緑影騎士−竜騎士の降臨−

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28.

 翌朝、ルティナは部屋から出てこなかった。
「ルティナは体調が悪いそうだ。今日は一日休みだ。風呂掃除以外は好きにしろ」
 アレクは他の監視役を立てることはせず、ラスフィールに休みを言い渡した。
 罪人に罰として課せられた労働に休みを与えるのかとラスフィールは困惑したが、休みをもらえるのならありがたくいただくことにしてその場を後にした。
 作業の一覧も国王の印が入った証書もルティナが所持している。ラスフィールがあちこちで労働をしていることは噂話で広まっているが、証書があるのとないのとでは話の進み方が違う。作業は一旦休むとして──一覧に書かれていた場所に、ひとつ気になる住所があった。
 突然の来訪は迷惑かもしれないと思いつつ、一覧にざっと目を通した時からずっと気になっていた。いずれ行くことになるだろうが、その時はルティナが一緒にいる。ひとりで行くには今しかなかった。
 ラスフィールが王宮を出ようとしたところでリグルと出くわした。
「今日はディーンは一日会議だから、俺はやることがないんだよね。部屋の前の見張りは他にやる人がいるから今日は休みだってさ。逆にエリスは会議の面子全員の食事を作ることになって忙しいし、もしラスがよければ手合わせをお願いできるかな」
「いや、今日はこれから行くところがある。すまんな」
「へえ、どこまで?」
「厩舎だ」
「……一緒に行ってもいいかな」
 一瞬考えたが、ラスフィールは頷いた。リグルが楽しそうにラスフィールの隣を歩く。
「お前はいいのか」
「え、何が」
「私の近くにいるとろくなことにならんぞ」
「さあ、そうでもないかもよ」
 リグルが小さく笑った。
「前にジルベールに戻ってきた時は、まだ反乱軍が戦ってる最中で──反乱軍の人としか会ってないけど、本当に嫌われててさ。国を捨てたくせにって面と向かって言われたよ。昔は昔でこの黒髪は敬遠されてたんだけど」
 王宮を出てしばらく歩いたあたりでリグルが言葉を途切れさせた。路地から現れた女がラスフィールとは反対側のリグルの隣にやってきて、
「シルヴィア様、今日は陛下の護衛ではないんですかぁ?」
 甘ったるい声で問うた。
「国王陛下は今日は会議のようですよ。では先を急ぎますので失礼」
 笑みを絶やさないままリグルが会話を断ち切った。女は未練がましく何かを言っていたが、足早に歩くリグル達に振り切られる形であきらめたようだった。
「ずっとディーンの護衛で一緒にいたから、ああやってすり寄ってくる人が増えたんだよね。面白いよね。俺の黒髪は今も昔も変わらないのに、あからさまに態度を変えられると何かもう……気持ち悪い……」
 状況が変われば人は簡単に手のひらを返す。ラスフィールはかつての行いが自分に返ってきただけだが、リグルは髪の色という自分ではどうにもできないことで敬遠されていた。シルヴィア一家が姿を消した時、リグルはまだ子供だった。彼の意志で国を出た訳ではないことなど明白なのに、人は彼を責めた。
 それが今はどうだ。リグルにとっては幼馴染の警護をしているだけなのだが、王の護衛として近く仕えているというだけで人はすり寄ってくるのだ。辟易もするだろう。
 そしてそれが幸いしたのか、厩舎に向かう途中、いつもなら石のひとつも飛んでくるのに今日は一切の干渉がなかった。
 何の弊害もなく厩舎に着いたが、ラスフィールは厩舎を素通りして近くの民家へと足を向ける。
「あれ? 厩舎に用があるんじゃ……?」
 振り返ることなく歩いて行くラスフィールの後を追っていると、しばらくして足を止めた。リグルもそれに倣う。
「知り合いの家?」
 そこはごく普通の民家だった。雨戸は閉められ、人の気配はしない。
「部下の……翡翠騎士副団長イグナ・レイの生家だ」
 イグナ・レイ──リグル自身は剣を交えたことはないが、反乱軍として最後の戦いに赴く際に王宮で遭遇した。正面から名乗りを上げた偉丈夫だ。リグルを通した後、ディーンとの死闘の末に敗れたと聞いている。
「彼は母親を早くに亡くし、父親と二人暮らしだった。騎士就任後に父親が亡くなり、葬儀に来たことがある。もう誰もいないことは解っているが……彼の死を伝えに行かなければと……ずっと思っていた」
「……そう」
 ラスフィールは扉を叩くこともなく、ただ静かにうなだれていた。伝える相手もいない。弔ってくれる人もいない。それでも彼が己の騎士道を全うしたことを誰かに伝えたかった。
「……もしやアルシオーネ様では……?」
