真空の聲、静謐の旋律

back menu next home

   β:初夜2

 そう長い時間眠っていた訳ではない。
 今は夕暮れ時だろうか。がくぽはぱちりと目を覚ました。
 驚くほどにすっきりとした寝覚めに、本当に眠ったのかと疑うほどだった。眠っていたのはおそらく一時間程度だ。これまでの眠りが嘘のような、夢も見ないほどの深い眠りだった。
(おまじないが効いたのかもな)
 がくぽは額に触れてミクの唇のぬくもりを思い出す。
 耳を澄ましても階下で人が活動している気配はない。ミクはまだ眠っているのだろう。
 がくぽはベッドから下りて身体を伸ばした。寝起きでこんなに身体が軽いのはいつ振りだろうか。
 昨晩のことを思い出せばまだ胸がずきりと痛むが、努めて表情には出さないようにして  静かに階段を下りた。
 ベッドをのぞき込めばミクは毛布に潜り込んで丸くなっている。夕食はもうしばらく後にするかとがくぽが椅子に腰掛けようとしたときだった。
「……がくぽ……?」
 毛布の中からミクのか細い声が聞こえてきた。
「ミク? どうした、まだ痛むのか?」
「違う……、そうじゃなくて……」
 ベッドに身を乗り出してみれば、ミクが毛布から顔を少しだけのぞかせてがくぽを見上げてきた。
「あの……これ副作用なんじゃない……? すごいだるいっていうか落ち着かなくて……痛いのはもう治ったんだけど……」
 言い辛そうにミクが呟く。
「いつからだ」
「ご飯食べた後に寝て……。なんかだるくて目が覚めたのね。痛いのは治ったんだけど……。身体がざわざわして落ち着かなくて、起きたらだるいのは一旦治ったんだけど、少し寝たらまただるくなって……、なんか身体中がざわざわっていうかそわそわっていうか、ずっと落ち着かない……」
 たどたどしく語るミクの呼吸が少し荒い。目元しか毛布から出していないが顔は紅潮しているし、目が泣き出しそうに潤んでいる。額に浮かぶ汗に髪が絡みついていた。
「……熱が出たのか」
 がくぽの大きな手がミクの額に触れた。いつもは温かく感じるはずの手が、どこかひんやりと心地良い。
「熱、ある?」
「……少しな。寒気は大丈夫か」
「寒気っていうか……どっちかっていうと暑い気がする……」
「暑いなら毛布は取ったらどうだ。こんなに汗をかいたら風邪を引く」
「そうなんだけど……なんか落ち着かないから……」
「待ってろ。今身体を拭いてやる」
「あっ、あの、薬湯は使わないで! あれだと余計暑くなる気がする」
「……わかった」
 がくぽは洗面器に水を張ると、小さく何かを呟いた。乾かしていた手拭いを洗面器に放り込んで固く絞る。
「ミク、身体を起こせるか?」
「うん……」
 もそもそとミクが身体を起こした。顔は上気してどこかのぼせているようにも見える。けだるそうな表情がやけに艶めかしかった。
「腕を抜け。背中を拭く」
「……うん……」
 ベッド脇に立つがくぽに背を向けて、ミクは前開きの寝衣の袖から腕を抜いた。汗に濡れてところどころ色が変わっている寝衣が、支えを失ってミクの背中を滑り落ちる。
「……ひどい汗だ、大丈夫か?」
 ミクの小さな背中を優しく拭いながら声をかけるが、返事はない。声を出すのも億劫なのか、荒い息だけが聞こえてくる。
 昨晩ミクがひどく痛がったのを見て、がくぽは強く作用する薬草を使った。鎮痛、鎮静、止血、それに落ち込んだミクが少しでも元気になってくれればと、気分を高揚させる作用のもの等。
 いくつもの薬草を混ぜ合わせて使ったため、どの薬草がミクに合わなかったのかは解らない。ただその副作用もそう長く続きはしない。長引いても明日の朝には引いているだろう。
 それまでミクが体調を崩さずにいられればやり過ごせる。多少の微熱への対処と汗を拭くくらいなら一晩の寝ずの看病などどれほどのことでもない。
 自分の知識を最大限に活用しても、まだミクを苦しめるのかという思いがない訳ではないが  薬草の作用の強さは人によって異なる。本来なら穏やかな作用のものから順に使うのだが、昨晩の様子からそうも言ってはいられなかった。少なくとも本来の痛みを取り除くという目的は果たしている。申し訳ないがミクには少し耐えてもらうしかない。
 心苦しく思いつつも半分は仕方ないと割り切って、がくぽは黙ってミクの背中を優しく拭いた。
 がくぽがミクの右手を取ると、左手で毛布を抱きしめて大人しく右手を差し出した。がくぽはどこまでも優しくミクの腕を拭うのだが、ミクは痛みに耐えるように歯を食いしばっている。
(痛みはないはずだが……?)
