ザクッ、ザクッ、ザクッ、ザクッ。
 規則正しく土をひっくり返す音がする。遮る雲のひとつもなく地を照らす太陽の光は、さぞや人々に汗を流させることだろう。
 ザクッ、ザクッ、ザクッ、ザクッ。
 それでも土を耕す音は止まらない。
 ザクッ、ザクッ。
 そこでようやく手が止まる。頬を流れ落ちる汗を乱暴に腕で拭って、声のする方を見た。
「そろそろ休憩しましょう!」
 照りつける日差しから肌を守るようにつばの広い帽子を被った女が、こちらに向かって大きく手を振っている。それに手を振って応えると、鍬を肩に担いでそちらに向かって歩き出した。
 それにしても   とつば広帽子の女   ベルティーナは思う。なんというか、その、これまでに何度も見ているのだが、やはり何度見ても違和感を覚えてしまう。剣を佩いて王宮を颯爽と歩く姿ばかりをずっと見ていたから、こんな野良仕事をしている姿は、イヤだとかそういう問題ではなく、不思議だった。
 不思議そうに見上げるベルティーナの視線を受けて、持っていた鍬を置くと艶やかな黒髪をかきあげてウュリア・シルヴィアは首を傾げた。
「……俺の顔に何かついてるか?」
 不快そうではなかったが、ベルティーナが慌てて取り繕う。
「あんまり日に当たっていると、病気になってしまうわ。気をつけないと……日焼けもするし」
「大丈夫だよ。昔から頑丈だし」
「ダメよ! はい、お茶。それから汗も拭いてっ」
 お茶の入った瓶を渡すと、やはり汗をかいて喉が渇いていたのか、ウュリアは勢いよく飲み干した。その間にベルティーナが背伸びをしてウュリアの顔を伝い流れる汗を拭い取る。
「せっかくの休みなんだから、ゆっくりすればいいのに」
 カラになった瓶を受け取りながら、ベルティーナが口を尖らせた。戦争も終わってウュリアが『戦力』として走り回る必要がなくなったので、割と休みをもらえるようになった。以前のように王宮で毎日顔を合わせていられる訳ではないし、泊り込みで仕事があるときもあるので、休みの日くらいは一緒にいて欲しいというのがベルティーナの本音だ。たまにはウチでベタベタしていたい。
「何だかなあ、身体動かしてないと落ち着かないんだよ。野良仕事やってれば鍛えられるし、収穫する楽しみもあるし」
 結婚して居を構えてから、裏に余っていた日当たりのいい土地を耕し始めたのだ。『黒髪の騎士』として敬われ慕われ恐れられたウュリアが鍬を持っている姿は、何回見ても違和感を覚えてしまう。近所の人たちも最初は驚いたようだったが、次第に慣れていろいろと教えてくれるようになった。
「……ずっと剣ばかり振り回してきたから……これからは奪うんじゃなくて、作りたいよ」
 苦笑する夫に、ベルティーナが沈黙する。
 黒髪の騎士と謳われても、三英雄と称えられても、彼は好き好んで人を殺してきた訳ではない。戦時という非常事態だったからそういう道を選んだだけで、そうでない平和な今は、剣で人を殺すよりも鍬で耕す方がいい。
 英雄としての夫の姿しか見ていなかったことに気付き、ベルティーナはどうしようもなく自分が恥かしくなった。ウュリアは自分を『王族』としてではなく、ひとりの女性として見てくれたのに、自分は   
「ベルティーナ?」
 急に黙ってしまった妻の顔を帽子の下から覗き込むと、いきなり問答無用で顔を両手で掴まれた。ぐいっと強く引き寄せられて、それはそれはひどく無造作に唇を重ねあった。
「ウュリア!」
 何が何だか訳が解らないウュリアから離れると、ベルティーナは瓶を持って小走りに駆け出して、足を止めて振り返った。
「種まきしよう! 机においてあった袋を持ってくればいい?」
 照らしつける太陽よりも眩しい笑顔。
「ああ、それと一番上の引き出しにあるのを持ってきてくれ。紙に包んであるから」
 はあい、と返事をして走り出した妻の後姿に微笑むと、英雄はまた鍬を担いだのだった。