 不意に背後から投げられた女の声に、ぎくりとしてラスフィールが振り返る。
 背中の中程までの長さの髪はふわりと淡い色をしており、穏やかそうな顔をさらにやわらかく見せている。作業衣を着てところどころ汚れてはいるが、彼女の品の良さを貶めることはない。
「あなたは確か、イグナ卿の……」
「ご無沙汰しております、サラ・スカルダです。イグナの父親の葬儀以来ですね。お元気そうで何よりです」
 深々と頭を下げるサラに、ラスフィールが敬礼する。
「……おめおめと今日まで生きながらえてしまいました。すでにお聞き及びでしょうが、お伝えしなければならないことがあります」
 サラが静かに言葉を待つ。
「本来ならば家族にお伝えするべきなのですが、イグナ卿には家族がいないので近親者であるあなたにお伝えします。──翡翠騎士副団長イグナ・レイは戦死しました」
「……はい」
「……私だけが生き延びてしまって申し訳ない。私には待つ人もいないのに……」
「あの人のことです、きっと自分の騎士道を貫いたのでしょう。でしたらもう、私が口出しすることはありません。それに私、近親者でも何でもないんですよね」
 サラの言葉にラスフィールが怪訝な顔をする。葬儀の時、ずっとイグナのそばに寄り添っていたので、親戚か婚約者かと思っていた。
「別れたんです。あの人が騎士になった時に、主君より大切なものがあっては困るからって言われて。うちは十も歳が離れていて、私が物心ついた時にはもうあの人は騎士に憧れてて……その夢を叶えるのに、私が邪魔になるなんて私自身が許せなかったんです。でも主君よりも大切だと思ってもらえてたんだなあって、嬉しくもあったんです」
 サラが寂しそうに笑った。
「だから近親者でも何でもないんです。ただの近所の人っていうだけで」
「そうでしょうか」
 騎士になりたい──その夢を理解し、支えてくれた人を、別れたからといってただの近所の人に格下げすることなど、ラスフィールの知る副団長はしないだろう。
 サラはただ静かに頭を下げた。
 二人の邪魔にならないように、一歩下がって黙っていたリグルだったが、ふと路地の影からこちらをじっと見ている少年──というにはまだ幼い子供に気付いた。
 癖のある短い金髪に、大きな茶色の瞳。年は三つかそこらだろうか。
 リグルが様子を窺っていると、自分を見つめる漆黒の瞳に気が付いて慌てて影に隠れてしまった。
「どうかしたのか」
 リグルが何かに注意を払っているのに気付き、ラスフィールが声を低くする。
「え、ああ……あそこで小さい子がこっちを見てたから……」
 リグルの視線を追えば、確かに子供が路地の影に隠れている。ちらりと覗いた金髪と茶色の瞳に、ラスフィールの息が止まる。
「イグナ! そこにいたの? 探したのよ、こっちにいらっしゃい」
 サラが二人の視線の先を追って、見つけた子供を呼び寄せた。頼りなげに駆け寄った子供がぎゅっとサラの服を掴む。
「あの人にそっくりでしょう?」
 癖のある金髪をなでてサラが悪戯っぽく笑った。
「この子はイグナ。──あの人と別れてから産みました。だからあの人は何も知りません。この子にも父親のことは詳しくは教えていません。いつか知ることもあるでしょうけど、今はただ死んだとだけ……」
 小さなイグナに見上げられ、ラスフィールは一瞬言葉に詰まった。面影どころか翡翠騎士副団長の生き写しだ。
「あなたは今、ひとりでこの子を……?」
「いえ、実家で両親と一緒に暮らしています。この子が大きくなったらこちらに移り住もうかと思って、時々掃除を……。そうだ、うちは馬具を作ってるんですけど、良かったらごらんになりませんか」
「いいんですか? 是非」
 ラスフィールより早くリグルが返事をする。
「……リグル」
「あ」
 そういえば自己紹介もまだだったかと、リグルが頭を下げる。
「失礼しました。俺はリグル・シルヴィア。彼とは昔馴染です」
「シルヴィア様の噂は伺っております。こちらに戻られて国王陛下の護衛をされているとか。アルシオーネ様とは仲が良くていらっしゃるのですね」
 リグルが噂になっているというのなら、ラスフィールのことも当然噂になってサラの耳に届いていることだろう。
「どうでしょう、俺はラスのことを尊敬してますけど」
「……リグルは相変わらずだと思っている」
「え、それって成長してないってことかな」
「さあ、どうだろうな」
 二人のやりとりに、思わずサラが吹き出した。きょろきょろと三人の大人を見上げるイグナ少年の頭をなでる。
「厩舎へご案内します。こちらへどうぞ」

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