をした。さっきの勢いは何処へ、という感じである。
「ルーク? どこか悪いのか?」
「いや、別にそういう訳じゃないんだが」
 覗きもうとするリーヴに、ルークは心配ないと微笑んで見せた。
「……ならいいんだが……」
 言いかけたそのとき、勢いよく控え室の扉が開かれた。国王がいる部屋の扉をノックもなしに開けるとは!
 無言でウュリアが咄嗟にルークをかばって剣を抜き、リーヴもそれに倣って魔法をすぐにでも唱えられるように構えた。……が、開け放たれた扉の向こうにいたのは暗殺者ではなく、怯えきった侍女だった。英雄たちの殺気に震え上がって、かわいそうに目に涙まで浮かべている。
「何事か」
「ご……ご無礼をお許しください陛下、大変なことに……」
「まず落ち着け。何があった」
 さりげなく侍女の背後に回り扉を閉めると、リーヴが先を促した。
「姫が……ロゼーヌさまが、お召し替えがすんだと思ったら急に……部屋を飛び出してしまわれて……い、今 みなに探させているのですが、まだ……」
 ぎくりとして、ウュリアがそっとルークの顔色を窺った。凍りついたその表情に衝撃も怒りも浮かんではいない。ただ……凍り付いてしまっていた。
「気持ちが昂ぶっておられるのだろう、急いで見つけ出して落ち着いていただけ。騒ぎになっては困る、侍女たちだけで探し出してくれ。できるな?」
「……はい」
 一礼して侍女が去ると、リーヴは深くため息をついた。政略結婚とはこういったものか。だが後には退けぬのだ、それが王族としての運命だとあきらめてもらうしかない。
「仕方ない、ルークはこのまま……って、ルーク!?」
 ウュリアも気づくのが一瞬遅れた。着替えも済ませた国王が、まさか部屋を飛び出してしまうなんて!
「おい!! 待て、どこへ……!!」
 ルークが妻となる女性を探しに行ったのは理解できた。だがあてずっぽうに探しても見つかるはずもないというのに。
「どうする」
「どうすると言っても、なあ……」
 ウュリアも探しに行こうかと思ったのだが、万が一ロゼーヌを見つけてしまった場合、シルヴィアを憎むあまりに花嫁が舌を噛みかねない。ここは花婿に任せるしかないか。
「どうしようもないだろうよ」
 自棄気味に吐き捨てたウュリアに、珍しくリーヴが同意してため息をついた。


 事情を知っているウュリアとリーヴ、それにベルティーナが待っているところにルークは花嫁を連れて無事に戻ってきた。ただ少し強張った表情で、何も口をきかなかった。ロゼーヌはうつむいたまま黙ってルークの後をついてきていた。まるで葬儀にでも参列しているかのような様子にウュリアはぎょっとしたのだが、その場は何も言わなかった。儀式を前にこれ以上の騒ぎになられては困るのだ。
「ロゼーヌさん」
 うつむいたままのロゼーヌに近づいて、ベルティーナがブーケを手渡した。
「キレイね」
 純白の絹の婚礼衣装に少女らしい薄紅の肌がとてもよく映えて美しかった。ベルティーナにしてみればそれはわずかでもロゼーヌと親しくなれたらと思って素直に言っただけなのだろうが、それはロゼーヌにはそうは受け取られなかった。受け取ったブーケをそのまま力任せにベルティーナに叩きつけたのだった。
「きゃ……っ」
「姫!」
 驚いてよろめきかけたベルティーナをすかさずウュリアが抱きとめる。乱心かと侍女たちがロゼーヌを押さえようとしたが、国王がそれを止めた。
「……シルヴィア」
 今にも泣きそうにしがみついてきたベルティーナをそっと引き剥がすと、ウュリアはただ静かに首を横に振った。
「……これより儀式を行います。よろしいですか」
 金色の魔道士リーヴ・アープの声に、ルークとロゼーヌは無言で頷いただけだった。


