緑影騎士外伝「黒髪の騎士」

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1.

「シルヴィア! シルヴィア、何処なの!?」
 少女の声がふわりふわりと王宮の中を彷徨っている。鈴を転がすほどに心地よいその声は、どんなに遠く離れていてもこの心にまで届いてくる。自分を探しているのだと解っていながら、呼び続ける声をかわして歩いていく。どこまで追って来るのだろうか、自分を探し当ててくれるのだろうかと、子供じみた期待をしながら。
「シルヴィアったら……何処に行ったのかしら」
 柱の影からこっそりと様子を窺うと、腰まで届く見事な金髪をそよと吹く風に遊ばせながら、青い裾の長い衣装を纏った少女がふてくされて立ち止まっていた。白い花で編んだ王冠をかぶってぷーっとふくれっつらをしたその少女の表情は、『青の姫君』とは思えぬほどにあどけなくて愛らしい。
 このジルベールで彼女を慕わぬ者はいないであろうとまで言われる『青の姫君』  ベルティーナ・ジルベール  は、怪我を負った兵士たちを魔道士アープとともに治療して回ったり、身分に関わらず誰にでも同じように接し、その愛らしさと清純さで誰もを虜にしてやまなかった。
 ウュリア・シルヴィアは彼女を親友の妹としてもかわいがっていたし、また守るべき主君としても大事に想っていた。
 歳の離れた兄とその親友たちを、ベルティーナはたいてい『兄さま』と一括りにして呼んでいた。幼いながらも公私の区別はしっかり躾られており、身内しかいないところではルーク兄さま、リーヴ兄さま、ウュリア兄さま、ところころと笑いながら後をついて回ったものだったのだが。
 ……それがウュリアのことだけ、『シルヴィア』と呼ぶようになったのは2年前。
 思えばそれは運命の時だったのかもしれない。


 ウュリアたちが馬上からの攻撃と防御の訓練をしているのをベルティーナが見ていたのか、自分も馬に乗りたいと言い出したのだ。徹底した箱入りだったベルティーナは万が一のことがあってはと乗馬さえ禁じられていた。彼女の目には馬に乗って風を受けることが、とてもまぶしい自由に見えたのだろう。
 すでに国王になっていたルークにもキツく言われていたし、ベルティーナにせがまれたからと言って普段なら認めないウュリアなのだが、この日だけはどうしても断りきれなかった。同乗するということで許可したのだが、ベルティーナが馬に乗った瞬間、馬が暴れ出したのだった。
 今にも振り落とされそうなベルティーナは泣いて助けを求め、またウュリアも騎士として兄として何があっても彼女を救おうと必死だった。直ちに馬上の人となって彼女を追いかけ、魔法で馬の動きを止めて勢いで放り出された怯える少女を抱きとめた。
 ふたりともたいした外傷もなかったのだが、そのときのショックでベルティーナは丸二日意識を失い、ルークやリーヴにさんざん非難されたウュリアは胸が潰れる思いで寝ずの看病をした。
 そのときに、気づいてしまった。
 意識もないのに、ずっとウュリアの手を握り締めたままうわごとで彼を呼び続けるベルティーナの姿に、ひどく胸を突かれた。
 もしこのまま目を覚まさなかったら?
 目を覚ました途端、侮蔑の言葉を浴びせられたら?
 ……もう二度と、笑いかけてくれなかったら?
 目を覚ましてほしい。その青い瞳でもう一度見つめ返してほしい。もし叶うものならば、眩しい笑顔を見せてほしい   
 ……何が「妹」なものか。何が「主君」なものか。
 とっくに、彼女は……。
「……ウュリア……」
 ようやく目を覚ましたベルティーナは、自分のすぐ傍らにいる黒髪の騎士の姿に軽く目を見開いた。
「ベル……よかった、もし目が覚めなかったらどうしようかと」
「……夢じゃない、のね?」
「ああ、ルークもリーヴも心配してた、すぐに呼んでくる」
 責任を取れと看病を押し付けたふたりだが、ベルティーナのことが心配で気が気ではないはずだ。異常がなさそうな彼女の姿に安堵したウュリアは親友たちを呼びに行こうと立ち上が……ろうとして。
「……ベル?」
 腕を引っ張られて、何か言いたいことがあるのか、それともどこか苦しいのかとそっと顔を近づけた。どんなに細い声も聞き逃すまいと耳を彼女の口元に寄せた。
「ウュリア」
 思ったよりもハッキリした彼女の言葉に、つい条件反射でハッと顔を上げてしまった。衝突こそ免れたものの、すぐ間近くベルティーナの顔がある。
 まだ血の気の失せたままの顔が、そこにある。いつもなら薄紅の頬に桃色の唇で、その愛らしさはあらゆる花でさえも太刀打ちできないほどなのに、目の前にある彼女の顔は白い頬、薄紫の唇、食事も摂らず眠り続けていたせいで少し目がくぼんでいる。
 ともすれば、このまま消えてしまいそうで。
 繋ぎ止めようとするが如く、ほぼ無意識に唇を重ねていた。
 刹那のような、永遠のような、それはきっと数秒にも満たなかったに違いない。
 平手で頬を打たれてウュリアはハッと我に返った。そうして今、自分が何をしでかしたのかを思い知る。
「シルヴィア、兄さまを呼んできて。早く」


 それ以来、ベルティーナはこの黒髪の騎士を公私問わず『シルヴィア』と呼ぶようになった。ウュリアはこの青の姫君をただ『姫』或いは『ベルティーナさま』と呼ぶようになった。
 ……もう、自覚してしまったから。
 ベルティーナはウュリアにとって、『妹』でも『主君』でもなく、とっくにひとりの「女性」だったのだと。
 一夜だけの女性なら何人もいた。けれど、彼女は違う。これまでの「女性」とは違うのだと、気づいてしまった。
 ことあるごとに彼女への想いで胸がいっぱいになってしまう、気がつけば目が彼女を追っている、姓であったとしても自分を呼んでくれているのだと思うだけで胸が高鳴るような、そんな想い。
 それを人は恋というのだ。

 まだ幼い彼女を相手に大人の恋などできようはずもない。だから今はただ待っている、彼女が大人になることを。彼女を弄びたいのではない、対等に愛し合いたいのだから。

「見つけたわ! こんなところにいたのね」
 さりげなく柱の影から姿を現したウュリアを捕まえて、ベルティーナは声を弾ませた。あれ以来名の呼び方こそ変わったが、それ以外は何ら変わることなく接してくれている。
「……姫? 俺に何か」
「見て、花の冠よ! サウィンさんが作ってくれたの」
 一緒に兵士たちの怪我の治療に当たっている年上の女性をベルティーナは慕っており、よく彼女の話をしてくれる。この頃は平和な日々が続いているので、ふたりして花を摘んでいたらしい。
「キレイでしょう? あとでリーヴ兄さまにも見せに行くの」
「ああ……本当に」
 花よりもあなた自身が、とは言わなかった。
 黒髪の騎士はただそっと、穏やかに微笑んだだけだった。

 黒髪の騎士ウュリア・シルヴィアが正真正銘の恋をしたその相手は、十も歳の離れた親友の妹で、同時に主君でもあったのだった。

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