……何が面白くてこの男はつきまとってくるのだろう。
「愛しています、結婚して下さい」
 一輪の花を差し出して突然そう告げたのは初めて見る顔の兵士だった。どう見ても年下のその男は、まっすぐに見つめてきてさらに追い討ちをかけた。
「今すぐにとは言いません、僕は待ちますから」
 兵士たちの間で何かおかしな罰ゲームでも流行っていて、賭けに負けた者は求婚せねばならないとでもいうのだろうか。呆気に取られながらそんなことを考えている内に、兵士は無理やり花を押し付けて踵を返し走り出してしまった。
「……名前くらい名乗れ、バカが」
 そう呟いたのは兵士の背中が見えなくなってからである。



「ジエルさん、見てくださいよ! すっごくおいしそうな果物もらったんです、一緒に食べませんか」
 単なる一時の気の迷いだったのかと思ったのだが、ジエルに求婚した命知らずの若者は、その後も彼女を追い掛け回した。兵士ということはシルヴィアの苛烈な特訓があるはずなのだが、隙を見つけては必ずジエルを探し出して一言二言話をしていく(あくまでも一方的に話しかけて来るのだが)。最初は周囲も気が触れただの命知らずだのと言っていたが、最近はかの凶悪な女魔法使いジエル・アープを防戦一方に追い込む手腕に尊敬の念さえ覚えているらしい。
「……なんなんだ、それは」
 勇敢なる若者   リ・ヴェールの手にはかご一杯の果物が盛られている。
「あ、僕を育ててくれた人が作ったんですけど、今年一番に収穫したものをもらってきたんです。もう子供じゃないんだから心配しなくていいって言ってるんですけど、せっかくだからいただいてきちゃいました」
 最初に名前を聞いたとき、リ・ヴェールという変わった名のどっちが姓なのかと訊ねたところ、それでひとつの名なのだという。どこかの国の言葉で冬という意味なのだそうだが、彼を生んですぐに息を引き取った母が冬に生まれる子供にそう名づけるのだと、生前に言っていたという。それ以降彼は子供のいない農夫婦に引き取られ、近年軍に入り今は王宮の宿舎で生活している。
「今、皮をむきますね」
「……いい」
 ナイフで皮をむこうとしたリ・ヴェールの手から梨をもぎ取ると、ジエルは大きく口をあけてそのままかじりついた。シャクッという音とそこから滴る果汁が何とも美味しそうだ。
 ジエルはもう若いという年ではないが、長く見事な金髪、切れ長の青い瞳、白い肌、赤い唇、ほっそりとしたシルエット、容姿は何一つ申し分ない。それでもこの年まで独身なのは、どこまでいっても『女らしくない』からである。がさつな言葉使い、魔法使いのクセにすぐに暴力を振るう、家事はできない、振る舞いのことごとくは女らしさのかけらもなく、いっそ男らしいくらいだ。彼女の魔法が強力すぎてジルベールの民のすべてが恐れているのだが、それもまた要因のひとつだった。
 それなのにこの目の前にいる優男は、ジエルの男らしい食いっぷりを見て、
「豪快な食べっぷりですね。そういうの好きですよ」
 呆れるどころか惚れ惚れとするのである。何を考えているのかと苛立ちながらジエルは梨を5口ほどで平らげる。
「よかったらもうひとつ……」
 リ・ヴェールが差し出すよりも早くかごに手を伸ばして、ジエルは葡萄を取ってそのままかじりつき、3粒ほどを房からむしり取る。傍から見ていても自棄っぷりが覗えるのだが、彼の目にはそうは映らない。
「お気に召していただけたみたいでよかった」
 にこにこしながら葡萄を一粒口に含む。リ・ヴェールは体格的にそれほどゴツゴツとはしていない。顔立ちも優しそうで、上品に食べる様子はジエルよりもよっぽど女らしく見える。葡萄を平らげて口元を乱暴に拭うと、もう一粒〜と葡萄を物色しているリ・ヴェールの胸倉をひっ掴んで詰問した。
「……オマエ、何を考えている?」
 意味を把握できずに目を瞬かせながらも、彼女の手を振り解こうとはしない。うーんとしばらく考えてから、
「ジエルさんと一緒にいられて嬉しいです」
「バカかオマエは!? 私の魔力を知らない訳じゃないだろう、殺されたいのか!?」
「ジエルさんはそんなことはしませんよ」
 胸倉を掴まれて間近く怒鳴られても、平然と答えてみせる。
「何を根拠に……」
「なんとなくですけど」
「意識しなくても、魔法の実験とかしてるときに巻添え食うかもしれないじゃないか! ここの部屋だって薬草だらけだし、身の危険とか感じないのか!」
「いえ、別に……実験で何か爆発とかしても、そばにいたら貴女を守れるし。もし僕で役に立てることがあるなら何でも言って下さい」
 ……そうじゃない。
 さすがにあきれ果てたというかあきらめがついたのか、ジエルはリ・ヴェールを突き飛ばして自身は椅子にその身を放り投げた。世の中には救い難いバカがいるものだ。
「……だいたい……私の噂は聞いてるんだろう。私の何がそんなに良かった?」
 周囲もそうだが、本人にとってもそれは最大の疑問だった。
「初めて戦場に出たとき、ジエルさんが猛雪の魔法を使うのを見ました」
 猛雪の魔法を使ったことはあまりないので覚えているが、それはリ・ヴェールがジエルに求婚する少し前の戦のときだ。敵陣だけに降るはずの雪が、自陣にも降ってしまった。もちろん威力の程は比較にならないのだが、年中温暖な気候のこの辺りでは雪に対する備えがない。敵軍を圧倒したのはいいが、その強すぎる魔力のせいで自軍にも一部凍傷などの被害が出た。
「雪の中でそのきれいな金髪を泳がせながらまっすぐ前を見ている貴女の横顔を見て、ああこの人しかいないって思ったんです。女神がいるならきっとこんなふうに凛として、強い眼差しをしてるんだろうなって……」
 一瞬だった。他に何も考えられないほどに心を奪われた。他の兵士たちが彼女の魔力に恐れ慄いているときに、彼は彼女に恋をした。
 そのときの光景を思い出しているのか、頬を紅潮させながら語るリ・ヴェールの姿を見て、ジエルは派手にため息をついた。そんなジエルに構わずリ・ヴェールはにっこり笑ってかごの底から瓶を取り出した。
「ワイン、好きですか?」
 ジエルは酒飲みだ。ただひとりで飲んでもつまらないので普段は飲まないというだけだ。
「これ、僕が生まれた年にできたワインなんだそうですよ。僕が結婚するときに一緒に飲もうって思って買っておいたそうです。母と一緒に飲むことはできませんけど……」
 リ・ヴェールの顔も知らない母親は、きっとロマンチストだったのだろう。生まれてくる子供が男か女かも解らないのに名前を決め、ワインを用意し。なんとなくリ・ヴェールのぽや〜んとした雰囲気は母親譲りなのだろうと思う。
「いつか結婚したいと思う人が見つかったら、一緒に飲もうと思ってました」
 極上の笑顔だった。最初に求婚されてからほとんどこちらから口を利くこともなく、ひたすらにつっぱね続けたというのに、嫌われているかもなどとは露ほどにも思わず、まっすぐにジエルに想いをぶつけてくる。ここまで汚れていない人間がいるなどとにわかには信じられないが、多分凡人だったらジエルを想ったりなどしないだろう。
 恐れを知らず、汚れることもなく、ただ自分が信じた道をまっすぐに   
「……私と共にあって、不幸になったらどうするつもりだ」
「ジエルさんに拒絶される以上の不幸なんてあるんですか?」
 もう、ダメだ。かなわない   
「……愛しています」
 それが、トドメだった。
 幾ばくかの沈黙の後、ジエルがぼそりと呟いた。
「……どうなっても知らんぞ」
「え、何って……ジエルさん?」
 聞き取れなかったらしいリ・ヴェールを放っておいて、ジエルは席を立った。どうしたものかとその場で立ち尽くすリ・ヴェールのところに戻ってくるなり、ジエルは手に持っていたものを乱暴に机の上に置いた。ガラスのワイングラスがふたつ並んでいる。
「じゃあ   
「さっさと注げッ!」
「はい!」
 リ・ヴェールの顔が輝いた。