 婚礼の儀式は無事に終わった。ウュリアはちょうどその日の当番だったので、正装から普段の衣装に着替えて王宮内の最後の見回りに当たっていた。国をあげての一大行事に浮かれた者も準備に追われた者もさすがに疲れたのか、この日はいつもより早く王宮内の部屋の明かりが消えていった。これなら思ったよりも早く仕事が終わるかもしれない、とウュリアが思った矢先だった。
 ……この夜使われるはずのない王の執務室に明かりがついているのを見つけたのは。
 もしや侵入者かと思いその場に駆けつけて扉を開けて、ウュリアは深い、とても深いため息をついたのだった。
「何をしてるんだ……」
 姿が見えなくとも気配で解る。幼馴染が机の下で膝を抱えて小さくなっているのが。
「何って……別に……」
 どこがどう別になのか説明が欲しいところ。
「……何で新郎が執務室の机の下で小さくなってるんだ……」
 今そんなことしてる場合じゃないだろ、というツッコミをかろうじて飲み込んで、ウュリアはぼそぼそ呟くルークの声を聞き取るために机に腰掛けた。姿は見えないが、困ることもあるまい。
「俺……優しくできない……」
 ルークの意外な言葉に、ウュリアが小さく驚いた。
「優しくできない? ……相手が敵国の王女だからか?」
 名も素性も知らぬままに焦がれた少女。その正体が敵国の王の愛娘と知ってしまってもなお変わらずに愛を捧げろというのは酷なことだったのだろうか。それとも『少女』への想いと『敵国の王女』へのわだかまりがせめぎあっているのだろうか。
「いや……そうじゃなくて……、その……彼女を……めちゃくちゃにしそうで……」
「……」

 ………………。

 そんなことで見回りの手間をかけさせられたのかと思うとムカッ腹も立つのだが、同時にうわあそれすごい身に覚えがあるなあとも思ったり思わなかったり。自制が効かなくなってしまって彼女をめちゃくちゃにしてしまったけれど、ちゃんと話せば解り合えるのだから、そんなには気にしなくてもいいのではないだろうか。いや優しくできるならした方がいいに決まってるのだけど。
「……すりゃいいだろ。夫婦なんだから」
 ルークがどれだけロゼーヌを想っているのかは知っている。それをちゃんと伝えれば、今すぐにとはいかなくても心を開いてくれる日が来るのではなかろうか。案ずるより生むが易しとも言うし!
「そんなことでいちいち膝抱えてんじゃねーよ、ったく」
 たとえ砕けるのだとしても、まずは当たってこんかいと呆れたウュリアの言葉に、
「だからこの無神経が……」
 言いかけたルークだったが急に黙り込んでしまった。
「ル、ルーク?」
「ま、まさっまさかお前っ!! 妹に妹にそん……」
 ヤバっ 妙に今夜は鋭いぞどうごまかs
 ガコンッ!
 大きく机が揺れて、静かになった。
「……大丈夫か……」
 と、当面の危機は去ったというか何というか、机の下のルークは沈黙を保っている。そんなに強く打ったのか(汗)。
 様子を見ようかどうしようかとウュリアが迷っているとき、不意にそろりと扉が開いた。
「ウュリア?」
「……姫」
 愛しい青の姫君がこっそりと様子を窺うように顔を覗かせていた。慌てて机から飛び降りて彼女を部屋の中に招き入れる。
「こんな夜更けにひとりで出歩いて……! いくら戦が終わったからって無用心な」
「あなたに、逢いたかったから……」
 ウュリアに上着を着せられながらも、うつむいて呟いた。逢いたかった、逢って抱きしめて欲しかった。まさかロゼーヌにあんなにも拒絶されるなんて思わなかった彼女には、ブーケを叩きつけられたことがショックだったのだ。
「姫、あなたはまだ王族なのです。どうか自重して下さい」
 なのにウュリアはこんな風にふたりの間に線を引こうとする。
 甘えたいのに。思い切り甘えたいのに……。
「『姫』だなんて……ふたりきりのときは名前で呼んでと言ったはずよ?」
 まさか机の下に兄王がいるとは露ほどにも思わないベルティーナは、まっすぐにウュリアに甘えてくる。ベルティーナとルークの板ばさみにされてしまったウュリアだが、潤んだベルティーナの瞳の誘惑を拒絶しきれなかった。互いに引かれ合うように、そっと顔を近づける。
 ガタン……。
「キャッ!?」
 驚いたベルティーナが小さく悲鳴をあげた。ゆらりと陽炎が立ち昇るようにルークが机の下から姿を現したのだ。
「だから無神経はイヤだっつったんだよ……」
「兄さま!?」
「お、おいルーク?」
「ぶっとばす……!」
 何がなんだかわからないベルティーナの混乱をよそに、ルークが机をひっくり返して素手でウュリアに掴みかかった。
「やめて……」
 ベルティーナが止めに入るよりもほんの一瞬、その声の方が早かった。

