緑影騎士−竜騎士の降臨−

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24.

 国王というからには王宮内に引きこもって仕事や会議をしているのだろうと思っていたのだが、午前は視察、午後も視察の出ずっぱり、夕食後は会議会議で夜遅くまで休む時間も無い。仕事から解放されるのは入浴中と睡眠中くらいで、自分の時間はないに等しい。
 リグルはほんの一日ディーンの護衛として付き添っていただけだが、あまりの多忙さに言葉を失ってしまった。
 朝夕の食事時はエリス、アレクも一緒だが、朝は一日の予定を話した後、食事はほぼ腹に詰め込むだけの作業である。昼は携帯食だがそれもほぼ作業であり、夕食はそれぞれの報告会である。雑談もなくはないがその後には会議が控えているためゆっくりもしていられない。
 竜の来襲に備えた戦力としてジルベールに滞在するといっても、何事もなければやることもないため、リグルは国王ディーンの護衛として視察に同行している。国王の腹心であるアレクの指示は「ディーンのやることに一切口出しをしないこと」だった。勿論最初からそのつもりであったリグルはほぼ無言でディーンについて回った。時折リグルの黒髪を見て声をかけてくる者もいたが、それは国王の手前もあり非難や罵声ではなく媚び諂うようなものが多く、リグルは簡単な挨拶と笑顔でそれらを遮断した。
 護衛にはもうひとり、反乱軍の頃からの仲間がついている。そちらはディーンの補佐も行っており、視察先で資料を出すなどしている。リグルは護衛に徹し、近づく者を注意深く観察していた。

 その日、ディーンの午後の予定は会議となった。同じ会議室内にはアレクや反乱軍の仲間もおり、リグルは会議室の前で見張りである。
 扉の向こうから時折聞こえる白熱する声を背中で聞きながら、リグルは周囲に異変はないか注意──といっても王宮の奥に位置するため人の出入りも少ない。右も左も真っ直ぐな廊下で見通しもいい。ほぼそこで立っているだけである。
 このまま何事もなく過ぎていくことを願っていると、リグルを見つけたエリスが廊下の向こうから小走りにやってきた。
「リグルさん、今日は……兄さんは会議?」
「うん、午後はね。何となく長引きそうだよ」
「んー、夕食は遅くなるかしら……」
「どうだろうね。エリスは食事の準備は大変じゃない?」
「うん、竈は魔法で火を起こす仕組みになってるから火加減の調整も簡単だし、反乱軍の頃はもっとたくさん作ってたからだいぶ楽よ。……どうかした?」
 リグルにじっと見つめられて、エリスがどこか変だろうかと指で髪をなでつける。
「ううん、なんか久し振りな気がしたから」
 同じ屋根の下で寝泊まりして一緒に朝夕の食事もしているのに、思い返せば二人だけで話すのはジルベールに戻ってから初めてかもしれない。
「……そうね。なんか、変な感じ」
 照れたようにエリスが笑った。
「食事の用意の他には何を?」
「食材の確認とか……食堂用とは別に届けて貰ってるんだけど、一応おかしなところがないか確認するようにアレクさんに言われてて……。あとは時間ができたら父さんの日記とか読みたいけど、残ってるかしらね」
 女王と戦うと決めた時、自宅を出て空き家を転々とした。魔法関連の書物は持ち出したがそれ以外の物は持ち出せなかった。幸いなことに自宅が焼き払われることはなかったが、中がどうなっているかはエリスは知らされていない。
 どうだろうねと笑いながら、リグルは生家がすでに取り壊されていることを思い出した。家は人が住まなければ朽ちてしまう。シルヴィア一家がジルベールを出たのは十年程前で、放置しても危険だからと取り壊されたとしても致し方ない。
「そういえば、馬を置いてきちゃったわね」
「……あ。そうだね……」
「あの後、師匠は大丈夫だったかしら。ガゼルさんも心配してるだろうし……」
「うん……」
「……置いてけぼりは悲しいものね。ちゃんと戻って説明しないと」
 エリスの苦みのある声に胸の奥がちりりとしたような気がして、リグルはぎゅうと拳を握った。
 置いてけぼりは悲しい。
 かつてジルベールからシルヴィア一家が忽然と姿を消したあの時、彼女は一体どれほど涙を流したのだろう。
「ここから転移の風で森へ戻ることはできる?」
「……できることはできるけど……」
 リグルの問いにエリスがしばし考え込んだ。
「ここからだと距離があるから、片道だけで魔力を全部消費しそう。そこまで消費しちゃうと回復まで時間がかかるし、すぐには戻ってこれないと思う……」
 一旦魔法で森に戻ることはできるが、往復するのに時間がかかるようではその間に竜が再び現れた場合に対処ができない。
「ごめんなさい」
「エリスのせいじゃないよ。そうだ、これ見て」
 襟元に指を入れて引っ張り出したのは、ガラス工房でもらったペンダントだ。
「いつも着けててよかった。……大事なものだから」
 普段は邪魔にならないよう衣服の内側に入れているが、いつも寝る時と風呂以外は肌身離さず身に着けている。
「……あのね、リグルさん。私も」
 エリスが襟元からペンダントを引っ張り出した。リグルが選んでくれたペンダントトップはエリスの瞳のように深い青だった。それが嬉しくて肌身離さず身に着けている。
「お揃いだね」
 ペンダントも、いつも身に着けているのも。
 笑ったリグルが自分のペンダントをエリスのペンダントに軽く当てた。四角いガラスのペンダントトップがかちりと小さく音を立てる。それがなんだかくすぐったくて、エリスも自然に口許が緩んだ。
「……エリス、」
「お? エリス、そこにいるのか?」
 唐突に扉が僅かに開き、リグルは言いかけた言葉の続きを飲み込んだ。驚いたエリスが咄嗟にペンダントを襟の内側に戻す。
「アレクさん、会議はもう終わったの?」
「逆だ逆。長引きそうだから夕食を早めにして、その後で会議を続けることになった。で、悪い、今日は早めに飯の準備を頼めるか?」
「うん、分かった。じゃあ今からすぐ取りかかるわね」
「おう、頼む。もうしばらくしたらこっちも一旦解散する」
 アレクは一度もリグルを見ないまま扉を閉ざした。静まっていた部屋から再び活発なやりとりが聞こえてくる。
「リグルさん、さっき何か……」
「ううん、何でもない」
「そう? じゃあ、また後でね」
 足早に立ち去るエリスの背中を見送って、リグルはペンダントを襟の内側にそっと戻した。