 ミク自身も痛みはないと言っていたし、使用した薬草の作用から考えると、まだ痛みがあるとは考えにくかった。
(落ち着かないと言ったな。どういう意味だ……?)
 ミクの漠然とした、感覚的な説明ではどういう状況なのか的確な判断ができない。ミクの言葉を心に留めて、できるだけ優しく身体を拭ってやる。
 背後からミクを驚かせないようにそっと手を回してミクの腹部で動きを止める。ミクががくぽの手から手拭いを受け取って、首から胸にかけて拭っていく。
 身体を離してミクの後ろ姿を見つめたとき  その背中がやけに小さく見えて、そのまま消えてしまいそうな気がして  がくぽはミクを繋ぎ止めるように慌てて背後から抱きしめた。
「きゃ……!」
 びくりと身体を震わせて、ミクが小さく悲鳴を上げた。
 そこにミクがいることを確かめるように  この手をすりぬけてしまわないことを確認するかのように、がくぽの腕がミクを強く抱きしめる。
「な、なに……? どうしたの……?」
 ミクが驚いて身体を強ばらせる。がくぽは言葉もなくただミクを抱きしめていたが、
「……すまない。辛い思いをさせた」
「違う、それは私が……」
「傷つけたのは俺だ。一晩中泣かなきゃならなかったのは紛れもなく俺のせいなんだ。せめて痛みだけでも何とかできればと思って薬草を使えば、今度は副作用で苦しめてる。……本当に俺はどうしようもないな」
 自嘲するがくぽの言葉に、ミクが小さく首を横に振る。
「ううん……大丈夫って言ったのは私だから……」
「そんなに強がらないでくれ。余計に胸が苦しくなる」
 背後から抱きしめるがくぽにはミクの表情は見えない。それなのに、今どんな表情をしているのかが手に取るように解る。正面から向かい合ったらうつむいて今にも泣き出しそうな顔をするはずだ。
(そんな顔をさせてるのに、俺は……)
 どこまで自分勝手なのかと小さくため息をついた。漏れた吐息がミクの耳元をくすぐって、わずかに身体を震わせる。
「こんなにミクに辛い思いばかりさせてるくせに……、ミクのことが好きで  その白いうなじを見れば目が眩むほどにお前が欲しくてたまらないんだ。愛しくて大切にしたいのに、守りたいのに、泣かせたい訳じゃないのに……、こんなにもお前を奪い去りたくて仕方ないんだ。俺はただお前のすべてが知りたくて……もっと笑顔を見せてほしくて……、なのに本当にどうしようもない……」
 手拭いを握りしめてうつむいたままのミクの首筋に、引き寄せられるように口づけた。
「ゃあ……ぁ……っ」
 思わずもらした自分の声にミクが驚いて身体を強ばらせ、がくぽも一瞬頭が真っ白になり少しだけ身を引いた。
(何だ? どういうことだ?)
 昨晩の恥じらい混じりの吐息ではない。明らかに男を誘う女の吐息だ。
 昨日の今日で、まだ丸一日も経っていないのに  この反応の違いは何事なのか。
 がくぽの手から解放されたミクは、耳まで赤くして自分を抱きしめて背中を丸めている。白いうなじがかすかに朱を帯びて艶めかしい。
(……もしかしたら……)
 これまでのミクの言葉を思い出しながら思考を巡らせる。まさかと思いつつもひとつだけ思い当たった心当たりに、がくぽは確かめるように再びミクを抱きしめて  薄紅色に染まった首筋に舌を這わせた。
「あ、や……っ、ああ……」
 ミクの唇からもれた甘い吐息に、がくぽは確信した。そのまま首筋に甘噛みして、口づけの雨を降らせる。
「あの、がくぽ、あ……、待……って」
 力なく抵抗しようとするミクの腕を躱して、がくぽは自分に背を向けたままのミクを少しだけ抱き上げて身体の向きを変えさせた。寝衣は乱れてミクの下敷きになり、上半身が露わになった形でベッドに横たわったミクは顔を真っ赤にして自分を抱きしめる。
「がくぽ、なに……? え……?」
 泣き出しそうに潤んだ蒼い瞳が切なくがくぽを見上げた。
「……今から言い訳をする。怒ってくれていい。だが最後まで聞いてからにしてほしい」
「え……? うん……?」
「……昨晩、俺はお前を傷つけた。出血してひどく痛がったお前を見て、できるだけその辛さを軽減できるように  さっきも言ったが強めの薬草を使った」
 がくぽのやや思い詰めた表情に、ミクはただ黙って聞いている。
