フィアンセ

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「ねえ、お正月って何か用事あるの?」
 掃除機をかける手を止めて神沢が顔を上げる。もうクリスマスも終わったというのに、この年末の土壇場になって大掃除の真っ最中だ。
「特に今のところは何もない予定ですが……何処か行きたいところでも?」
 話を振った飛鳥は神沢に背を向けたままで窓ガラスを拭いている。クリスマスは神沢が仕事で手があかなかったので、結局何処にも行ってないし何もしていない。プレゼント交換さえしていなかった。メールも気後れしてできなかった。街中がクリスマスムード一色だったというのに、寂しい思いをさせてしまったかと気にはしていたので、初詣でも何でも行きたいところがあるなら連れて行ってやろうとは思っている。
「んーとさ……」
 何度も同じところを拭きながら、飛鳥が口をもごもごさせる。そんなに言い辛いことなのだろうか。
「はい?」
 掃除機を止めてその場に置いて、飛鳥のすぐ背後に立つ。振り返らなくても磨かれた窓ガラスに映るので、飛鳥は居心地悪そうに手を止めてうつむいた。
「あの…もし良かったらなんだけど、ウチに来ない……?」
「え……っと」
 飛鳥の家には何度となく行ったことがある。ただしそれは飛鳥の家庭教師をしていた頃の話であって、高校を卒業してからは一度も訪れたことはない。車ででかけるときに飛鳥の家の前まで迎えに行くことはあっても、家に上がったことはないのだ。
「あのね、今年は私もおせち作るの手伝うんだよ!だから、良かったら食べに来てくれないかなあって…」
「それは構いませんが、ご両親にご迷惑なのでは?正月くらいは家族で過ごしたいでしょうし」
「大丈夫、ちゃんと了解は取ったからっ」
 飛鳥の両親は嫌いではない。父親は口数は少ないが家族に頼られているし、母親はいろいろと気を遣ってくれる。何より飛鳥のことを心から大切に思っているのが伝わってくる。飛鳥と神沢のことは母親は早い時期から気付いていたようで、容認してくれてはいるものの。
(……これはどう考えても『ご両親にご挨拶』……)
 否定はしない。いつかはそうなりたいとは思っているが、『いつ』ということを意識したことがなかったため、改めて現実として突きつけられると、神沢はどう対処していいか解らない。何せこれだけ生きてきて、うんざりするほど様々なことを経験してきたが、それだけはまだ一度もしたことがないのだ。
「ダ…ダメなら別に……いいんだけど」
 言葉を失ったままの神沢に、飛鳥がやはりうつむいたままで続けた。まだ早かっただろうか。それとも、そう願っていたのは自分だけだったのだろうか。
「ダメとか言う訳ではないんですが」
 飛鳥の落ち込みをすぐに察して、神沢が慌てて取り繕う。
「なんというか……こう改めて、というと……」
 飛鳥が神沢を自分の家庭教師に、と家に強制連行した時点で母親は飛鳥の気持ちを感じていたらしく、飛鳥もまた改めて紹介するのも気恥ずかしかったので、特に何も言わないままで今日まで過ごしてきた。神沢が『改めて』に後込みするのも解るので、飛鳥としては何も言えない。
 飛鳥の沈黙に神沢はかける言葉も見つからず、背後からそっと抱きしめた。
 飛鳥への想いに、これまでの態度に、やましい点がある訳ではない。あるとしたら自分の正体を飛鳥以外には言えないことくらいだろうか。この腕の中にある小さな温もりに、幾度となく癒され救われてきた。この愛しさを、切なさを、心強さを、誰かに奪われてしまうくらいなら   失ってしまうくらいなら、少しくらいの気後れが何だというのだろう。
「無理にとは、言わないから」
 少し震えた飛鳥の声に、抱きしめる腕に力を込めた。
「……おせち料理、食べたことないんですよ。お邪魔してもよろしいですか?」
「……うん!」
 窓ガラスに映った飛鳥の笑顔が輝いた。
「早く掃除を終わらせてしまいましょう。終わったらお茶にしましょうか、アップルパイがありますよ」
「じゃあ窓ガラス早く拭いちゃおうっと」
 勢いよく窓ガラスを拭き始めた飛鳥に苦笑しながら、神沢は掃除機のスイッチを入れた。こういう場合、何を着ていけばいいのだろうかと考えながら   

2004.12.25

■後書■
 本編終了から2〜3年後?是非とも「お父さん、お嬢さんを僕に下さい!」って言って欲しい。
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