緑影騎士−竜騎士の降臨−

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39.

 太陽が完全に輝きを取り戻す頃には中庭に集まっていた者達も解散し、静まりかえった中庭で、リグルとラスフィールは言葉もなく簡易テーブルを片付けていた。
「お茶菓子、いっぱい作ったのに……」
 ルティナが小さくため息をついた。
 あの後、静かになった中庭にサラ達が戻ってきた。後日正式な発表があるまでこの件に関しては沈黙を保つこと、とラスフィールに念を押されて王宮を後にした。その際、あれだけ騒がしかった子供達が黙りこくっているのを見て、ルティナがお茶菓子の半分を手渡した。
「後でいただくよ。今はちょっと、ごめん……」
 リグルが板を運び出す。
 ラスフィールの剣を放り投げたアレクは、昼食後に会議だと吐き捨ててどこかへ姿を消してしまった。時刻はそろそろ昼である。その内に戻ってくるだろう。
 後を頼むと言ったディーンは、果たして本当に王位継承の遺言のつもりだっただろうか。
 後を託せるのは腹心としてずっとそばにいたアレクだろう。だがそれが王位を譲ることと同義とは限らない。新たな王を立てて補佐するように、という意味にも取れる。
 それをディーンがアレクに王位を譲った、と解釈したのはラスフィールだ。そしてその解釈をあの場にいた全ての者と共有するよう仕向けた。
 リグルとラスフィールは、最高権力者が後継者を指名しないまま不在となった場合に何が起きるかを目の当たりにしている。国王の地位を狙う者が複数現れて争うのも、そのせいで国が混乱し国民が苦労するのも回避したい。そのためにはすぐに新たな王を立てる必要があった。
 ラスフィールの意図を汲んで、リグルもそれに倣った。幸いなことに中庭に集まったのは、アレクがどれほどディーンのために苦心してきたかを知っている者ばかりだった。ディーンがアレクを新たな王として指名しても何の疑問も抱かない。
 三英雄の息子であり反乱軍のリーダーでもあったディーンと違い、アレクは一般人だ。反乱軍の副リーダーとして戦っていたが、知名度としてはディーンに及ばない。それをとやかく言う国民もいるだろうが、何とか丸め込んでしまわなければいけない。
 もちろん──国民の前に、アレク自身を丸め込まなければ話にならないのだが。
「会議は長くなるだろうなあ」
「そうだな。ルゥ、すまないが携行食を用意しておいてくれるか。夕食までに終わればいいのだが」
「……うん、分かった。じゃあ、先に戻るわね。どうせみんな喉が渇くだろうから、途中でお茶を持って行くわ」
「そうしてくれると助かる」
 ラスフィールとルティナの会話を聞きながら、リグルは空を見上げた。
 幼馴染の瞳の色をした空に、眩しい金色の太陽が輝いている。空には影の欠片もない。
(ディーン……)
 最後の言葉を交わすことなく消えていった幼馴染は、何を想っていたのだろう──