「薬草の目的はまず鎮痛・鎮静を最優先させた。それから軟膏にはそれらに加えて止血作用のあるものを使った。基本的に薬草は単一の効果だけがある訳じゃない。普通は複数の効果がある」
 目を閉じて小さくため息をついたがくぽが、意を決したように身体を乗り出してミクを正面から見つめた。顔を真っ赤にしながらも、ミクはうつむくことなくがくぽの眼差しを真っ直ぐに受け止める。
「使った薬草の中に  ひとつ、媚薬にも使われるものがある。鎮痛・鎮静ともにとても優れた効果を発揮するものだ。俺としてはそちらを優先させたつもりだ。別に、その……そういうつもりで使った訳じゃないんだ」
「あの、ごめん……今ちょっと頭がぼーっとしてて……。もう少し解りやすく言ってくれると助かるんだけど……」
「単刀直入に言う。お前は今発情している」
「は……、はっ!? なに!? 今何て言ったの!?」
「お前は今発情している」
「そうじゃないでしょ! なんで!? どういうこと!?」
「手に入る薬草の中で一番強力な鎮痛・鎮静作用があるものを使ったら、おまけに催淫作用があった。そういうことだ」
「じゃあなんか身体が落ち着かないのは……」
「副作用というより副産物だな」
「何を冷静に解説してるの!? 私、え? どうなっちゃうの!?」
 眉を吊り上げて潤んだ瞳でがくぽを睨みつける。一瞬怯んだがくぽだったが、
「ずっと作用し続ける訳じゃない、一晩寝れば落ち着くだろう。あるいは……、もう解っているはずだ」
 答えを促すようにミクの頬をなでた。
「そんなこと……、言われても……」
「とぼけるな。お前の身体はもう理解しているはずだ  全身の血が騒ぐほどに、何を欲しているのか」
 目を逸らそうとするミクの顎を長い指で捕らえ、がくぽは吐息の絡む距離でミクを見つめた。潤んだ瞳から今にも涙がこぼれ落ちそうになっている。
「まだ心が追いつかないというのなら、無理強いはしない。落ち着かないだろうがこのまま一晩眠ればそれで済む話だ。だがさっきも言ったが俺は目が眩むほどにお前が欲しい。もしお前が望んでくれるなら……」
「……ねえ、教えて」
 がくぽの言葉を遮ってミクが囁くように呟いた。
「そしたら……楽になれる? このざわざわ、落ち着くの?」
「……ああ、多分な」
「じゃあ……、」
 言いかけて、小さく息を飲んだ。覚悟を決めたようにまっすぐがくぽの藤色の瞳を見つめる。
「がくぽ、お願い……楽にさせて……」
 自分を抱きしめたままだった腕をがくぽの首に絡ませる。髪をなでて抱き寄せた。
「……ミク」
「もっと呼んで……」
「ミク。ミク……愛してる……」
「私も……愛してる……」
 誘うように開かれたミクの唇にがくぽは己のそれを重ね、花の蜜を吸うか否かを迷う蜂のようにおそるおそる舌を絡ませた。昨晩ひどく戸惑いながら応えようとしたのが嘘のように、引きずり込むようにミクの舌が絡みついてくる。がくぽがそれに応えれば、まだ足りないとでも言いたげにミクの腕ががくぽを強く抱きしめる。
「ん……っ」
 どちらからともなく吐息をもらして濡れた唇を離した。甘い余韻を引きずるように、一筋の唾液が糸を引く。
 身体を離そうとするがくぽを引き留めようと、ミクが白く細い腕を伸ばした。切なげに見上げるミクに微笑むと、がくぽはチュニックを脱いで床に投げ捨てた。ベルトに伸ばした手が情けないほどに震えている。
 かろうじて手間取ることなくベルトを外すとそれも床に投げ捨てて、ミクの腰から下を覆う毛布を勢いよく剥ぎ取った。
「きゃ……っ」
 恥じらいながら身をよじるミクの姿が、ひどくがくぽの中の男をそそる。固く閉じられた膝に触れて、許しを乞うように優しくなでる。
「ミク」
「……うん」
「愛してる」
「私も……」
「……お前しか見えない……」
「うん……」
「ミクが欲しい……」
「うん……」
「……ミクのすべてが欲しい」
「……うん……」
「お前は……?」
「……私も……」
「だったら言葉にしてくれ。何が欲しい? 誰が欲しい……?」
「あ……」
 わずかに緩んだ膝と膝の隙間に、がくぽの右手が滑り込んだ。ゆっくりと、静かに穏やかに  触れるか否か、かすめるほどの距離でミクのほっそりとした脚をなでていく。
「意地悪……。わかってるくせに……」
