Pink

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4.

「あああああああああっ!!??」
 照りつける太陽の下でもハッキリと分かるほど、鈴蘭の顔が一瞬にして青ざめた。
「ない…… ないっ!!!」
 体内に封印したハズの『聖者の魂』が、どこにもない……!!
 慌てて周囲を見まわし、来た道をどれだけか戻ってみたが、それらしき気配は感じられない。
 いつ、どこで落とした?
 そもそも、体内に封印してあるものを何故、紛失する……?
 気が狂ったかのようにあたりを見まわし、それからどれだけ経過したのか、ようやく落ちついたように見えたが、頭を抱えて呆然と立ち尽くす。
 あれがもし天使の手に渡ったりしたら、ルシファー様の封印は永遠に……。

 天使の手に、渡ったりしたら。

 髪に飾ったコサージュの花が、リンと鳴った気がした。

 …まさか。
「あなたが好きだから…」
 ……まさか。
「天使どもの手の届かぬところに隠し……守ってほしい」
 ………まさか………。

 あなたが 好きだから。

     ッ!」
 蒼白の顔のまま、頬を一筋の涙が伝った。
 あの、天使の笑顔に、魅せられた。
 おだやかで、あたたかい、太陽の光のような、その笑顔に。
「お許し下さい、ルシファー様……」
 光と闇の、相反する眷属。
 仇敵だと、言ったのはいつだったか。
 いきなり告白されて、人の話を聞いてないし、ちっとも好みじゃないし、何がどうしてこんなにも惹かれてしまうのか。まるで判らないけれど。
 判らないまま、恋に落ちることも、ある。
「ごめんなさい……」
 口について出た言葉が、何に対する謝罪であるのか判らないまま、泣いていた。
「鈴蘭?」
 聞き慣れたその声に、弾かれるように振り返った。口が裂けても言えないけれど、ただ今は親友にすがりついて泣きたかった。
「カラー……  ……」
 何かが目の前で炸裂した。
 遠のく意識の中で『聖者の魂』のことが気にかかったが、あえなく意識を手放した。
 その後には、闇。


 どれだけか広い空を駆け巡った桜は、少々疲れたのか手頃な広場に舞い降りた。
「鈴蘭さん、どこだろう……」
 腰を下ろして、青い広大な空を見上げてみても、愛しい影は見つからない。
(多分『これ』、鈴蘭さんのだと思うけど……どこかで探してるのかな)
 拾った『光の球』を封じた右手を見つめてため息をついた。
 大切なものならば、早く届けて安心させてやりたいのだが、どうもそうはいかないらしい。背後の不穏な気配に、桜はすばやく立ちあがった。
「ふうん、仕事中に女のことを考えてるとはいいご身分だな。『生天使』では不満かい?桜君」
 穏やかな笑顔から放たれた厭味に動じた様子は一切見せず、桜はすっと一歩引いて、睨むように答えた。
「……先輩、何か?」
 赤い髪を肩まで伸ばし、軍服を纏い剣を佩いた、すらりとした長身の男性は、桜の先輩にあたる。名は、蓮華(れんか)。ふちなしのメガネが彼を優等生らしく見せている。
 蓮華の穏やかな笑顔が、一瞬にして、消えた。
「君、その『光』 どこで手に入れた?」
 封印してあってもわずかに熱を帯びるそれ。
 右手を握り締めて、桜は鉄面皮のまま答えた。
「おっしゃる意味が判りかねますが」
「とぼけても無駄だね」
 押し殺した声で、蓮華が音もなく剣を抜いた。細身の、やや長めの刀身が月光のように輝いている。
「君は右手に封印してるけど、あまりに神々しくまばゆいために『光』が封印からもれてるんだよ。それだけの力、君が持っていても仕方あるまい?」
 桜は、答えない。ただ、黙って聞いているだけ。
「主のためにこちらに渡してもらう」
 隠し切れない。ごまかしきれない。
 けれど、渡すわけには、絶対に行かない。
「主に栄光あれ!!」
 叫んで襲いかかってきた蓮華に対し、桜は避けるとも反撃するともなく、ただ……
 ただ、両手を広げた。

    ザァア……

 どこからともなく、聞こえるのは水の音。
 それが、一気に流れ込む。

 バシャアアアッ!!
「なっ……」
 透き通った水が、鉄砲水のようにどこからともなく流れ込み、襲いかかってきた蓮華を押し留めた。かろうじて流されることは免れたが、流れに身体を捕らわれて、身動きさえかなわない。
「桜ぁ……っ」
「『これ』は僕の愛する女性からの大切な『預かりもの』です。他の誰にも渡す訳にはいかないんです」
 水がひいた。凄まじい形相で睨みつけていた蓮華だったが、戦意を喪失して剣をひいた。
「それは主に逆らうということか」
「解釈はご自由に」
 主とは、神。天使である彼らにとって絶対の存在。その主のために、と蓮華が言ったにもかかわらず、『光』を渡すのを拒否したということは、主に背いたも同然。そう解釈されても弁解の余地はない。
「この一件は天使長様にも報告せねばならないけど、異存はおありかな、優等生の桜君」
「……失礼します」
 せめてもの反撃か、厭味をくれる蓮華に背を向けて飛び立とうとした桜を引き止めたのは、思いも寄らぬ言葉だった。
「ひとつ訊くが、彼女魔族だろう」
 桜の足が凍りついた。
「それも人間に新しい命を与える『生天使』の君とは正反対の、死をもたらす『死神』……いったいどこがそんなに気に入った?」
 問われ。桜は、振り返った。
 彼の強い眼差しに、一瞬蓮華が身構える。
「……笑顔、ですよ」
 とろけるような笑顔で答えると、桜は一礼して飛び立った。
「失礼します、蓮華先輩」
 後輩の後ろ姿を見守りながら、しばらくは呆然としたまま立ち尽くしていた。
 桜の片恋の相手が魔族だろうと人間だろうと、かまったことではない。『光』の件で追放なり罰を与えられるなりするだろうから。
 ただ、蓮華は人の想いを運ぶ『恋天使』だ。なのに、自分にはそんな想いがない。だから興味があった。相反する眷属の者を愛するというのは、どんなものなのか。
「『笑顔』、ね」
 そのためだけに、すべてを捨てられるのか。
 それが、うらやましい。
「私を名前で呼ぶとはね。明日は雨かな」
 空には雲ひとつ、ない。
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