-太陽は沈まない-

 神沢の夢は、まもなく実現しようとしていた。2階建ての1階に託児所を、2階にカフェを作った。1階は大きな窓から中の様子が窺えるようになっており、利用者が安心できるようにした。託児所の方に遊具も入れ、カフェの食器類も揃え、メニューや価格体制も決まった。あとは店の広告と、バイトの保育士募集だけだ。飛鳥が現在第二子を懐妊中のため、カフェの方のバイトも募集しようかとも思ったのだが、メインは託児所なのだからとそちらの方は見送った。無理をしない程度で、できるだけ飛鳥がカフェの応対をする。
「飛鳥さん、体調はどうですか?」
「んー、大丈夫だよ。そんなに心配しなくっても」
 自宅スペースのソファでくつろぎながら、飛鳥は笑った。どちらかというと、自分の体調より店の方が心配だった。宣伝をしっかりしなければ集客できないし、託児所の方は神沢が入るとはいえ、適当なバイトを入れて問題が起きては困る。自分で考えたメニューが受け入れられるかどうかも気になるし、できればそれらは自分で提供したい。開店当初からカフェ閉鎖なんてことだけは避けたいが、体調次第ではその可能性も否定できない。
「今日、バイトの面接をするんですが、飛鳥さんはどうされます?」
「え、募集来たの?」
「今のところひとりだけですが……」
「これから一緒に仕事する人でしょう?私も会うよ。何時くらい?」
「そろそろだと思うんですけど」
「そろそろって!言うの遅っ!」
 なんやかんやとやっている内にチャイムが鳴った。
「こちらに通しますね」
「ええー!早く言ってくれれば掃除くらいしたのに!」
 文句を言う飛鳥を置いて、神沢は玄関に向かった。お茶菓子くらい用意するべきだろうかと悩む飛鳥の前に、飛鳥と同年代の女性を連れた神沢が戻ってきた。
「すみません、今ちょっと散らかっ……て……」
 ソファから立ち上がりかけた飛鳥が、そのままの姿勢で固まった。
 神沢の背に半ば隠れるようにして立っている、うつむいたその女性にどこか見覚えがあった。ショートカットのその女性を、どこで見ただろう。それはずいぶん昔のような気がする。今でこそショートカットだが、確か学生の頃、ポニーテールにフチなし眼鏡をかけていた   
「渡辺さん……?」
 間違いない。間違えるはずがない。飛鳥の数少ない友人のひとりだった。あの悲しい出来事が起きるまでは。
「今は結婚して佐々木なの。あの、私、新聞の求人広告を見て、ここに電話したの。そうしたら神沢さんが出て」
 渡辺も親に愛されない子供だった。父は目的のために家族を放置した。母はそんな父に愛人がいるのではとノイローゼになった。どちらも娘にかまう余裕など、微塵もなかったのだ。だからこの託児所の目指すところを知り、共感したのだ。
「私ね、子供、できないの。多分酷いことした罰が当たったんだと思う。だから、せめてちゃんと償いたいの。もう二度と、私みたいにならないように、子供たちを守りたいの」
 震える声を必死に抑えて、渡辺は続けた。
「鳴瀬さん、ごめんなさい     
 耐え切れなかった。そこが限界だった。渡辺の両目から、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。
 それに応える言葉を見つけられなかった飛鳥は、渡辺の手を両手で握り締めて、強く頷いた。その拍子にぽろりと溢れた涙が誘い水となって、飛鳥もまた泣きながら、震える渡辺を抱きしめた。
「……どうやら採用のようですね」
 小さく呟いてから、泣きながら抱きしめあっているかつての少女たちに声をかける。
「お茶にしませんか。ケーキもありますよ」
「……あんた、最初からこうなるの解ってて……」
「さあ?イチゴのショートケーキとブルーベリーチーズケーキ、フルーツタルトにミルフィーユ。どれにします?」
「え…ちょっ、見る!見てから決める!」
「あの、どうぞお構いなく……」
「ええー!渡辺さんも一緒に食べよう?」

 ときどき、神沢は思うのだ。飛鳥は無意識のうちに、相手のわだかまりを溶かしてしまう天才なのではないかと。神沢にとって飛鳥が太陽であるように、渡辺にとってもまた、飛鳥は彼女を照らす太陽になるだろう。
 できることなら、いつまでもこの小さな太陽が沈まぬようにと、神沢は祈っている。そして神沢が飛鳥を想う気持ちが変わらぬように、飛鳥にとっての神沢がそうであるようにと。

 ソファに掛けてもめていると、ただいまというかわいらしい声とともに央樹が部屋に入ってきた。
「あー!ケーキ!」
「央樹!お客様の前でしょう?」
「あっ、こんにちは!……どうしたの?ないてるの?」
 お客様と母の目が赤いのを目ざとく見つけ、央樹は首を傾げた。飛鳥は娘の頭をなでて、
「大事なお友達に久し振りに会ったから、懐かしくて泣いちゃったの。ほら、手を洗ってらっしゃい」
「はーい」
 娘の背中を見送ってからソファに戻ろうとした飛鳥は、ふと足を止めて渡辺の隣にちょこんと座った。
「渡辺さんがそんなに泣き虫だなんて知らなかったな」
 言葉にもならない渡辺の手を、飛鳥がぎゅっと握りしめた。渡辺もまた、握り返した。言葉など、いらなかった。



 お茶を入れようと席を立った神沢は、ふと窓の外を眺めた。そこには眩しい太陽があった。
(明日もまた晴れるといいな)
 穏やかな日が入る部屋に、優しい紅茶の香りが広がった。ふたりの再開を祝うかのように   


2007.0426

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