小さな泉の傍らでしゃがみこんでいる少女は、そのつぶらな瞳で泉に映る自分自身を眺めていた。眺めてというよりは、睨みつけてという方が的確かもしれない。短めの艶やかな黒髪に合わせたような黒い双眸に水鏡を映したまま、少女はひとことも発することはない。
 惑星空間エルドラド   。そう呼ばれる不思議な惑星。かつては球体であった惑星が、神の怒りを買って叩き割られてしまい、今は粉砕された惑星の欠片の上に人が生活している。少女がいるのはその中で比較的大き目の欠片で、人ももちろん多く住んでいるのだが、人目を避けるように何もない山岳地帯を選んだ。
 見渡す限りの剥き出しの大地。
 時折吹き荒れる風。
 どこまでも広がる青空に、夜になれば無数の星。
 誰も訪れることのないその土地に、ふたりは降り立った。
「鈴蘭さん?」
 呼ばれて黒髪の少女   鈴蘭は、生返事をしただけに留まり、声の主を振り返ろうとはしなかった。
「・・・どうかされましたか」
 穏やかな声の主は、彼女のそんな態度にも腹を立てることもなく、そっと泉に近づいて、鈴蘭に倣うように屈みこんで水鏡を覗き込む。そこに映った長く美しい銀髪の青年をちらりと見て、鈴蘭は小さくため息をついた。
「なんでもない」
「・・・そうですか?」
 青年の声はどこまでも優しい。決して追求しようとはしないが、話したくなったら話してくれと言外に言っている。誰だって話したくないことはあるが、話して楽になることもある。
「・・・ねえ、桜」
 桜と呼ばれた青年が、返事の代わりに泉の中の鈴蘭を見つめた。
「私、そんなに嫌われてたのかな・・・」
「鈴蘭さん」
「だって・・・『あなたにはわからない』って言われたもの・・・」
 彼女には親友がいた。だが、突然の裏切りに合ってしまった。それまで自分に対して何か不満を持っているふうでもなかったのに、本当に突然で、何故そんなことをされなければならないのか、どんなに考えても答えがでなかった。裏切られてからすぐに桜についてここへ飛んできてしまったため、親友には逢っていない。主の命を受けているため二度と戻ることを許されていない鈴蘭には、再会の機会さえないのだ。真実を確かめる術はもはやない。
 だがどんなに考えてみても悩んでみても、何故なのかは解らないままで、親友だと思っていたのは自分だけだったのかと、そう思うとやりきれなくて。
 ただ、黙ってしゃがみこんでいることしか、できなかった。
 桜は詳しいことは知らない。
 ただ、鈴蘭が「裏切られた」その現場には居合わせた。敵対する種族同士である桜をハメるために、鈴蘭を拉致したのだ。そしてそれが同時に鈴蘭を裏切ることでもあった。
 どうして・・・?
 泣きそうになりながらそう訴えた鈴蘭に投げられた答え。
 アナタニハワカラナイワ。
 真実は、永遠の闇の中だった。
 鈴蘭は故郷を捨てた。命を受けてということもあったが、それ以上に桜とともにありたかった。だから何もかもを捨てて、同族さえ捨てて桜とともにここへ来た。そのことを後悔はしていない。未練もない。ただひとつ、親友の真意を除いては   

「でも、泣いていました」
 長い沈黙の後、桜が唐突に、静かに言った。
「・・・泣いて?」
 一瞬何のことかわからなかった鈴蘭だったが、あのときのことを思い出して何度も首を横に振った。
「だって・・・泣いてなかった、しゃくりあげてもなかった、顔色ひとつ変えなかったわ!」
「そうでしょうか」
 あなたにはわからない、と冷たく告げて親友であったはずの鈴蘭に攻撃さえしたあの女性の、名前も何も桜は知らない。逢ったのはあのときだけ。それでも。
「そうですね。でも、心の中で泣いているように感じました。もしかしたら、やむをえない事情があったのではないでしょうか」
「でも」
「鈴蘭さんにとっては大切な親友なのでしょう?それでいいじゃないですか」
 言われて。
 鈴蘭は初めて顔を上げて桜を見つめた。そこには穏やかな、優しい笑顔がある。
 相手がどう思っていようと、自分が愛しているならそれだけで。
 相手の真意がどこにあれ、自分が思う気持ちに偽りがないのなら。
 それで、いいではないか。
 そうだった。
 桜は、前からそうだった。
 敵対する種族であるにも関わらず、いきなり鈴蘭に交際を申し込んできた。鈴蘭にどんなに冷たくつっぱねられても、一歩も退くことはなかった。
 相手を想う気持ちには絶対の自信がある。
 だから、退かない。譲らない。
「桜   !」
 思い切り、抱きしめた。
 飛びついた勢いで桜が多少よろめいたが、構わなかった。
 抱きついてきて言葉もない鈴蘭の髪を何度も撫でて、桜は空を見上げた。
「この青い空を、早く桜でいっぱいにしてしまいましょう。この山の主の了解も得たことですし、花が咲くまでにはまだ何年もかかるでしょうが、それまで一緒にいていただけますか?」
 ばか、と小さく呟いて鈴蘭が囁いた。
「桜が咲いてもずっと一緒よ」
 微笑み合って、くちづけた。

 それから百年後、山の中腹まで散ることのない桜が覆うことになるとは、ふたりはまだ知る由もない   

2003.03.01

■後書■
 本編終了後、辺境の星にトバされた桜とそれについていった鈴蘭。
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