「やかましいっ! 何時だと思ってるんだ!!」

 隣の部屋にいたらしいリーヴ・アープの『沈黙』の魔法が、その場にいた全員の言葉を奪ったのだった。


 一切の説明がなくても状況だけで大体のことを把握したらしいリーヴは、勝手にしろと吐き捨ててベルティーナを部屋まで送っていった。ようやく決心したらしいルークが花嫁の部屋に行こうと言い出し、ウュリアは一応の護衛のために部屋の前まで付き合うことにした。ウュリアとしても親友にして幼馴染であり主君でもあるルークの想いが届くことを願っている。もしそのために力になれることがあるなら、何だってやってやりたい。
「お前さ……」
 花嫁の部屋に向かう途中で、ルークがぼそりと話しかけてきた。
「堂々とベルティーナをくれって言ったけど、何とも思わなかったか?」
「……何が」
「年だって離れてるし……」
 ここにきて、なんとなくルークのわだかまりが見えてきたような気がした。ジルベールでは歴史も浅いため政略結婚なんてものは今までなかったのだが、年が離れた夫婦なんてのは他の国家なら結構ザラだ。いくら周囲に悟られてはいないとはいえ、随分と年の離れた相手に懸想してしまったことを体面が悪いと思っているのかもしれない。
「別に……好きになったもんはしょうがないだろう」
 2年前のあの日、ベルティーナを『妹』でも『主君』でもなく、『女性』として意識したあの日、ウュリアもさすがに困惑はした。けれど、だからといって止められる想いでもなかったのだ。
「だってそうだろ? 歳や身分で好きになるわけじゃないんだから。違うのか?」
 恋にだけは、逆らえない。
「ああ……そう、だよな」
 ルークが強く頷くのを見て、少し安堵した。誰かを想うことを恥じる必要はないのだと伝わったのだろう。それは罪でも恥でも何でもない。たとえそれが今まで戦ってきた仇敵の愛娘であったとしても。
 起きているかどうか確認したいと言って、2階の花嫁の部屋のテラスのすぐ近くまで来た。なんとなくさっきよりは頼もしくみえるルークに、がんばれよと声援を送ってウュリアは踵を返した。あとはふたりの問題だ。願わくば、幼馴染の想いが聞き届けられますように。




 ……とは言ってもやっぱり気になったりして。
 ルークが無事に部屋に入れるまでは〜と思って角を曲がったところでウュリアは佇んでいた。詳しい様子は解らなくても、何か声がすれば解る。
 大丈夫だといいなあ、と思いながらもずいぶんと遅くなってしまったなあ、とも思ったり。ベルティーナはまだ起きているだろうか。それとももう寝てしまっただろうか。
 それからどれだけの時が過ぎただろう。何らかの会話も何も聞こえてこないことをいぶかしんだウュリアが、こっそりと様子を窺ったときだった。
「……!」
 咄嗟に姿を隠した。
 一瞬しか見えなかったが、月明かりの中のテラスで花嫁はうずくまってすすり泣き、花婿はただそれをじっと見上げていた。
 そんな……。
 そんなことって……。
 それからいったいどれだけの時が過ぎたのだろう、ふらりとウュリアの前にルークが姿を現した。ウュリアがいるとは思わなかったルークは一瞬驚いた様子だったが、血の気の失せた顔でもはや何も言う気力が残っていないのか、ただ黙ってつっ立っていた。
「……ルーク」
 倒れこむようにルークがしがみついてきた。そのうちにしゃくり出すのではないかと思ったが、ルークはただ力なくウュリアにしがみついている。もはや彼には泣き出すだけの気力さえ残ってはいなかったのだ。
 打ちひしがれたルークの背中を、たださすってやるしかできなかった。
 励ましの言葉も慰めの言葉も、何ひとつ見つからないままで   


「ウュリア? どうし……ッ」
 随分と遅くなってしまったし、今夜はもう来てくれないのかと思ってベルティーナがウトウトし始めたところに、ウュリアがノックもなしに入ってきた。身体を起こそうとした彼女に覆い被さって、何か言いかけたベルティーナの唇を、己のそれで塞いでしまった。いつになく乱暴な接吻にベルティーナが抗ったがそれは徒労に終わり、されるがままになっている。
「ちょ……っ、ま、待って……」
 窒息しそうな接吻からようやく解き放たれたベルティーナが抗議をするよりも早く、ウュリアは彼女のその柔らかな胸に顔を埋めた。
 ……そして、そこで動きが止まった。
「……ウュリア?」
 呼びかけても応えはない。ただベルティーナを抱きしめて、子供が甘えるように頬を摺り寄せてくる。いつもと異なる彼の行動にただ大人しくしていたベルティーナだったが、どれだけそうしていたのだろう。思い出したようにウュリアが呟いた。
「……どうして、こう……うまくいかないんだろうな」
 何が、とは問わなかった。
 ベルティーナが優しく彼の黒髪をなでていると、やがて疲れ果てたようにそのまま深い眠りに落ちていった。

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