   ***

 会議は予想通り紛糾した。
「俺は王様の柄じゃねえし、国民の誰も納得しねえっつうの!」
 とアレクが主張すれば、
「ディーン陛下はあなたに剣を託した、つまり王位をあなたに託したのだ」
 とラスフィールが反論し、他の者達が賛同する。これの繰り返しである。
 リグルは会議室のテーブルから離れ、扉のすぐ横の椅子に座り、静かにその様子を眺めていた。
 会議はまず最初に今回の件をどう国民に告知するかを話し合い、概ねありのままを伝えることになった。「創世神話に出てくる魔王が現れ、国王ディーンがその身を犠牲に再び封印した。竜は魔王の復活に伴い、魔王と戦うために現れた」のだと。
 ディーンは魔王をこの地に眠らせている間に避難してほしいと言い遺した。そのため、数年かけて国を旧モルタヴィア跡地に移転することにした。終戦時にモルタヴィア王宮は取り壊されているため、ジルベール王宮を移築することになる。資材の不足が予想されるため、まだモルタヴィアに現存している建造物は再利用か改築、ジルベールからの移築も行うことになる。まずはモルタヴィア跡地の現状確認をするところから始めなければならない。
 どちらも早急に、明日の朝には告知される。国の今後を左右する重大な案件だったが会議の冒頭ですんなりと決まった。
 会議に同席してはいるものの、リグルはジルベールを発つ身である。言葉を発することはない。ディーンの視察に同行している時にすり寄ってきた者達のことを考えると、自分の存在はアレクの王位継承の妨げになりかねない。早々に立ち去るべきだろう。
「戴冠式は明後日。国王に王冠を被せるのはリグル、お前だ」
「えっ?」
 ラスフィールの言葉にリグルは驚きの声を上げ、アレクは盛大に舌打ちをした。
「え、俺?」
「そうだ。異論はないな」
 ディーンから王位を受け継ぐのだから、王冠を被せるのは自分よりディーンの妹であるエリスの方がいいのではないか──と思いはしたが、言葉にすることなく飲み込んで、短く「分かった」と頷いた。
「はあ!? よりによってこいつかよ! 他の誰でもいいだろ、つうかそもそも俺は国王にならねえから!」
「ならば国王になりたい者に立候補させて国民の意思を問うか。その場合、権力欲しさに国民に賄賂をばらまいて王になる者も現れるだろうが、それでもいいのか。ディーン陛下が守ったこの国を蹂躙されてもいいと?」
 アレクにとって、それはもはや脅迫だった。
 顎が砕けるのではないかという程に歯を食いしばり、椅子を蹴って立ち上がる。両手で机を強く叩きつけ、
「畜生、どいつもこいつも! 俺がやりゃあいいんだろ! 後で後悔すんなよ!」
 ありったけの怒りをこめてアレクが叫んだ。
 深々と頭を下げたラスフィールに、
「とりあえず今はてめえの顔なんざ見たくねえ! さっさと出てけ!」
 指さして怒鳴りつけた。ラスフィールは涼しい顔で一礼し、優雅に退室した。扉のすぐ横にいたリグルもラスフィールに続いて会議室を後にする。
「ラス、本当に俺で大丈夫?」
 ディーンが即位した際には戴冠式などは行っていない。ルーク王病没後、ロゼーヌが即位した際にはリーヴ・アープがロゼーヌに王冠を被らせている。
「一般人を王に戴くよりは、ディーン陛下と同じく三英雄の子であるお前を国王にと望む声も出るだろう。だからだ。そのお前が自ら王冠を被らせるというのであれば、わざわざ新たな王を排してまでお前を王にとは望むまい。それともリグル、王になりたいのか」
「まさか」
「だろうな」
 顔を合わせて笑い合った。彼らは騎士としての生き方を望んでいる。主君に仕え、主君の剣となり鎧となる。それが彼らの生き方だ。
 アレクとて主となるよりは補佐の方が動きやすいと反論するだろう。ただラスフィールの目から見ても、恐らくは国を再建する側の者達すべての目から見て、適任者がアレクの他にいない。引き継ぎなく国のことを知り尽くしていて、混乱なく運営できる者。それはディーンの補佐をしてきたアレクしかいない。
 申し訳ないとは思うが、国の混乱を避けるためである。必要であれば新たな王を育てて王位を譲ればいいのだ。そこに考えの至らないアレクでもないだろう。
「ラス、どこへ?」
 歩き出したラスフィールが振り返る。
「そろそろ夕方だからな。いつも通り風呂掃除だ。お前はどうする」
「エリスを探してくるよ。あれから姿が見えないし」
「──そうか。では」
「うん。また明日」
 リグルもラスフィールに背を向けて歩き出した。

   ***

 地下の大浴場に行くと、すでにルティナがひとりで掃除を始めていた。
「早かったわね。会議はもう終わったの?」
「いや、顔も見たくないと追い出された。後はどこを?」
「それ言ったのアレクさんでしょ。もう水で流しちゃっていいわ」
 ルティナはブラシを物置に戻すと、大浴場の床を水で流すラスフィールを眺めながら、
「……さすがエリスさんね。一瞬で完治させちゃって」
 大きなため息をついた。ルティナの治癒魔法では、ラスフィールの胸を貫いた傷を閉じ切断された右腕を接合するのが精一杯で、完治にはほど遠かった。それをエリスは一瞬で治してしまったのだ。力の差を思い知らされる。
「あの時、君が私の名を呼んでくれなければ──私はきっとそのまま意識を失っていた。本当に感謝している」
 水を流す手を止めてラスフィールがルティナを真っ直ぐ見つめた。思いがけない言葉にルティナが驚いて言葉を失う。
 そのままルティナが立ち尽くしていると、
「今夜、時間はあるだろうか」
 問われ、素直に頷いた。風呂掃除の後はいつも文字の勉強だ。特に用事がある訳ではない。
「そうか。では話したいことがある。私のために時間をいただけるだろうか」
「ひぇっ? は、その……は、はい……」
 度重なる驚きに声を裏返しながらも、ルティナは噛みそうになりながら頷いた。
 その様子を見てラスフィールがほっとしたように微笑んだ。
「よかった。では早く掃除を終わらせてしまおう」
 大浴場の床を、水が勢いよく流れていった。