 もう、解っていた。
 ジエルは父以外の誰にも言わなかったが、『先見』という予知の力がある。その力が告げていた、リ・ヴェールの将来を。彼はジエルのせいで命を落とすことになる。突然求婚されたとき、彼女の不幸な伴侶は彼なのだと知った。だから突き放した。絶対に好きになどなるものかと思った。
 それなのに、彼の笑顔に癒されている自分がいた。時々忙しいのか顔を見せない日は気になって仕方がなかった。いつしかその手で抱きしめられたいとさえ想った。
 もう、解っていた。
 リ・ヴェールの輝くばかりの笑顔を、独り占めしたい。いつも愛されていたい。しあわせになりたい   
 その気持ちを止めることは、もうできなかった。

 ワインを満たしたグラスを手に、挑むようにジエルは笑った。命を賭けても、きっと守ろう。運命をこの手で変えてやる。
「ジエルさん?」
 妖艶な彼女の笑みに圧倒され、胸を高鳴らせながらぎこちなくリ・ヴェールが声をかける。
「……今夜は飲むぞ。覚悟しろよ」
「望むところです」
 触れ合ったグラスが、澄んだ音を立てた。
 夜はまだ、始まったばかり   

2003.10.04

■後書■
外伝「金色の魔道士」その前。リーヴ・アープの実母の若い頃のお話。あんなバアさんにも若い頃はあったのさ。










































 唇を離して、ジエルはじっとリ・ヴェールの瞳を見つめた。
「どうかしましたか?」
「リ・ヴェール……」
「はい」
「リヴェル……。呼び辛いな」
「そうですか?」
「ヴェール……リーヴェル……」
 見つめあったままで呟くジエルの言葉を大人しく待ちながら、リ・ヴェールは彼女の髪をなでる。
「リーヴ……そうだ、リーヴがいい」
「貴女の好きなように呼んで下さい」
「リーヴ、リーヴ……」
「……はい」
 ぎゅうっと子供のように抱きついてくるジエルを抱きしめながら、彼女の耳元で返事をする。
「リーヴ……好きだ」
「僕もですよ」
「オマエなんかより、私のほうが……ッ」
「酔ってるんですか?」
「シラフでこんなこと、言えるか」
「じゃあ、酔いが覚めるおまじないをしましょうか」
 そんなものがあるのかと、きょとんとしたジエルに優しく口付ける。
「効きました?」
「……余計に酔いが回った」
「そうですか」
 顔を真っ赤にしているジエルが可愛らしい。
「リーヴ」
「はい」
「愛し……てる」
「はい」
「バカにしてるだろ」
「してませんよ」
「嘘だ」
「本当ですってば」
「だって……」
「最初に言ったでしょう?」
 拗ねて口を尖らせているジエルに言い聞かせるように唇を重ねた。
 愛しています、結婚して下さい。
 彼は最初にそう言った。
「愛してる……」
 長いくちづけの果てに吐息と一緒にもれた言葉は、どちらが言ったのか解らなかった。もしかしたら、声を重ねていたのかもしれない。
 声が、心が、吐息が甘く重なっていく。

 そしてそれがハジマリ