「……もう寝ちゃった?」
 日没までに種まきを終わらせて、ウュリアが汗を流している間に夕食を整えた。片づけをしてベルティーナも汗を流して部屋に戻ってきたときには、ウュリアは寝台で横になっていたのだ。
 返事もなく、規則正しく呼吸をしている様子を見て、ベルティーナはつまらなさそうに頬をふくらませた。結婚してまだ数ヶ月。なんていうか、その、まだベタベタしたいさかりである。ウュリアの隣に潜り込み穏やかな夫の寝顔を眺めていたのだが、やはり気に入らなかったのか、そーっと鼻をつまんでみたり。
「……んん」
 目を覚ますかとちょっぴり期待してみたのだが、そんな気配はちっともなく、ベルティーナは仕方なく鼻をつまんでいた手を離して、黒髪を撫でた。
「……ウュリアぁ……」
 甘えた声で呼んでみても、返事はなくて。
「私のことも……かまってよ……」
 ちやほやしてほしい訳ではない。ただ、そばにいてたわいもない話をして、くっついていたり、微笑み合ったり、それだけでいいのに。ウュリアがそうしてくれない訳ではないが、ベルティーナは少しだけ物足りない気がして。
 眠る夫の唇に、自分のそれをそっと重ねた。
 触れ合うだけの、瞬間だけのくちづけを何度も繰り返している内に、だんだんと触れ合っている時間が秒刻みに長くなっていき   

 あれ?

 今、ベルティーナは上半身をウュリアに重ねる形になっているため、体重がかからないように両手を寝台につけて身体を支えている。だとしたら、この腰に触れているのはいったい……。
 唐突に、自分の口の中に侵入してきたそれに、ベルティーナはとっさに身体を離した。
「ウュリア!? 起きてたの!? い、いつからっ」
 見れば、すぐそこに『してやったり』と言わんばかりの顔がある。
「ずっと起きてた」
 にやりと笑ったウュリアの表情とは対照的に、ベルティーナの顔がひきつった。ずっと起きていたということは、その、部屋に入ってからベルティーナが何をしていたか全部ご存知ということで。
「かまってほしい?」
「や、やだっ! ウュリアのばかー!!」
 顔を真っ赤にして逃げようとしたベルティーナを、しっかりとウュリアが抱きしめる。痛くないように加減はされていても、逃げ出せるはずもない。逃げることはあきらめたベルティーナは、真っ赤になった顔をウュリアの逞しい胸に埋めて、ひたすらに『意地悪』『ばか』と呟き続ける。
 それをずっと笑って聞いていたウュリアだったが、また新たなイタズラを思いついたのか、ひょいとベルティーナを抱き上げてすぐ隣に下ろすと、間髪入れずに彼女の上に覆い被さるようにして、何か言いた気なその唇を塞いでしまった。
 どれだけそうしていたのだろう。静かに唇を離すと、名残り惜しそうにベルティーナが甘い吐息を漏らした。青い瞳が艶を帯びてきらきらと輝いている。
 言葉もなく見つめあっていたが、ウュリアがベルティーナの耳元で囁いた。
「種まきしよう」
 ・・・はい?
 まだ野良仕事をするつもりかと思ったベルティーナだったが、自分の服に伸びてきたウュリアの手に、一瞬にしてすべてを悟った。
「え、ちょ、ちょっとウュリア……ッ」
 ……う、嬉しいけど。もうちょっと何て言うかロマンチックな言葉はないものだろうか。
「……いや?」
 イヤな訳ない。ないけど。
 顔を真っ赤にして困っているベルティーナに、いたずらっこの顔で微笑みかけて、ウュリアは言ったのだった。
「どっちが先に相手の服を脱がせられるか、競争っ」
「えぇ……っあの、ねえっ」
 もう、しょうがないんだからと、ベルティーナもウュリアの服に手を伸ばした。

 畑の一角に花畑ができるのも、ベルティーナが子を授かるのも、まだ少し先の話   

2003.05.03

■後書■
 外伝「黒髪の騎士」その後。野良仕事をする英雄の姿。英雄って言えば聞こえはいいけど、やってることは人殺しだから。シリアスと見せかけて最後は単なる砂吐きラヴ。