   ***

 月のない夜空に多くの星が瞬いている。
 アレクはこっそり王宮を抜け出すと、明かりも持たずに夜道を歩いた。夜目がきくため道端の石に足を取られることもなく、速度を落とさず歩いて行く。時折吹く風がひんやりと腫れた目を冷やすのが心地良い。
 ディーンを喪った悲しみに暮れることすら許されず、明後日には王になれという。人の心はないのかと憤慨する気持ちと、国民を混乱させないためには致し方ないという気持ちがせめぎ合い──理性で感情を言いくるめることもできず、アレクはただ歩いていた。
 あの後からエリスの姿を見ていない。本当ならすぐにでも後を追いたかったが、それができる状況でもなかった。エリスとて子供ではないし、反乱軍として戦っていた時でも充分戦力になり得る強力な魔法を使っている。そういった意味では心配していないが、魔王と戦った結果とはいえ、実の兄を剣で貫いているのだ。気落ちしているのでは、自分を責めているのではと心配してしまう。
 もしもエリスがひとりになりたいのであれば、王宮内ではなく自宅に戻るだろう。反乱軍の拠点として転々としていた仮住まいではなく、幼い頃からずっと住んでいた、思い出のたくさん詰まった家に。
 半年振りくらいに訪れたアープの家の窓から、うっすらと明かりが漏れていた。
 扉を叩こうとして、アレクは寸前でその手を止めた。エリスはひとりになりたくてここへ来たのだろう。だとしたら、そっとしておいてやりたい。そばにいても何かしてやれる訳でもないが何となく離れがたく、家の周囲を回っていると、
「……何してんだよ」
 リグル・シルヴィアが玄関の裏側にあたる壁にもたれて空を見上げていた。自分と同じことを考えてここにいるのも腹が立つし、こちらは泣きはらしたみっともない顔をしているのに、相手がいつも通りの澄ました顔をしているのも腹立たしい。
 窓を挟んだ壁にもたれてアレクも空を見上げた。
「中に入ればいいじゃねえか」
 アレクと同じことを考えているなら中に入ろうとはしないだろう。分かってはいたが場が持たずに声をかけてしまった。
「……俺がいると、エリスが泣けないから」
「……はあ?」
 予想外の返答に思わず間抜けな声を出す。
「別に泣き虫だなんて言った覚えはないんだけど、エリスはそれを凄く気にしてて、絶対に俺の前では泣かないんだよね。確かに子供の頃はよく泣いてたけど、泣いた顔も可愛いのに……」
「分かる」
「泣いた顔か笑った顔かって聞かれたら、そりゃ笑ってる方がいいけど、どっちのエリスも正直好きだし」
「あー……分かる」
「それでも俺に泣き顔を見せたくないって言われたら、無理させたくないし、見ないようにするしかないなって……」
「ああ……そうだな……そうなるな……」
「こんな時、ディーンだったらどうするんだろうって考えても、何も思いつかないし。ここで待ってるくらいしかできなくて……」
 リグルの声が途切れた。お互いに顔を見合わせることもなく、壁にもたれたまま同じ星空を見上げている。
「……お前はディーンがあんなことになって平気なのかよ」
「まさか。でもディーンがそれを選んだのなら、俺には何も言えないだけで……平気じゃないけど、悲しいより寂しい……かな」
「寂しい?」
「せめて最後に、お別れくらい言いたかったな……」
 リグルの言葉に、ディーンの最後の姿を思い出す。エリスを抱きしめたまま地上に降りて、アレクに剣を渡して、その後は泥に飲まれて消えてしまった。
 ディーンの意識で会話をしたのはエリスとアレクだけだ。リグルはディーンと言葉を交わしてはいない。
「……もしあともう少しディーンに時間があったなら、あんたにも声をかけただろうよ」
 星空を見上げたままアレクが呟く。
「そうかな」
「そうだろ」
「そうだといいな」
 リグルがアレクに向き直るが、彼は星空を見上げたままだった。壁から離れ、アレクが来た道をリグルが辿る。
「あん? どこ行くんだよ」
「言っただろ。俺がいるとエリスが泣けないって」
 アレクが視線で追うと、振り返ったリグルが寂しそうに笑った。意表を突かれたアレクが立ち尽くしている内にリグルの姿は夜の闇へ消えていった。
 しばらくしてからアレクが扉の方へ戻った時にはリグルの姿はどこにもなかった。
 そのままアレクが扉を背に星空を見上げていると、
「……アレクさん?」
 扉が開いてエリスが顔を出した。振り返るといつものエリスがそこにいる。泣いていた様子はない。
「よう、エリス。夜道を女ひとりで歩かせる訳にはいかねえからな。迎えに来たぜ」
 驚いた様子だったがすぐにエリスが扉から出てきた。
「お迎えに来てもらえるなんて、お姫様みたい」
「王子様じゃなくて悪かったな。じゃ、行くか」
 数歩歩いたアレクが足を止めた。
「……別に辛いときには泣いたっていいんじゃねえの」
 後ろに立つエリスを振り返ることなくアレクが続ける。
「大事な家族だろ。泣いたって誰も文句言わねえよ。俺なんかいい年して大声……」
 背中に触れた感触に、アレクの言葉が途切れた。
「……アレクさん、ごめんなさい。少しだけ……」
 エリスがアレクの背中に額を寄せて小さくしゃくり上げた。それが泣き声に変わるまで、大した時間を要しなかった。
(これじゃ逆じゃねえか)
 かつてエリスを泣かせたシルヴィアをいつか絶対ぶっ飛ばすと心に誓ったのに、今エリスを泣かせているのはシルヴィアではなく自分なのか。
 自分の背中で泣くエリスを抱きしめることもできず、アレクは満天の星空を見上げることしかできなかった。

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