翠(スイ)は見たことも無い薄紅の花が咲き乱れる山の中腹を、言葉もなく歩いていた。麗らかな、まるで夢の中の幻想の景色のようなそれを眺めながらも、周囲に不穏な気配がないか注意することも忘れない。こちらの気配を殺し、向こうの気配を探りながら   
「翠ィィ〜ちょっと休もうよぅ〜俺疲れた〜」
 こっちの気を知ってか知らずか、問答無用の傍若無人っぷりを発揮しているのは、先日から勝手についてきている翅塚(シヅカ)という男だ。かつてこの星がまだ「惑星」であった頃、戦の原因になり今は禁じられている魔法を扱うことができる。一体どこでそんなものを学んだのか、何の目的で翠についてくるのかは解らないが、とにかく追っ払っても勝手についてくるので放っておくことにした。今のところ実害もないし、おちゃらけているようで結構腕は立つ。
「だったらその辺で勝手に休んでいろ。私は先を急ぐ」
「冷たいなあ翠ちゃんてばー。旅は道連れって言うじゃん、一緒に行こう〜?俺どうせなら一人より美人と一緒がいいよー」
「ほざけっ。私は一人で構わん」
 始終こんな調子で翠にくっついて回るのだ。
「だからさ、ここで無理して途中で倒れたら元も子もないじゃん?先に備えて今休もうよ」
 何となくいいように言いくるめられているような気がしないでもないが、翅塚の言うことにも一理あるので、それもそうかと足を止める。だが身体を休めるには少し足場が悪かった。
「…もう少し歩いて適当な場所を探すか」
「そうこなくっちゃー」
 浮かれた翅塚を放って、翠はそのまま歩き始めた。その後を慌てて翅塚が追う。
「あっ、何か先の方に広いところがあるよ。俺ちょっと見てくる」
「ちょ…待て翅塚!勝手なことを…」
 薄紅の花が少し途切れたところがあった。薄紅の花を咲かせる木の間から見えるそこは、確かに少し開けた場所かもしれなかったが、こちらは追われる身なのだ。そこに追っ手がいたら、そうでなくとも誰かいて自分たちの巻添えを食らわせるようなことになったら、一体どう責任を取るというのか。
 後を追うと、その場所に足を踏み入れる一歩手前で翅塚が呆然と立ち尽くしていた。翠が追いついても振り返る様子もない翅塚の肩越しに、何事かとその場所を凝視する。
「何だ…あれは」
 泉の中に、人がいた。いや、人と言っていいものだろうか。ひとりは長い銀髪で、その背中から鳥のような真っ白い羽を生やしており、もうひとりは短い黒髪で、その背中からはコウモリのような黒い羽が生えていた。そのふたりが服を着たまま腰まで水に浸かって、抱きしめあいながら互いの唇を貪りあっていた。
 ………夢か?
 夢にしては随分趣味が悪いなと思いつつ、翠もまた立ち尽くしてしまった。一体これはどうすればいいのだろう。さすがの翅塚もそりゃ立ち尽くすよなーなどとぼんやり思った矢先だった。当の翅塚が振り返って、目を輝かせながらこう言った。
「なあ、俺たちもしよう♪」
 プツリと何かがキレる音がした。
「お前は一回死んで来い!!」
「誰!?」
 怒鳴る声と、翠が殴った拍子に翅塚を泉の方へぶっ飛ばしてしまったせいで、完全にふたりの世界だったであろう有翼人たちに気付かれてしまった。
「許さないから!」
 コウモリの有翼人がかわいらしい声で叫ぶと、もうひとりから身体を離して何かを呟く。
(こいつも魔法が使えるのか!?)
 何を言っているのかは解らなかったが、その言葉の抑揚が翅塚の使う魔法の呪文に似ていた。そしてすぐに倒れたままの翅塚の口から、同じ言葉が聞こえてきた。
「「焔よ!!」」
 翅塚とコウモリの有翼人の声が重なった。ただでさえ禁じられている魔法を、翅塚の他に扱える者がいるとは   しかもそれが見たこともない有翼人とは。息をするのも忘れて見入った翠の耳に、さらに声が重なった。
「山火事にするつもりですか!」
 鳥の有翼人の怒号と共に、泉の水が渦を巻いて対峙するふたりに襲いかかった。
「「ご…ゴメンなさい…」」
 全身水浸しになったふたりの魔法使いは、謝るしかなかった。