「その声で聞きたい。……求められたい」
「わ……私だって……、がくぽが……、あ……」
 がくぽの左手がもう片方の膝に触れる。右手が滑り込んだ隙間を少しずつ、ミクを促しながら広げていく。
「ん……、は……、ぁ……」
 がくぽの手に誘導されるがままに脚を広げて、ミクを焦らすようになでる大きな手の温もりに吐息をもらした。
「私だって、がくぽが……、ひゃあ!?」
 じわりじわりとミクの膝から這い上がっていたがくぽの右手が、急に腰に回されて驚いて悲鳴を上げる。思ったよりも大きな声を出したことに自分で驚いたミクががくぽを見上げれば、ニヤリと笑って身を乗り出した。ミクのすぐ耳元で甘い蜜を流し込むように、そっと囁く。
「俺が、何だって……?」
「わ、私だって……、その……」
 見下ろしてくるがくぽの藤色の髪がミクの紅潮した頬をなでた。喉元まで出かかった言葉が、急に勢いを失くして滞る。
「その……、どうした」
「ずるい」
「ひどい言いがかりだ」
「ずるいよ、わかってるくせに」
「わかっていることと、それを改めて言葉で伝えられるのは趣が異なるだろう」
「屁理屈ばっかり」
「何度も言わせないでくれ。俺はお前に求められたいんだ。求められている実感が欲しい。ミクは違うのか」
「……違わないけど……」
 不満そうに唇を尖らせた。そんな表情も愛しくてたまらない。
「じゃあ、頼む。ミクのその声で聞かせてくれ」
 それでもなお不満げに唇を尖らせてふくれるミクに、
「それは誘ってるのか?」
 笑って唇を重ねた。不満も言いかけた言葉も忘れて、ミクが嬉しそうにがくぽに応える。吐息を絡ませ、舌を絡ませる。ミクの口の中で、がくぽの口の中で。火傷しそうなほどの熱が喉を通って身体の奥へ奥へと伝わっていく。
 ミクの腰をなでていたがくぽの右手が、緩やかに下りてくる。ミクの小さな臀部をなでて、ゆるゆると物見遊山でもするかのように、ゆっくりとミクの脚の内側へと忍び込んでいく。
「ミク……愛してる」
 がくぽの唇が愛を囁きながらミクの首筋を這えば、
「私も、私だって……、がくぽのこと愛して……、るんだから……」
「ミクのことで頭も胸もいっぱいで……、他に何も考えられない……」
「私も……、いつからがくぽのことばっかり……、ん……っ、考えるように、なったんだろ……」
 焦がれるようにミクががくぽにしがみつく。
「ミク……。その顔、すごく魅力的だ……」
「え……?」
「妖艶で美しい……。強烈に惹きつけられる。とても逆らえない……」
 首筋から下りてきたがくぽの唇が鎖骨をなぞるように口づけて、ゆっくりと、確実に少しずつ下りていく。
「がくぽだって……、そんなふうに触られたら力が抜けちゃう……、だって、んんっ、くすぐったいよ、ねえ……」
「……そんな声を出すんだな……」
「出させてるの、がくぽでしょ……」
「もっと聞かせてくれ。俺の知らないミクの声を……、濡れた吐息を聞かせてくれ。誰にも見せたことのない表情を俺だけに見せてくれ。もっと乱れたミクが見たい」
「それじゃ……、私がいやらしい子みたいじゃない……、……はあぁっ」
 強く吸われてミクが大きく息を乱した。
「俺の前でだけいやらしくなってくれ。頼むから他の奴の前でそんな表情してくれるなよ」
「そんなの、当たり……ま、え……」
「俺だけに見せてくれ。俺だけに聞かせてくれ。他の誰も知らないミクを俺だけに教えてくれ……。俺だけのミクだ、誰にも渡さない……。絶対に誰にも……!」
「あぁ、もう……、いやぁ……っ」
 乱れた吐息で強くがくぽを抱きしめる。しがみつくように、責めるように  
「いや……なのか?」
 ミクの胸に顔を埋めながら、がくぽが小さく呟いた。熱を帯びた吐息にくすぐられ、身体の奥がじわりと熱にうかされる。
「私だって、そんなの、がくぽのそんな切ない声を他の誰にも聞かせたくない……! その熱い吐息もその手の温もりも、全部独り占めしたい……! 私の全部を見せてあげるから、がくぽの全部を私に見せて。あなたの声で私を呼んで。お願いだから、私以外の誰も欲しがらないで  私はがくぽの全部が欲しいの。私の全部をあげるから、がくぽの全部を私にちょうだい……!」 
back menu next home