   ***

「すまないリグル、皆を呼んできてくれるか」
 夕食を終えてディーンにそう頼まれたリグルは、何の疑いもなく「分かった」と部屋を出た。エリスはすでに食器を下げて部屋を出ており、広い部屋に残っているのはディーンとアレクだけである。
「アレク、確認したいことがある」
「……おう、何だよ」
 机に両肘を立て、両手を口元で組み難しい顔をしていたディーンに唐突に声をかけられ、アレクが一瞬身構えた。
「いつリグルをぶっ飛ばすんだ?」
「……は?」
「前に言っていただろう。リグルが戻ってきたらぶっ飛ばすんじゃなかったのか。前回は戦いの最中でそんな余裕もなかったが、今なら時間がある。絶好の機会なんじゃないのか」
 エリス、ディーンと出会った数年前──ディーンにエリスが好きかと問われ、そうだと答えた。だが初めて出会った時から──厳密に言えばもっとずっと前から、エリスの心には他の誰かがいた。それは初めから分かっていたことで、想いを伝えたところでエリスは応えられない申し訳なさで泣いてしまうだろう。だからアレクは伝えるつもりもなかった。
 ただエリスにはいつも笑っていて欲しい。エリスを泣かす奴をぶっ飛ばしてやりたい。それは出会った当初から思っていたことで、ディーンから幼馴染が突然いなくなった時、エリスが大泣きしたと聞いてその幼馴染──リグル・シルヴィアをぶっ飛ばしてやりたいと心の底から今に至るまで思い続けている。
 エリスを泣かせたことが許せないのはもちろんだが、想いを秘めて寄り添うだけの道を選んだアレクの前で、リグルは事も無げにエリスを連れて行ってしまった。これがぶっ飛ばしたくならずにいられようか。
「そりゃ今でもぶっ飛ばしてえよ。ぶっ飛ばしてえんだけどなー……」
 会議中、扉の向こうにエリスの声が聞こえた気がして僅かに扉を開いた時、世界中の花を集めた花束でさえ霞むような眩しい笑顔のエリスがいた。
 その笑顔の先には、アレクが常々ぶっ飛ばしてやりたいと思う相手がいた。
 リグルをぶっ飛ばしたいという気持ちと、それを見たエリスが泣いてしまうのではないかという気持ちを秤にかけたところ、一瞬で後者に秤が傾いた。だから震える拳を心の中に留めている。それだけだ。
「今の内にぶっ飛ばしておかないと、後悔するかもしれないぞ」
「ディーン、お前は唆してどうしたいんだよ」
「どちらが私の義弟になるのか気になってな」
「はっ!? ちょっ……、はあ!?」
「幼馴染にお義兄さんと呼ばれるのも悪くないし、年上からお義兄さんと呼ばれるのもちょっと楽しみだ」
「お前さあ、エリスの気持ちとかどう思ってんだよ」
「二人ともエリスを大切にしてくれることは分かっているし、エリスがどちらを選んでもしあわせになれると思っているからな。私は外から楽しませてもらう」
「……お前いい性格してんな……この前熱出してから変わったんじゃねえの」
「そうでもない。こんな面白いことが今までなかっただけで」
「そういうお前はどうなんだよ。気になる娘とかいないのかよ」
「……アレクみたいにモテないからな……」
「モテてねえし」
「そうか? この前も、ほら、髪の長い……」
「あれはそういうのじゃねえから!」
 頭を抱えて唸り声を上げるアレクを見て、ディーンが笑う。
(幼馴染効果が出てんのかね……だったらいいんだけどよ……)
 かつての反乱軍の仲間と顔を合わせれば常に仕事の話だ。アレクも例外ではない。時折雑談もするようにはしているが、気が休まる時がほとんどないのは紛れもない事実だ。
 仕事の話をしない、口出しをしない幼馴染がそばにいることで気持ちが楽になっているのなら、少しはぶっ飛ばすのを見合わせている甲斐があるというものだ。
「アレクにはしあわせになって欲しいからな。他にいい人がいるのなら別に構わないが、想いを伝えないまま引きずるよりも当たって砕けた方がいいんじゃないか?」
「あのなディーン、だから……」
「アレク、入るぞ」
 アレクの反論は扉のノックの音に封じ込まれてしまった。

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