「すみません、あの、お茶でも如何ですか」
 桜という名の鳥の有翼人は、申し訳なさそうに頭を下げた。背中の翼は収納可能なのか、今は背に翼はなく、どこから見ても華奢で優しそうな美しい青年である。
「桜が謝ることないじゃないのっ。この変なのがいきなり出てくるのが悪いんだし」
「かわいい顔してご挨拶だなー。変なのって何よ?俺みたいなイイ男、そうはいないよ?」
 相手に翼があろうがなかろうが、女であるならそんなことはどうでもいいらしい翅塚は、すっかりいつもの調子を取り戻して完全に打ち解けている。びしょぬれになった服は、桜が触れた途端に乾いてしまった。
「私には桜がいるもん。それにあんたたち、変」
 変って何。背中に翼のあるそっちがイレギュラーなんだよと思ったか否か、翅塚がガックリと肩を落とす。
「そちらの方もどうぞ」
 差し出された器を見て、翠は言葉を失う。その重みその輝き、どこをどう見ても黄金なのだが、それを無造作に扱うこいつらは一体何だと言うのか。得体の知れぬ相手に差し出されたものを口にしていいものかと、器の中身を覗き込む。
「…花?」
「はい、ここに咲いている桜を塩漬けにしたものです」
「桜?この花はお前の名と同じなのか」
「そうなの!見ててなんだかほわーんってしない?桜も同じなんだから」
 きゃあきゃあとはしゃぐ少女は確か、鈴蘭と言ったか。彼女の背中にも今は翼はなく、こうしていればどこにでもいる恋する少女だ。
「あっこれしょっぱい」
「…塩漬けと言ったのだから当たり前だろう」
 口にした翅塚がぺっぺと言っているのを見て、翠が呆れてしまった。この男には相手を疑う心というものはないのだろうか。だが毒見も異常なかったようなので、翠もそれを口にする。
「珍しい風味だな。…嫌いではない」
「それは良かった」
 桜が穏やかに笑った。見ているこちらが心温まるような、そんな笑顔だ。それに一瞬見惚れた翠に気がついたのか、ふたりを遮るように翅塚が声をかける。
「なあ、あんたらこんな山の中で何してんだ?ここにいるのはあんたらだけ?」
「私たちだけですよ。元いた場所を追い出されまして、ここに来ました」
「ねえ、この桜すごいでしょう?全部桜が咲かせてくれたの」
「そう約束したでしょう?」
「桜大好きーっ」
 どこをどうしてもふたりの世界になるらしい有翼人たちに、翠はため息をついた。こんなのを見せられていたら、相手の害意を疑う気も失せる。
「では…緑龍を知らないか」
 翠の問いかけに、ふたりがきょとんとする。やはりダメかと思ったところに、ああ、と鈴蘭が手を打った。
「おじいちゃんのこと?」
 はい?
「おじいちゃん、緑色だったよね」
「そうですね。もう随分とご無沙汰してしまってますが」
「ちょ…ちょっと待て、お前たち緑龍を見たことがあるのか!?」
 緑龍   それはこの山岳地帯を統べる主だ。ありとあらゆる財を集め、その牙、爪、炎の息、いずれも凄まじい殺傷力を持ち、またその鱗はいかなる攻撃も弾き返し、人間では叶わないとされる。その長寿ゆえ世のすべてを知り、またその肉を食らえば不老不死になれるという。一般常識では伝説の生物だ。
「見たことあるもないも、ここら辺って何にも生えてなかったから、勝手に木を植えたらマズいかなーって思って、先にいたおじいちゃんに許可をもらいに行ったの。今までの平穏な日々が壊されないならいいよって言ってくれたの」
「その器はそのときに貰ったんです。できるだけ長く使えるものが欲しいと言ったら、それをくれました」
 黄金なら朽ちることもないし、そりゃ長くは使えるだろうが。
「って何、あんたら龍と知り合い!?」
「うん。そうだね」
 驚く翅塚に、鈴蘭があっさり答える。
「何?おじいちゃんに何か用?多分あんまり歓迎されないと思うよ」
「それでも…行かねば」
 いるのなら。伝説と言われた龍が、そこにいるのなら。
「私は…記憶がない」
 握り締めた器を見つめて、翠が呟いた。
「それまで何処で何をしていたのか、本当の名前も知らない。両親の顔も思い出せない。気が付いたら追われる身だった。今はこうして身を隠しながら、記憶を取り戻す方法を探している」
 すべてを知るという龍ならば、その方法を知っているかもしれない。文献を調べてもその術は見つからなかった。もう後は伝説にすがるしかなかったのだ。
「どう…でしょう…。でもそういう話でしたら、主も何か教えてくれるかもしれませんね」
 緑龍がこの山岳地帯に桜を植えることを許可する代わりに、条件を出した。それは主の平穏な日々を守ること。時折主の財宝を目当てにやってくる賊を追い払えということだった。だがそういう訳ではないというのなら、どうだろうか。
「じゃあ、案内してあげるのはどう?」
 鈴蘭の提案に、翅塚が目を輝かせて彼女の手を握り締める。
「ああ、ありがとうお嬢さん!何とお礼を申し上げればいいのか…っ」
「…その手を離していただけるのなら、ご案内しますよ」
「いい加減にしろ!」
 桜の声と、翠のゲンコツの音が重なった。
「じゃあ、これで決まりだな」
 鈴蘭には手を振り解かれ、翠のゲンコツをまともにくらって地面に撃沈した翅塚が、息も絶え絶えに呟いた。
「すまない…恩に着る」
「いえ、こちらこそご迷惑をおかけしてしまいましたし」
 深々と頭を下げる翠に、そんなことはと桜が答える。そんなふたりの間に入って、鈴蘭が楽しそうに翠に問う。
「ねえ、あなたたち恋人同士?」
「うんそうそうっやっぱり解る?」
 いつのまにか復活してきた翅塚が背後から翠を抱きしめて嬉しそうに答える。
「勝手に決めるなあああ!!」
 翠の肘鉄が、見事に翅塚の鳩尾に決まった。復活したのも束の間、またしても地面に撃沈する。そんな様子を見て、ふたりの有翼人が笑った。

 4人の珍道中は、こうして始まったのである。

                                       2004.02.01

■後書■
 番外編「SAKURA」から100年くらい後?
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